気まぐれな王子
穏やかに水が流れる川のほとりに、愛馬に水を飲ませ、長旅の疲れを労うように馬を撫でる男の姿と、その隣で同じように馬の手綱を引き、水を飲むように促す男がいた。2人とも同じような旅装いであり、腰には古い布で作成した巾着をぶら下げていた。
風の心地よさに、男は草原に大の字で寝転がった。その様子を見ていたもう1人の男が慌てた様子で声をかけた。
「ちょっ、殿下!」
「おいっ!その呼び方、やめろと言ったはずだ」
寝転がっていた姿勢からすぐさま起き上がり、殿下と呼ばれた男はもう1人の男へと声を発した。
「はっ、申し訳ありません……」
「ったく、真面目なのもどうかと思うけどな」
そう言うと、男は再び草原に寝転がった。
「で、ゴッ、ゴホン。……ジラーク様。そのように地面に横にならないで下さい」
「どうしてだい」
「その……衣装が汚れます」
「それでいいんだよ。我々は旅人なんだから」
「で、ですが……一国の王子が……」
「カマベル!何度も言わせるな。今は王子という立場ではない」
「ジラーク様……承知しました」
「あっ、そうだ!」
何かを思い立ったかのように、ジラークは勢いよく起き上がり、その場で胡坐をかいた。
「カマベル、街に着いたら私と対等に話をしてくれよな」
「な、……なんですと。さすがに、それは致しかねます」
「なぜだ。そうでもしないと、私たちが隠れて訪れた意味がなくなるではないか!」
「仰ってる意味はわかりますが……」
「王太子殿下が、護衛も付けずにのこのこと街にやって来てる、なんて噂が回るだなんて嫌だろ」
「それも一理あります、が」
「そうと決まれば、これから私と話すときは対等に、頼んだよ」
「はぁ……承知しました」
「聞こえないな」
「わかりました」
満足したのか、ジラークは目を閉じ、自然の香りを楽しむように大きく息を吸った。
「ここの空気は本当にいい」
「そうですね」
王子ジラークと従者のカマベルはしばらくの間、大自然の恵みを目で見て、肌で感じ、思う存分楽しむことにした。
「ジラーク様、もうそろそろ出立しませんと、日が暮れてしまいます」
「そうだな。ファンシールでの宿も探さないと」
「ええ」
2人は立ち上がり、それぞれの愛馬の元へと歩き出した。
愛馬へと跨り、街までの道のりを確認した後、手綱を握ったジラークとカマベルはそれぞれの馬を走らせた。
「おっ、教会が見えてきたぞ」
「もう間もなく到着しますね」
教会を通り過ぎ、道なりに進むと、目の前にはファンシールの街並みが見えてきた。街の入り口まで辿り着き、2人は馬から降りた。馬の手綱を引き、辺りを見渡しながら馬小屋を探していると、街の住民から声を掛けられた。
「旅の人かい?」
「ええ、そうです」
「馬小屋ならあそこの角を曲がったところにあるよ」
「ご親切にどうもありがとうございます」
「ただね……宿はどこも満室かもしれない」
「えっ、本当ですか?」
「あぁ」
「カマベル、どうしよう……」
「……困りましたね」
「だったら、街の外れにある教会に行くといい」
「さっき通ったところか……」
「あそこならきっと泊めてくれるよ」
「そうと決まれば早速行ってみよう!」
急いで行こうとするジラークを、カマベルが慌てて止めようとしたが、それよりも住民の方が先につっこみを入れた。
「お兄さん、馬小屋が先だろ。はっはっは」
「確かにそうでした」
少し照れくさそうに、ジラークは右手で頭を掻きながら馬の手綱を持ち、馬小屋がある方へと歩みを進めた。カマベルは、親切に教えてくれた住民に対し、お礼の気持ちを込めてペコリと頭を下げ、ジラークの後を追うように歩き出した。
住民に教えられた馬小屋に馬を預け、2人はしばらく街を散策することにした。
街中に何軒かある宿に空室があるか確認するも、住民が言ってた通りどこも満室状態だった。
「私たちのこと、誰も気付いていないみたいだな」
「それもそうでしょ、今まで外に出てなかったのですから。それに、どこからどう見ても旅人にしか見えませんよ」
「安心して散策できるな」
「油断はしないでくださいね、どこにジラーク様を狙う輩が潜んでいるかわかりませんので」
「お前のこと、頼りにしてるからな」
「……はぁ」
ジラークが幼い頃より側近として仕えてきたカマベルは、彼のことを誰よりも理解しているため、いつもながらの彼の態度に対し、終始溜息が漏れっぱなしだった。
ジラークの立場を考えると、幼い頃より厳しい教育を受けて来た彼が、今回の旅で少しでも気が休まれば良いとカマベルは思いながらも、どこか過保護になり過ぎてしまう自身に苦笑しながら、ジラークとの散策に心躍らせていた。
「今まで見たことがない食べ物や装飾品が多いな」
「そうですね」
街中には目移りするほど多くの店が立ち並んでおり、ジラークの瞳は輝きで満ちていた。食べ歩きははしたない、と思いつつも、旅人を演じるためには必要なことだと思い、ジラークに連れられて様々な食べ物を購入しては口に含んでいた。
「カマベル、今度は向こうの店に行ってみよう」
「あっちには何があるんだ」
「カマベル、これを見てみろ」
子どものようにはしゃぐジラークの姿を見ていたカマベルは、微笑ましい気持ちでいっぱいだった。そんな楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、気付けば夕暮れ時になっていた。
「ジラーク様、そろそろ教会へ向かいましょう」
「そうだな。今日はこの辺にしておこう」
教会へと向かっていると、前方から2人の方へと歩いてくる人影があった。カマベルはジラークに気を付けるよう促した。
「ジラーク様、前方から怪しい人影が来ます」
「教会の帰りだろう」
「お気を付けください」
「どこまでも真面目だね」
近づいてくる人影に怪しい動きがないことを確認したカマベルは、ジラークへと向き直り耳元で囁いた。
「特に心配はいらないかと……」
「初めからわかってたことを真顔で言うな」
教会へと向かう2人と、教会から街へと向かう1人の女性がすれ違った瞬間、ジラークは不思議な感覚を覚えた。
「ちょ……」
ジラークが声を掛けようと振り向いたが、女性は気にする素振りもなく立ち去ってしまった。
「ジラーク様、いかがいたしましたか」
「いや……なんでもない」
(あの感覚、一体何だったんだ……不思議だ)
何とも言えない気持ちを抱えたまま、ジラークとカマベルは教会へと歩みを進めた。
教会の扉を開けると、壁面に飾られた蝋燭の灯りが2人を出迎えるようにゆらゆらと揺れていた。
「ごめん下さい」
カマベルが声を掛けてしばらくすると、奥から神父らしき人物が姿を現した。
「おやおや、こんな時間に客人なんて珍しいですね」
「突然すみません。旅の者なのですが、街での宿がなく、こちらに来るように言われたのですが、しばらく泊めていただくことは可能でしょうか」
「構いませんよ、好きなだけお泊りください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
神父に案内されたのは、教会の2階にある1室だった。中に入ると、ベッドが2台置かれており、間に小さなテーブルがある、こじんまりした部屋だった。
「ご覧の通り、手狭ではありますが、こちらでも良ければご滞在下さいませ」
「こうして寝床があるだけで十分です。ありがとうございます」
ジラークの表情を見て安心した神父は続けて話をした。
「食事は教会でも準備いたします。子どもたちと一緒でよければ明日の朝、下の大広間にお越しください。それではごゆっくりとお休みくださいませ」
そのまま神父は部屋を後にした。
神父の姿を見届けたジラークは、ベッドへと腰掛け両手を天井に向け伸ばした。
「うーん、にしても、今日は疲れたな」
「長旅、でしたもんね」
「ああ。今宵はよく眠れそうだ」
「私もです」
カマベルもよほど疲れていたのか、はたまた緊張の糸が切れたのか、ベッドに横たわってすぐ、彼からは穏やかな寝息が聞こえて来た。
ジラークも同じようにベッドへと横たわり、今日の事を思い返していた。先ほどすれ違った女性のことがふと頭を過ったが、睡魔には敵わず、そのまま深い眠りへと落ちていった。
虎娘『聖なる歌に想いを込めて 気まぐれな王子』
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