600.苦い味と甘い思い出
本編600話目でございます。そして偶然にもトータル666話目です。
「ここの地区のお店に薬草を卸すことがあるから場所は知ってたんだけど、来るのは初めて。すごく面白いのね」
「そうだね。全部個人の店なのかな。扱ってる商品が珍しいものが多いね」
観光船で街の運河を一周して戻って来た二人は、再び移動してエイスの街の最端にあたる一角に来ていた。入口のところに馬車留めがあったので、乗って来た人力荷車を置かせてもらい、少々狭いが賑わっている路地に入ってみた。
そこは、二階建てで隣同志が繋がっている、細長い箱のような形をした集合住宅街が立ち並んでいる区域だった。その住宅は小さな庭が付いていて、庭と一階部分が店舗になっていた。二階部分が住居のようなので、最少単位の住居付き店舗のような構造になっている。そんな小さな店舗が路地を挟んで向かい合わせにズラリと並んでいて、どれも個人で扱っているような商品ばかりであったが、それなりに人で賑わっていた。
店先を眺めながら行くと、全く無秩序に色々な商品を扱う店が並んでいるのは何とも面白いものだった。手作りの刺繍入りの小物を扱う店もあれば、まだ土の付いた採れたてと思しき野菜がゴロゴロと並ぶ店もある。庭に椅子とテーブルを置いて、四、五人も入ればいっぱいになってしまうようなカフェもあり、香ばしいコーヒーの匂いが漂って来る。
「いい香り」
「何か飲む?」
「うん!ちょうど席も空いてるし」
「俺が座って大丈夫かな…」
「あ!あの長椅子なら大丈夫よ!あの素材ならすごく丈夫だから」
ユリが指し示した場所には、木材を組み合わせただけの簡素な長椅子が置かれていた。レンドルフの目には何の変哲もない素材にしか見えないが、ユリの方が植物に詳しいので大丈夫だろうと判断してそこに座ることにする。
「あれはイスノキって言うの。ミズホ国原産の見た目よりもずっと重くて丈夫な木材」
「そうなんだ。……あ、確かに固くて頑丈そうだ」
コーヒーと店の看板商品らしいクレープを注文して、長椅子を選んで座る。レンドルフは「念の為」と断ってからユリより先にそっと腰を下ろしていた。万一自分の体重で椅子が壊れてしまって、ユリも一緒に座っていたら怪我をさせかねないと用心したのだ。けれど長椅子はユリの言葉通り、レンドルフが座ってもビクともしなければ軋む音すらしなかった。そしてその隣にユリがヒョイと座ったが、当然のようにビクともしない。
「でもユリさんは大丈夫?固過ぎない?」
「うん、平気」
「何なら俺の方のクッション重ねてもいいよ」
固い座面の為、クッションが置いてあるのだが、それでも固さを感じる為にレンドルフはユリにクッションを譲ろうとする。長居をすればさすがに辛くなるかもしれないが、そこまで居座るような場所ではないのでユリは丁重に遠慮した。
「でも、ありがとう。レンさんはいつもそうやって気を遣ってくれて…すごく、嬉しい」
「えっ、い、いや、その…当然だと、思うから…」
クロヴァス家の者は体も大きく力も強い傾向にある為、幼い頃から女性や子供などは自分が思っている倍以上は弱いものと思うように、と繰り返し教え込まれる。他の兄弟や甥達と比べて華奢だったレンドルフも、両親や家庭教師から同じように教育されていた。すっかり大きく育った今となっては、周囲から先見の明があったと言われている。
(そうだ、他の女性には当然の義務だけど、ユリさんは違うんだ…)
不意にレンドルフは、ユリに対して気を遣うことは、他の女性に対しての身に滲み付いた習慣や義務感とは全く異なることに思い当たる。
(ユリさんには、俺がそうしたいんだ)
表に出る行動としては変わらないかもしれないが、気持ちの上ではレンドルフの認識は大きく違っていた。
身に叩き込まれた行動は、考えるよりも先に体が動く。けれどユリに対しては、大切にしたい、守りたいという気持ちの方が先に動いている自覚が、前触れもなくストンと胸に落ちて来たのだ。苦手だった対人の戦闘もユリを守る為なら一切躊躇いがなかったことも、ユリの隣にいることで本当の意味での「騎士になる」ことを意識したことも、そして先日魅了魔法に囚われていた時に迷いなくユリの姿を見ていたと思えたことも、全てが自分の中でカチリと噛み合った瞬間だった。
誰かの護衛をするとき。誰かの隣を歩いて歩調を合わせるとき。今までレンドルフにとって義務だったものが、ユリと向き合うとそれは望みになる。自分の気持ちがユリへの迷惑になるのではないかという恐れもあるが、それ以上に大切にしたいという感情が上回っている。
「レンさん?どうしかした?」
一瞬思考に沈み込んだレンドルフは、ユリが覗き込むように見上げて来たことですぐに我に返った。
「あ…その、ユリさんに、会えて良かったな、って思って」
「うん、そうね!今日はあの場所に行って良かった。こうして一緒に出掛けられたもの」
「そうだね」
レンドルフはちょうど一年前の出会いのことを言ったのだが、ユリは今日のことだと思ったようだ。それでもレンドルフにしてみればどちらも良い日なので、訂正はしないで笑いながら頷いた。
「お待たせしました」
注文したコーヒーとクレープを、店の老婦人が運んで来た。そして迷わずにレンドルフの前には甘いミルクをたっぷり入れたコーヒーとクリームを増量したベリーのクレープの皿を、ユリの前にはブラックコーヒーとクリームチーズに黒胡椒を散らした少し小さめのクレープを置いた。
「どうぞごゆっくりしていらして」
引退した貴族と言っても差し支えないくらい上品な笑顔と仕草で、老婦人は軽く一礼すると去って行った。
「まとめて注文してもらったのに、すごいね」
「うん。どっちが、とか言ってなかったのに」
二人で店の前に提げられていたメニューの書かれた看板を見てから店内に入り、レンドルフがまとめて注文をしたのだ。だからいつものように、甘い物や可愛らしい見た目のものはユリの前に置かれるものだと思っていた。そしてそれに慣れているので、笑いながら交換するのがいつもの光景だった。
そうやって交換することがあまりにも多いのでそれも楽しんでしまおうと、間違えられる回数が一定数を超えたらその店で一番高いものを追加注文する、と二人で取り決めていた。
「確かあと一回で追加だったのにね」
「じゃあ正解してくれた記念に、持ち帰りで何か追加しようか」
「焼き菓子とかも美味しそうだものね」
正解でも間違われても追加するのなら意味はないのだが、二人で楽しく美味しいものを食べられることが重要なのだ。
「このクレープ、他とは違う食感で美味しいね」
「口の中でほどけるみたいに溶けて行って…でも小麦の香りはしっかりするんだ」
「極薄のパンケーキみたい?」
「ああ、そうだね。クリームも軽いからいくらでも食べられそうだな」
「生地がほんのり甘いから、塩気のあるチーズとも良く合うよ」
「困ったな。そっちも食べたくなる」
全く困っていない様子で、レンドルフはベリーのクレープをあっという間に完食した後、チョコレートとオレンジのクレープと、ユリが食べていたチーズのクレープを追加していた。チョコレートの方はビターチョコだったので、レンドルフに勧められてユリもチョコレートのクレープを少し分けてもらった。
「こちらはサービスです。珍しい豆が入荷したので、ご紹介してるんですよ」
ちょうど食べ終わったタイミングで、老婦人がデミタスカップと茶褐色の小さな塊が乗った小皿をレンドルフ達の前に置いた。量は少ないのに、テーブルの上に置いた瞬間に香ばしさだけではないフルーティな華やかさのある香りが広がった。
「果物みたいな甘い香りがしますね。桃…アプリコット?」
「まあ、お嬢さん、よくお分かりね。素晴らしいわ」
「ありがとうございます。その、薬師見習いなので、香りについても学びますから」
「そうでしたのね。うふふ、騎士様の恋人が薬師のお嬢さんなんて、素敵ねえ」
「こっ…!?」
老婦人がニコニコしながら特大の爆弾発言をしたので、レンドルフは思わず目を剥く。
「い、いえっ!私はまだ見習いで!!」
(えっ、そこ!?)
「あらあら、失礼しました。でも仲が良くて、お二人お似合いよ」
あさっての方向のユリの主張にレンドルフは声を上げそうになったが、そこは何とか飲み込んで声には出さなかった。しかしレンドルフは耳が熱くなり、心臓が一瞬で全力疾走した後のように早鐘を撃つのを感じていた。そんな彼らの様子に、老婦人は何とも楽しそうにクスクスと笑っている。その顔には、少女だった頃を想像させるだけの無邪気さがあった。
「そちらのお皿に乗っている黒砂糖は、カップに入れずに直接齧ってからコーヒーを飲んでみてくださいね。その方がより香りが感じられますから」
「は、はい、やってみます」
彼女が立ち去ってしまうと、残されたレンドルフとユリの間に何とも言えない硬い熱をもった空気が漂った。
「え、ええと、試してみましょうか」
「そ、そうだね」
言われた通りに小皿の上に乗った黒砂糖を摘まみ上げて、少しだけ齧ってみる。そしてそれが溶けきってしまう前にカップのコーヒーを一口啜った。
「っ!」
「美味し…!」
同じ行動をしていたので、二人は同時に目を見開いた。
口に含んだ時は苦味も酸味も強く感じたのだが、口の中にあるコクのある甘みに触れると一気に角が取れてまろやかな味わいになった。
「こういう飲み方は初めて!そのまま飲んでも美味しいけど、黒砂糖と一緒の方が好きかも」
「俺も黒砂糖があった方がいいな」
「色々な豆があるのは知ってたけど、飲み方も色々なのね」
色々と感想を話していると、ふとレンドルフは思い出したように姿勢を正してユリから拳二つ分程体をずらした。
「レンさん?何かあった?」
「い、いや、その…ちょっと距離が近過ぎた、かと」
「?いつもと変わらないと思うけど」
いつも並んで座るのはミキタの店に行った時くらいで、それは座席が狭いので座る場所が限られているからなのだが、その感覚で並んでいると明らかに距離が近かったことにレンドルフは気付いたのだ。ユリとの距離感には気を付けていたつもりだったのだが、先程老婦人に恋人同士と誤解されてようやくくっついて座り過ぎていたことを自覚したのだった。
「あ、レンさん、口の端に粉が付いてる」
「え?この辺?」
「もうちょっと上の…ちょっとじっとしてて」
離れたレンドルフを不思議そうに見上げたユリは、レンドルフの唇の上に齧った時に飛び散ったのか黒砂糖の粉が付いているのを見付けた。指摘されたレンドルフが慌てて紙ナプキンで拭うが、微妙にずれていて落としきれていなかった。
ユリは自分の傍にあった紙ナプキンを掴んで、レンドルフが離れた距離よりもずっと近くに寄って、手を伸ばしてそっとレンドルフの口元を押さえた。
「はい、ちゃんと落ちた」
「あ…ありがとう」
「あ!ご、ごめんね。つい勝手に」
「い、いや、大丈夫。…ちょっと恥ずかしかっただけで」
ユリに顔を拭かれたレンドルフが見る間に赤くなったので、ユリが慌てる。そして「確かに子供扱いみたいなことしちゃったもんね…」と内心反省していた。
実際レンドルフが赤くなったのは、ユリがレンドルフの顔に手を伸ばす為に体をピタリと寄せて来て、更に無意識なのかユリの手が太腿の上に乗せられたからだった。
そんな二人の様子をそっと伺っていた老婦人は「やっぱり若い恋人同士はいいわねえ」とほのぼのした気持ちで、店主の夫が差し出して来た淹れたてのコーヒーを別のテーブルに運んで行ったのだった。




