597.将来と成長
「受かったあぁぁーーーー!!!」
ユリは思わずレンドルフに抱きついて叫んでいた。その弾力のある背中の筋肉に顔を埋めると、レンドルフの高い体温がジャケット越しにも伝わって来る。ぴったりと密着しているせいで、呼吸に合わせてレンドルフの胸が上下しているのもハッキリと分かる程だった。
「ユ、ユリさん。受かったって、もしかして…」
「そう!薬師の!一次試験に受かったの!」
「えっ!そうなんだ!おめでとう、ユリさん!」
「もうもうもう!通知が遅かったから、どうなってたかと思ってたの!」
薬師の資格試験は、合否問わずに受験者全員に結果が通知される。しかし定かではないが信憑性のある話として、合格者への通知を優先して、その後に不合格者への通知手続きをするというものがある。前回の試験で不合格だったユリに通知が来たのは約ひと月後だった。今回は試験を受けてから三ヶ月近くが経過していた。ユリが不安になるのも仕方がなかった。
「ユリさん…その、ちょっと危ないから、降りてもいい、かな」
「あ、ごめんね。嬉しくてつい」
ちょうど人通りはないとはいっても、道端である。そんなところで後ろから抱きついているユリを見られるのは彼女の名誉的によろしくないと、レンドルフはしがみつかれているユリの手をそっと上から包み込んでやんわりと外す。
「い、今通り過ぎたところに公園があったから、そっちで休憩しようか」
「うん、そうするわ。ちょっと落ち着かないとね」
そう言いつつもまだ興奮しているのか、ユリの頬は紅潮して目も心なしか潤んでいた。あまりにもフワフワした様子だったので、レンドルフが手で押して歩き始めたので荷台から降りかけたユリを「危ないから」と慌てて制止して荷台に乗せたまま移動する。
エイスの街でも初めて来る地区で、公園一つにしてもよく行く場所とは全く違っている。その公園は特に遊具は置かずに、代わりに背の高い巨木を植えてあって、その木陰で人々が休めるように手入れをされていた。木の下にはきちんと手入れされた少し長めの芝生が敷き詰められていて、そこに敷物を敷いてピクニックのように楽しむ目的の為に作られているのは一目で分かる。
荷台には元からユリが座る為に敷物やクッションなどを乗せているので、それを芝生の上に広げて整えた。レンドルフはそれを広げる時に、こっそり土魔法を使って地面を平らにしておいた。こうしておけば、座り心地がかなり違って来る。
その準備を終えると、レンドルフは馬車の時と同じように許可を取ってユリを抱え上げて荷台から降ろした。ただ、馬車とは違って一旦上に持ち上げる必要があったので、横抱きに近い体勢になる。いつもの立ったままの姿勢を保って降ろすだけとは違って、一旦全身を預けるような状態になるのでユリの軽さと華奢さに改めて気を引き締める。そして先程背中に感じた柔らかさも思い出してしまい、顔に熱が集まって赤くなってしまう前に速やかに荷台から抱え上げた。
肌触りの良い敷物の上にユリを丁寧に降ろしてから、周囲に誰もいないことを確認してレンドルフがサッと立ち上がった。
「俺はちょっと飲み物を買って来るよ」
「え、それなら一緒に」
「走って行くからすぐに戻るよ。ユリさんはここで待ってて」
「うん…ありがとう」
あっという間に走り去って行くレンドルフの大きな背中を見送りながら、ユリは先程届いた合格通知を胸に抱きしめていた。
(これで目標に一歩近付いた…近付いたってことは…)
まだ一次試験に通過しただけで、二次試験は更に難関になるのですぐに正式な薬師になれるとは限らない。薬師の資格試験は、そもそも一次だけでも受けられるようになるには数年の修業期間が必要になる。自分が師事する薬師の元へ弟子入りをするか、学園都市の中の薬学部で専門的な知識を学ぶことで、ようやくスタートラインに立てるようなものだった。
そこから筆記と基礎的な実技の一次試験を突破した者だけが次に進める。二次試験は実技がメインではあるが、筆記もかなり高度になり、問題数が少ないだけにそこを疎かにすると痛い目を見る。
一次、二次とも年に二回試験は実地されるが、実技で使用する薬草や素材は自分で準備してその目利きも問われる為、天候不順や大規模な災害が起きた年などは素材不足になるので年に一度になることもある。そして二次試験を受けるには一定の制約があって、一次試験に受かってから最大四回以内、最長三年の間に二次試験に合格しなければ、一次試験の合格も白紙に戻されることになっていた。そこからまた一次試験に受かれば再び三年の猶予が得られる。
(あと、三年以内に合格を目指して……そしてレンさんに本当のことを話す)
ユリは薬師になれたら、自分のことをレンドルフに話すと決めていた。レンドルフはユリが話したくないことはそのまま隠していても構わないと告げてくれているのだが、そのままではユリ自身が苦しいと感じていた。それはただの自己満足で、嘘を吐く苦しさから逃れたいだけなのかもしれない。それでも、人伝や噂などでレンドルフの耳に入るより、自分の手で区切りを付けたかったのだ。
(ううん、合格しなくても、ちゃんとレンさんに言わなくちゃ。レンさんは優しいから、私が薬師になるまで何年でも守ろうとしてくれるだろうけど…でも、それに甘えてこの先縛り付けちゃいけない)
一年前、ユリとの出会いと何気ない言葉が自分が思うよりも傷付いていたレンドルフの救いになった。レンドルフはそのことを感謝してくれているようだが、ユリからすればもっと昔に出会った時にレンドルフに救われたことを返したようなものだ。それからレンドルフは自らの力で立ち直り、この国の騎士として最大の名誉である永年正騎士にも選ばれた。そんな輝かしい将来のあるレンドルフを、自分が足枷になってはならないとユリは思っていた。
ユリの身分は王族に次いで高い大公女ではあるが、大公家を継ぐこともない上に出自も体質も特殊でお荷物にしかならない存在だとユリ自身は自覚している。だからせめて家門の役に立てるようにと考えて、辿り着いた答えが薬師を目指すことだったのだ。
「レンさんには、もっと…」
「お似合いの女性がいるはず」と呟こうしたが、喉の奥が引き攣れたように声が途切れる。今のレンドルフにそんな気配はないが、考えただけでも胸の奥の魔力が揺らぐようだった。
向こうから両手に紙コップを持ったレンドルフが小走りにやって来るのを目にして、ユリは慌てて沈みそうだった思考を追い払った。今は薬師への第一歩を踏み出せた記念すべき日で、そこに居合わせてくれたレンドルフに一番最初の祝いの言葉をもらったことを喜ぶべきだろう。
「お待たせ!温かいオレンジティーとアップルティー、どっちにする?」
「え、ええと…アップルティーを」
「熱いから気を付けて」
「ありがとう、レンさん」
今日はすっかり春めいて天気もよく、体温の高いレンドルフには上着もいらないくらいだろう。それでも体温の低いユリの為に温かいものを選んで来てくれたのだ。
ユリはそんなレンドルフの気持ちごと両手で包み込むように、そっと紙コップを受け取ったのだった。
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「まだタイちゃん復活してないの〜?」
「食うモンは食ってるんだけど、どうにも調子が戻んないみたいでね」
「また成長期なのかしらね」
「かもね」
誰もいない店のカウンターに座って、クリューはミキタが作っている煮込みのフツフツと揺れる表面を眺めていた。ミキタは慣れた様子で、焦げ付かないタイミングで時折その鍋をグルリと混ぜては別のメニューに使う野菜を刻んでいた。
いつも午前中に店を開けて、途中休むことなくランチから続けて夜の営業をしているミキタの店だが、ここ最近はランチを休んでいた。
毎年この時期は、森の魔獣の繁殖期で爆発的な増殖を防ぐ為にエイスの街では大規模な定期討伐が行われる。これは国が後ろ盾になってギルドと共に一定の補助金を参加者に確約することで、多くの冒険者を集めているのだ。その為、一年の間で最も人が増え、商売をしている者はまさにかき入れ時だ。
正式に討伐が始まるまでにはまだ二週間程先にはなるが、拠点となる良い宿泊施設を押さえたり、エイスの森の下調べを行うなど、もう既に街には冒険者が増えつつあった。
ミキタの店も安くて旨いものが食べられると冒険者の間でもそれなりに人気であるので、ランチタイムの営業を止めているのは痛手ではあるが、それよりも彼女にとって重要なことがあったのだ。
「タイちゃんが静かだと落ち着かないわぁ」
「ああ、あの子が静かな時は大抵とんでもないことをしてたからね」
ミキタは片方の口の端を軽く上げて、困ったような顔をしながらチラリと視線を上に向けた。しかしその目はいつもの鋭さは微塵も無く、深い愛情に彩られていた。
先日の地震で、一部の者が酷く体調を崩したり、人事不省に陥った。その者達の共通点は、強い魔力を持っていたり、亜人種の血を引いていたということが分かっている。ただ該当者が必ずという訳でもないので、魔力属性が関係しているのではないかと調査中らしい。
その体調を崩した者の一人が、「赤い疾風」のリーダーでもあり、ミキタの末の息子でもあるタイキだった。
タイキはミキタとは血の繋がりはなく、ただ亡くなった前夫がダンジョン内で発見した拾い子だ。そして彼は、竜種の血を引いている。本来ならば生物として決して交わることのない種族と言われているのに、何故竜種の血を引いているのかは赤子であったタイキには知る由もない。
ただ今は、彼が不当な扱いを受けないように大公家が後ろ盾となり、経過観察ということで一冒険者として比較的自由に過ごしていた。
そのタイキが、エイスの街の定期討伐に参加をする為に戻って来た際に地震に遭遇し、一時期は意識不明になっていたのだ。幸い一日程度で目を覚ましたが、不調が続いているらしく幼い頃暮らしたミキタの店の二階で寝込んでいた。
「今度はどう『成長』するのかしらね。服とか用意しておく?」
「外に出る気力はないみたいだから、変化が出てからでもいいだろ」
タイキは特殊な血のせいか、成長の仕方も人族とは異なっていた。赤子の頃はまるで時間が止まったかのように成長が遅かったのだが、急な熱を出してそれが数日続き、やっと下がったと思ったら一気に数年分成長していたのだ。トータルで見れば成長度合いは人族と近いようだったが、徐々に成長するのではなく一気に育つのが特徴だった。その成長の直前には、必ず大きな怪我や病気などがあったため、おそらく体の危機に体を成長させて対処しているのだろうというのが大公家から派遣された医師の見解だった。
ただ、五年程前に誘拐同然に貴族に攫われかけたタイキは、それも体の危機と判断したのか、実年齢を越えてしまう程の成長を見せた。おかげでまだ未成年であるにもかかわらず、タイキの見た目だけは20代の若い青年になってしまった。しかも言動は子供っぽいが、黙って佇んでいれば細身でミステリアスな美形の為、タイキのことを知らない街に行くとしょっちゅう若い女性から熱い視線を受ける程だ。
そんなこともあって、これまでは実年齢に追いつくような形で成長していたのでそういうものかと周囲は思っていたが、今はどう成長するのか分からないという認識に置き換えた。
そして今回は地震の余波かもしれないが、その後の様子を見るに成長期が来るのではないかと思われた。
「タイちゃんはおっさんになってもイケメンだと思うのよね」
「あいつはハゲでも腹が出ても可愛いまんまだろ」
「おぉ〜母の愛」
「……何でオレがおっさんになる前提なんだよ…」
クリューとミキタの会話に割り込むように、真っ青な顔をしたタイキがフラフラと二階から降りて来て、恨めしげにボソリと呟いた。
「あらぁ、タイちゃん。まだまだ若々しいわぁ」
「だからぁ、今回のはそーいうのじゃねぇの!……てて」
「ほら、無理すんじゃないよ。上で大人しく寝といで」
「ずっと動かねえと…腐りそうだ…」
「ヤダ、褥瘡!?」
「違えよ!」
「ほら、クリュー。あんまり揶揄うんじゃないよ」
「はぁい」
タイキは言い返す気力もなくした様子で、苦々しい顔でこめかみの辺りを手で押さえた。
地震後に意識を取り戻してから、タイキ曰く「ずっと頭痛と息苦しさがある」とのことだった。食欲は衰えないのだが、動き回っていると締め付けられるような感覚になるそうだ。
異種族の血を引いたタイキは、通常の薬は効かない。だからいつもは何かあると大公家から直々に特別に体質に合わせたものを調合してもらって服用しているのだが、これまでは効いていた薬も今は効果が芳しくないようだ。
「兄貴は…?」
「バートンと一緒に薬草採取。何でもあちこちで薬草の在庫が減ってるらしくてね。タイキの薬を融通してもらってる分くらい、御前にお返ししないとね」
「そっか…で、クリューはそっち行ってねえの?」
「だって、採取場所は山間部よぉ?ムリムリ〜」
「…だな」
クリューは攻撃魔法には長けているが、身体強化魔法が不得意で体力があまりない。その為、険しい場所に行く際にはバートンが背負って移動する。それでも普段は攻撃力の高いタイキが前衛を務めているので問題ないのだが、今の状況ではクリューを連れて行くのは得策ではないと、満場一致で留守番することになったのだった。
「とにかく、ミスキが帰るのは夜だから、また大人しく寝てな」
「……何か食いたい」
「あとちょっとでこの煮込みが出来るから、部屋に持って行ってやるよ」
「分かった」
どうやら空腹の為に起きて来たらしいタイキは、大人しくミキタの言葉に従ってノソノソと階段を上がって部屋に消えて行った。
「一度大公家でキッチリ調べてもらった方が良さそうだね」
「食欲はあるから大丈夫そうに見えるけど、タイちゃんにしては長引いてるもんねえ」
ミキタは鍋の中のジャガイモに串を刺して煮え具合を確かめると、火を弱めてミルクを注いだ。そして火の前から離れるとカウンター越しのクリューに向かって手招きをする。クリューが招かれるままに身を乗り出すと、ミキタは彼女の耳元に口を近付ける。
「ほら、獣人の中には発情期が来る種族もいるだろう?」
「え?タイちゃんがそう、って…?」
「竜種の血統なんて誰も知らないだろ?だから、かもしれないってね。一応御前には調べてもらおうと思ってさ」
「まあ…そう、ねえ。それもまた成長期だもんねえ」
クリューはうんうんと感慨深げに頷く。女手一つで息子三人を育てることになったミキタの傍で、クリューも子育てを一緒に奮闘して来た戦友であり、第二の母なのだ。
「そうやって大きくなって、親離れするものなのねえ…」
「全く、年を取る筈だよ」
何故か二人は揃ってしんみりした空気になってしまい、それからしばらく経って再びタイキが恨めしそうな顔で「腹減った…」と降りて来た為に、ミキタにしては珍しく慌てた顔になっていたのだった。




