593.驚愕の事実、間違った前提
「え、ええと、失礼しました」
思わず出てしまった大きな声に、クロウは慌てて咳払いをする。そして赤い顔をして俯いているレンドルフをそっと見やったが、彼の様子は冗談を言っているようには見えない。
「レン殿は、どうして知られたくないんです?たとえばお家の事情とか…」
「そうではないんです」
レンドルフはフルフルと頭を振る。
「…その、クロウさんは幻覚を見る相手がどういうものかは、ご存知ですよね…」
「それはまあ、一応騎士で魔獣と戦うこともありますから」
ハーピーやセイレーンなどの幻覚魔法は、掛けた相手の「一番大切な存在」を見せるのは有名ではあるが、魔獣とは無縁な生活を送っているものは知らないこともある。逆に騎士や冒険者などはほぼ全員が知っている。
「そのことはユリさんも知っている筈で…だから知られたら迷惑が掛かるかと」
「はあ…俺はレン殿がお嬢さんに迷惑を掛けるようには見えないんですけど」
「……以前、ユリさんに縁談の話があったんです」
「そうなんですか!?」
クロウには初耳だったので思わず目を丸くしたが、すぐに大公女ならばいくらでも縁談は来るだろうと納得する。それはレンザや家令などが全て潰しているのだろうが、もしかしたらその中の一つが偶然レンドルフにも耳に届いてしまったのかもしれない。
「それは打診の段階で断ったそうですが、ユリさんはその時に、薬師の資格が取れるまではそういったことは全く考えていないと言ってたんです」
「あー」
「俺はそれを応援すると、ユリさんの防波堤に、守る壁になると決めたのに…その壁が気持ちを向けるなんて迷惑じゃないですか」
「それは、まあ…」
「壁ならともかく、こんなデカい男に気持ちを向けられてたなんて、ユリさんにとってみれば恐怖以外何ものでもないでしょう」
「さすがにそれはないと思いますけど…」
「ユリさんが治療に立ち会ったってことは、俺が彼女の幻覚を見ていたって知られたからじゃないかと思うと…どう顔向けしたらいいか」
とうとうレンドルフは両手で顔を覆ってしまった。
幼い頃は華奢な美少女にしか見えなかったレンドルフは、見ず知らずの相手から必要以上の好意を向けられることが多かった。好意だけならまだマシは方で、ねっとりとした欲望を向けられて来たこともあった。いくら華奢でも男であったので、どうにか体力に任せて走って逃げることも出来たが、それでも望まない好意の押しつけが恐ろしかったことは肌に染み付いている。
それが小柄な女性であるユリからすれば、体力も腕力も桁違いの男性からの望まない感情はどれだけ恐怖の対象になるか、レンドルフには想像も付かない。そんな思いをさせてしまったかもしれないかと思うと、レンドルフは居たたまれない気持ちで一杯になっていた。
そんな風に落ち込むレンドルフ当人はあくまでも真面目なのだが、聞いているクロウは反応に困って遠い目をしてしまっていた。
(え?そこ!?そこからなのかよ…)
レンドルフはユリに対しての好意を隠しておらず、しかし強引に迫るような真似をせずに紳士的な距離感で接していて、ユリもそんなレンドルフに心を許して互いにゆっくりと距離を縮めている関係、というのが周囲の認識だった。だからこそ周囲は背中を押したいが微笑ましく見守りたい、という相反する眼差しで二人を見ていた。
だからレンドルフを知る者は、誰もが幻覚魔法でユリの姿を見ていると当然のように思っていたのだ。魅了や幻覚に囚われた者を現実に引き戻すには、本物を見せることが最も有効な治療法なので、治療計画の中に当然のようにユリと会わせることを想定していた。ただすぐに引き合わせて、箍が外れて本能のままに襲いかからないとも限らないという懸念もあって様子を見ていただけで、会わせないという選択肢は最初からなかった。
けれど今のレンドルフの様子を見るに、ユリに対する気持ちが知られていない前提でいたらしい。
(あれだけ隠しもしないのは潔いとすら思ってたのに、隠してたつもりだったのか、あれ!?)
今更判明した驚愕の事実に、クロウは内心叫ばずにはいられなかったのだった。
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「お待たせしました……って、何してるわけ?」
ひたすら顔を隠しているレンドルフをクロウが懸命に「何も触れずにいつもと変わらない態度でいれば大丈夫!」と励ましているところにようやくセイナが顔を出したのだが、何とも不可思議な様子につい口に出してしまった。
「あ、い、いえ、大丈夫です」
「………そう」
頷くまでに大分間があったが、セイナとしても面倒そうなのでそのままスルーすることに決めたようだ。
本来レンドルフを治療する担当は、大公家専属医師マードックか、この治癒院で治癒士長を務めているアキハなのだが、二人とも都合が付かずに代理として副院長のセイナが診てくれることになっていた。
しかし彼女は副院長という肩書きだけでなく、一医師として多くの患者を診察している。その忙しい合間にレンドルフの診察も引き受けてくれたのだ。
「では、早速だけど、少し体に触れても?」
「はい、お願いします」
セイナは医療に特化した上位の鑑定魔法を使いこなす。手を触れなくても診察することは可能だが、直接触れて魔力を流した方がより精度の高い結果を得られるのだ。
白衣の裾を靡かせてツカツカとレンドルフに近寄ると、セイナは座っているレンドルフの顔を覗き込むようにして首元に触れる。そこから顔、耳と順番に触れて、軽く目の下を引き下げて目の中をジッと観察する。癖のない黒髪に夏の木々のような鮮やかな緑の瞳という組み合わせのセイナに、レンドルフは先程まで話題に上っていたユリのことを思い出してしまい、思わず視線を泳がせてしまった。
元々セイナの実家のハイダー家はアスクレティ大公家の末端分家の一つで、ユリとは薄いが血縁関係だ。だから色の組み合わせも近いのだ。
「うん、体に問題はないね」
レンドルフの服越しに背中や腕にも触れて、セイナはニッと笑ってみせた。いつもキリリとした精悍な表情の彼女だが、笑うと途端にクシャリとした笑顔になるので急に親しみやすく、印象が真逆になる。
「ありがとうございます」
「ただまあ、精神的な部分は鑑定で見えるものじゃないから、しばらくは気持ちが落ち着かないこともあるかもね。不眠や急な動悸、原因不明の不調が出たら、すぐに診てもらうように」
「はい」
「それと、血液検査の方も異常なしだったよ。ただ、神殿の方から別に調べさせてもらいたいって要請が来てるんだけど、採取した血液を回していいかな」
「構いません。不足があればいつでもどうぞ」
「助かるよ」
セイナは一通り診察を終えると、既に用意してあった書類にその場でサラサラと書き込んで、インクが乾いたのを確認してから丁寧に封筒に詰める。
「では、これを王城騎士団に提出してください」
「はい、確かに。ありがとうございました」
「レンくんは災難だったね」
「こうして無事だったので、問題はありませんよ」
労るようにセイナに言われると、レンドルフは全く曇りのない笑顔で答えた。
この後は大公家に出す報告書を書いてもらうということでクロウは残り、レンドルフは先に出ることにした。その際に、まだ袋の中に残っていたパンを渡されたので、まだ胃袋に余裕のあるレンドルフはありがたく袋を抱えて退出したのだった。
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「…なかなか青春してたじゃないか」
「ちょっ…!聞いてたんですか?」
「下手に介入しない方がいいと思ってタイミングを計ってた」
レンドルフが去った後、軽く喉の奥で笑いながらセイナはサイドボードの中からガラス製の灰皿を引っ張り出して、テーブルの上に置いた。
「ちょっとくらい助け舟出してくれても良かったと思うんですけど?」
「アキハだったら喜々として飛び込んでただろうね」
「それはそれで面倒ですね」
クロウが肩を竦めると、更にセイナは楽しげに笑って懐から出した煙草を口に銜えた。そこにタイミングよくクロウが人差し指を差し出し、指先に小さな火を点す。これは生活魔法の一つで、蝋燭や竈に火を点す初歩中の初歩な魔法だ。セイナは煙草の先を火種に近付けて、ゆっくりと息を吸う。
「ま、鈍いにも程があるが、あれくらい純情な方がユリちゃんには丁度いいだろうさ」
「お、セイナさんもあの二人をくっつけたい側ですか」
「御前以外は大体そうじゃないか」
「言えてますね」
セイナは静かに紫煙を吐いて、灰皿の縁に吸いかけの煙草をそっと置く。
ユリが育児放棄をされて、大公家に売りつけられるように王都へ連れて来られたのは三歳の時だった。けれど一度も会ったことのないレンザは当時引き取りを渋り、自ら手を挙げた母方の生家に引き取られた。が、そこでは大公家から義務で渡される養育費を着服し、長らく虐待を受けて洗脳状態にあった。それが明るみに出て、大公家に引き取られてからまだ十年も経っていない。
「医療の」大公家の威信を掛けてユリの体は回復することが出来た。だが、心の方はなかなか厄介だった。
ユリは祖父レンザ譲りの記憶力を活かして、短期間で多くのことを学び、周囲の人々の行動からも心の動きを読み取って模倣していた。抑圧された期間が長く、洗脳の為に違法薬物まで使用されていた為に、自分から感情を動かす経験を獲得して来なかった影響だ。だから一見すると普通に受け答えをしているように見えるが、ユリの身近にいた者は彼女が機械人形のように心の動きを真似ているだけと気付いていた。
こればかりは時間薬以外に手段がないので、少しずつ様々な経験をしてユリに人間らしさを学んで行ってもらおうと、周囲はユリに良質な環境を与えて真綿で包むように守り、成長を見守って来た。
その中で初めて自分で「薬師を目指したい」という望みを口にし、多くの人の協力もあって彼女の心の時間は少しずつ動き始めていた。そんな中で出会ったレンドルフの存在は、ユリを一気に人形から人間へと変えた。
人真似ではない喜怒哀楽が自然に発生し、彼のことで一喜一憂する様子は、かつての彼女を知る者からすると驚きの成長ぶりだった。
だからこそ、つい強引にでもレンドルフとの仲を取り持ってしまいたくなる者も多いのだが、当人達の気持ちを無視しては良い結果にはならないと日々やきもきしているのだった。
「御前も内心は応援してると思うよ?でも、今のところユリちゃんは唯一の直系で、大公家の大切な姫君。そうそう簡単には行かないことは分かってるからね」
「貴族ってのは厄介ですね」
「アンタも貴族の生まれのくせに」
もともとクロウは伯爵家の嫡男だったが、貧乏過ぎて平民と変わらないような生活をしていた。しかし結界魔法を扱えるということで、大公家の護衛に引き抜かれたのだ。その際の条件として、クロウが伯爵家から籍を抜いて大公家に仕える代わりに、生家への莫大な援助と大公家の寄子として名を連ねることを許されるという破格のものだった。
その為、後継を妹に譲って身分は平民と変わらないものになったが、存外貴族よりも水が合っていたらしく、クロウは護衛騎士として充実した日々を送っている。
セイナは置いた煙草をもう一度銜えて軽く吸い込み口の中で煙を転がしてから、まだ半分以上の長さがあったがそのまま灰皿の底でギュッと火を揉み消した。そしてテーブルの上に置いてあったペンに持ち替えて、大公家に提出する報告書に取りかかる。
「あ、ところでさっきレン殿の血液を神殿がどうとか言ってましたけど、何か問題でもあったんです?」
「ああ、去年の春頃、レンくんは毒蛇に噛まれてるんだよ。ユリちゃんがその場にいたから適切に解毒したけど、この大陸にはいない強毒性のヤツだったから経過を確認したいんだと」
年中雪と氷に閉ざされる島の固有種である寄生蛇と呼ばれる猛毒の蛇で、それを密輸しようとしていたテイマーにレンドルフは襲われたのだ。密輸と襲撃は別の依頼だったが、どうやらテイマーは密輸の蛇を依頼主に渡すついでに襲撃の依頼も受けていたらしい。ただ欲をかいた報いか、レンドルフに返り討ちにされている。
その際に、その蛇が逃げ出してユリを庇ってレンドルフが噛まれたのだった。
「それ、ウチでも出来ますよね?何で神殿が」
「テラ神官長直々の申し出でね。レンくんの治療に携わったから、気になるんだと。それにあの神官長なら鑑定魔法はあたしより上だし」
「あの大神官長ですか…レン殿もまた次々と大物を引き寄せますね」
テラ神官長とは、国内で神殿の頂点に位置する中央神殿の神官長で最長の在位であるレイのことだ。エルフの血を引く不老長寿で多種多様な魔法を使いこなす、現神殿内のトップの存在と言ってもいい。正式に存在する役職ではないが、彼のことは通称「大神官長」で通じる。レイはユリの治療にも携わり、レンザとも親しい間柄だ。
けれどレイ自身は権力には頓着せず、中央神殿所属ではあるが一年の大半は旅暮らしをしている。そしてオベリス王国内の神殿を巡っては、人々のために治癒や祈りを捧げていた。
「色々な人を惹き寄せるけど、同時に厄介事にも好かれてるみたいだけどね」
セイナは喋りながらも報告書を書き上げ、最後に自分の名をサインしてクロウの方へとズイ、と差し出す。まだインクが乾き切っていないので封筒にはしまえず、クロウは紙の端を摘んでヒラヒラとさせて乾燥を促進していた。
「別邸の方にはしばらく行けてないけど、問題はなさそう?」
「一応屋敷の修復と追加の付与は先週終わらせましたし、魔道具の不調も解消してます。ただ、担当者が屍みたいになってましたけど」
「死んだとは聞いてないから、大丈夫そうだね」
「御前のご帰還で、俺は神の国を見そうになりましたけどね」
クロウは、レンドルフが王城に帰還したのと入れ替わりに戻って来た当主のレンザのことを思い出して、フルリと背筋を震わせた。
誰かに当たり散らすようなレンザではなかったが、その分押さえても押さえきれない威圧を含んだ魔力が駄々漏れていたのだ。そして誰もが予想を越えた魔獣襲撃であちこちが壊れてしまった別邸を見て、実にいい笑顔で「これを今後に活かすようにね?」と言われた時は、使用人全員が「まだ怒鳴られた方がマシだった」と口を揃えて呟いたのだった。




