50回目の破局の先
その言葉を発した瞬間、時が止まったかのように場が静まり返った。先程で人の声でザワザワとしていたのが嘘みたいだ。
理由はわかる。噂の二人の近くにいきなり女が現れて「別れよう」などと言えば、私も驚いて言葉を失うだろう。それは周りも、注目の的だった二人も例外ではない。
「メイア……」
ポカンとした表情の二人。早すぎる展開に頭がついていかないのかもしれない。
私はブルーノを安心させるために笑顔をうかべる。大丈夫、貴方のために身を引く。その覚悟は出来ているから。
「その、嘘……です、よね……?」
元々、白かったブルーノの顔はさらに血の気を失って本当に死人みたいだった。ブルーノは優しい。だから観衆の前で別れ話をすることで、私に降りかかる不利益を心配してくれているのだろう。
しかし私の汚名は学園中に広まっている。名誉は失墜しているし、彼の心配は不要だ。落ちるものも、失うものもない。だから、私は堂々とこの場に立つ。
「嘘じゃないよ。ずっと、考えていたの」
最初からあった罪悪感。恋心がないのに告白し、恋人の座に収まったこと。チクチクと胸を指す痛みは縫い針のような小さいものから、剣のように太く大きく痛さを増していっていた。
「私は、ブルーノのことが好きだから告白をしたわけじゃなかった。家を守るために、跡を継いでくれる誰かが欲しくて、49人に振られて最終的にブルーノにたどり着いただけ。……そこに愛は無かった。だから別れよう」
自分で言ってることなのに、どうして自分が傷ついているんだ。本当に身勝手で自分勝手。救いようがない愚かな女。
いくらブルーノでも愛想が尽きてしまう。知っている。分かっている。それでも言わなきゃいけないことがある。
「そんなこと――」
「でも! 最初に愛がなくても! 私はブルーノと過ごすうちに、貴方と恋人だった間に、ブルーノのことが好きになった!」
きっと、ブルーノに最初に告白した時よりも観衆の数は多い。恥ずかしい。顔から火が出そうなくらい熱い。
それでももう逃げない。あの時みたいな醜態は晒さない。向き合う、真正面から。そういう私なら、私は少しだけ私を好きになれる。
「優しくて私を気遣ってくれるブルーノが好き。可愛らしい笑顔で私の名前を呼んでくれるブルーノが好き。大きく光を受けて輝く空色の瞳も、雪みたいに白い肌も、私よりも大きくて安心感をくれる身長も、あなたを構成する全てが好き!」
べニーニョ様に言われたことを思い出す。
『それに君は、私を愛してはいなかったじゃないか』
確かに彼の言う通りだったのかもしれない。べニーニョ様にこんな気持ちを抱いたことはなかった。苦しくて、痛くて、でも多幸感で胸がいっぱいで、全部を組みあわせて幸せだと言える気持ち。これが恋だと言うのなら、私はブルーノ以外に恋したことは無い。これが正真正銘、初恋だった。
私の初恋の人――ブルーノを幸せにしたい。だから別れる。それでもただ諦めるとは決めていない。私はいつの間にか顔を真っ赤に染めたブルーノに近づき、先制攻撃とばかりに声を張り上げて叫ぶ。
「だから、今度こそブルーノを振り向かせてみせる! あなたに好きになってもらえるように努力する! 私はもっともっと素敵になって、絶対に! 大好きなブルーノの彼女になってみせる!」
これが伝えたかった全て。恥ずかしくても、惨めでも、伝えなくちゃいけなかったこと。
勢いと勇気はそこで使い切り、全てをぶちまけたことへの羞恥が時間差で私を襲ってくる。
逃げたい。しかし観衆は多く、周りがぐるりと囲まれている。逃走は不可能。というか、逃げ思考になるな。そんなんだから私はいつまで経っても自分を好きになれないんだ。
でもどういう返答をされるのか。不安で仕方ない。ごめんなさい、とかならまだいい。気持ち悪い、とかもしくは引かれたり、とかだったら死ぬしかない。死ぬのは重いか。穴を掘って冬眠しよう。春だけど。
スコップは用具室にあるかな、と考えていたせいで、急に訪れた圧迫感に反応が遅れる。
状況がよく分からない。視界に広がるのは見慣れたこの学園の制服。圧迫感を感じるのは背中に回された――多分人間の腕のせい。状況を整理して、抱きしめられているのだと推測した。
けれど、誰に?
「メイア」
聞きなれた声だった。すぐ傍から聞こえる、私が世界で一番好きな人の声。
「ぶ、るーの?」
「俺も貴女を愛しています!」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。数拍遅れて嘘だ、と思った。そんな夢みたいなことがあるわけないと。でも、強く抱きしめられている力と、恐怖で震えるブルーノの振動が伝わってきて、これが現実なのだと理解せざるおえなかった。
「……本当?」
「本当です! ずっとずっと貴女が好きでした。俺なんかを知りたいと言ってくれて、俺を労わってくれて、俺を否定しない。俺をありのまま肯定して、尊重してくれる。人間らしい優しさを持つメイアが大好きです」
凄く嬉しい愛の言葉を言われているのは分かるが、どんどん腕の力が強くなっていくせいで酸素が頭に回らない。締め上げられて息がしにくい。ブルーノの言葉は耳に入るが、何を言っているのか理解するまで脳が働いてくれない。苦しくなってきたので、パンパンと体を叩いて命の危機を訴える。
「だからお願いです。別れないでください。というか別れる必要なんてないですよね。俺たち両思いなんですから。なんで別れる必要があるんですか。捨てないでください。捨てられたら俺は何のために努力してきたのか。メイアと学園を卒業してすぐに結婚するために根回しもしてたのに。ご両親の許可も貰ったんですよ。メイアを任せてもらうのに足る人間だと認めてもらったんです。なのに別れられたら、どうすれば……ってメイア!?」
ようやく私の異常に気づいてくれたみたいだが、既に私は限界だった。
遠のく意識の中。私の目に映るのは必死な顔で私に呼びかけるブルーノ。そして「ななななんで! 私が当て馬になってんのよ!!」と叫ぶ女の声だった。




