591.それぞれのパートナー
レンドルフは、フリアイのことは知識として知っていたが、見たことも遭遇したこともない。かつて父のディルダートが一度だけ遭遇したと話は聞いているものの、ハーピーの上位種であるフリアイは数が圧倒的に少ないのだ。その為、多くの魔獣がいる国境の森を領地に含む北の辺境領のベテランの猟師でさえ、対峙したことはおろか、見たことがある者もごく僅かだ。
それにフリアイは水属性の魔法を操り、隠遁魔法で自分の姿を不可視化することが出来るので、近くにいても気付けない場合も多い。
「ギルドから、お前と…その、パートナーが協力して討伐したと報告を受けているのだが」
「パ、パートナーですか…」
「引っかかるのはそこではないだろう」
妙なところで顔を赤らめるレンドルフに、レナードは半分呆れつつ、いつもと変わらぬ様子に半分安堵する。
「大公家の別邸の敷地内を襲撃した魔獣の中にフリアイが混じっており、大公家の護衛と居合わせた冒険者が討伐に成功した、と報告が上がっている。そして解体を請け負ったギルドからも、フリアイにとどめを刺したのは火魔法の使い手で、傷口からすると焼きながら通常の三倍近い幅広の獲物で一気に首を落としたもの、と」
レナードの話を聞くと、確かに該当するのは自分のような気がしたが、レンドルフには全くその記憶がない。
「あの…申し訳ないですが、どうも怪我をした前後の記憶が抜け落ちていて、フリアイのことも覚えがないのです」
思わぬレンドルフの返答に、レナードの顔から表情が抜け落ちた。レナードはレンドルフがどれだけ頑丈か知っているので、ひょっとして報告にあったよりも相当酷い怪我を負っていたのではないかと思い当たる。そして思わず立ち上がって済まなさそうに項垂れるレンドルフの頭を掴んでしまった。
「団長!?」
「染めている訳ではなさそうだし…お前、本物だよな?」
「何を仰っているのですか」
「いや、ひょっとして死に戻ったか、アンデッド化でもしているのかと」
「いくら何でもそれは無理があります」
その気になればレナードの手など簡単に振り解けるだろうが、敢えてそうせずに困った顔をしたまま大人しくしているレンドルフに、レナードは掴んでいた手を緩めて放す直前に一度だけクシャリと柔らかな髪を撫でた。
「珍しい上位種で、魔石も無事だったそうだから、ギルドがもっと詳しい話を聞きたがってな。レンドルフが覚えていないとなると、大公家に聞いてもらうしかないな」
「お役に立てず、申し訳ありません」
「謝るな。フリアイを倒しただけで十分な手柄だ」
レナードは立ち上がって執務机の引き出しから何かを取り出すと、レンドルフの前にポンと置いた。見ると、フルーツの蜂蜜漬けだった。一度乾燥させた柑橘類を漬け込んであるらしく、透き通った上等の蜂蜜が金色に煌めいていて、レンドルフは思わず見入ってしまった。
「これは私からのご褒美だ」
「…俺は子供ではありませんよ」
「いらんなら引っ込めるが」
「ありがとうございます」
レンドルフは素直にその瓶を大切そうに受け取った。
「当分は王都も落ち着かないので遠征に出ることはないだろうが、体調は大丈夫か?」
「問題ありません」
「まあそれでも、念の為に王城専属医師の診察を受けておいた方がいいだろう。話を通しておくので、診断書を提出するように」
「来週の休日に、エイスの治癒院で検査をしてもらうことになっていますが、診断書はそちらからでもよろしいでしょうか」
「ああ、構わん。ただし、その前に不調が見られたら医務室に連行するようにワシニカフ副団長に言っておくぞ」
一人の平騎士に対して随分と過保護だとは思いつつも、それもありがたいことだとレンドルフは頭を下げたのだった。
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「レンさんの説明するの、忘れてた…」
ユリはレンドルフが王城に戻った日の夜に届けられた手紙を読んで、自分の失態に頭を抱えてしまった。
レンドルフからの手紙には、別邸を襲撃した魔獣の中にフリアイがいて、ユリとともに討伐をしたという話を上司から聞いたと綴られていた。
あの襲撃では一部の魔獣が操る厄介な魅了や幻覚魔法に耐性のないレンドルフが、大公家の護衛騎士の誰よりもその厄介な魔獣であるハーピーを多く討伐するという戦果を挙げていた。しかしそれが公になると、耐性がなくてもハーピー討伐隊に選出される可能性がある為、それをさせない為にわざとレンドルフの活躍の部分は報告書から削ってもらったのだ。だが、フリアイだけはレンドルフが首を大剣で落とした為に、誤摩化しようがなかった。それでもフリアイ一体だけならば、ユリと一緒に討伐したことにすれば今後の影響は少ない筈だ。
報告を上げる立場にあったステノスに頼んで内容を誤摩化してもらい、それをユリからレンドルフに説明して口裏を合わせておく予定だった。しかし魅了から離脱したレンドルフは、フリアイはおろかハーピーとの戦闘の記憶がごっそりと抜け落ちていた。
下手に説明をして、レンドルフの辛い記憶を掘り起こす必要はないだろうとユリは話していなかったのだが、彼の容態に気を取られていてフリアイのこともすっかり失念していたのだ。
「今度、会った時に詳しく説明する、で、いいかな…」
手紙の様子だと、レンドルフは話を聞いても思い出した様子はない。そのことに安堵しつつ、ユリは急いでフリアイ討伐のことについては「大公家の人達と協力して、最終的にレンさんが首を落とした」と概要だけ書いて送ることにした。もし騎士団で詳細が必要ならば、大公家が窓口になってくれるとも書き添える。完全に丸投げだった。
(メイド長なら何とかしてくれるわよね?)
そんなことを考えながら、レンドルフと次の約束をするべく手帳を開いたところ、ルドカードから小さく何か連絡があったことを知らせる音が鳴った。
「お知らせ?ギルドから…」
点灯しているランプを確認すると、ギルドからのお知らせだった。そろそろ始まるエイスの定期討伐についてかと思い、ユリは何の気なしにメッセージの中身を確認する。
「っ!」
そのお知らせは、レンドルフと組んでいる冒険者パーティ「レンリの花」への報酬の振込だった。冒険者パーティの運営方法は各々の裁量だが、一般的なものはメンバーで共有の口座を設定して報酬の支払いを受け、そこから必要経費や各メンバーの報酬を分配したりするものだ。ユリとレンドルフのパーティもその方式を採用しているので、こうしてギルドから振込があるのは珍しいことではない。が、ユリが思わず息を呑んだのは、その額が妙に大きかったからだ。
その金額は、ランクとしてはCランクで中堅の「赤い疾風」がひと月程の定期討伐で稼ぐ額に少し届かないといった程度だ。
「え…!?特に最近は依頼受けてなかったよね…」
首を傾げつつ詳細が書かれているメッセージを開くと、日付は百花祭の翌日の報酬で、フリアイ討伐と記載されていた。
ギルドからの報酬は、依頼を達成したり、持ち込んだ素材の買い取りなどが主だ。今回のフリアイは持ち込み素材に当たるが、非常に珍しい上位種であり、その上魔石がほぼ無傷で残されていたのだ。それはもう解体前からあちこちで高値で買い手がついたであろうことは、ユリにも想像が付いた。
ひとまずこの報酬の大半はレンドルフの取り分だ。ユリはフリアイを自分の特殊魔力を餌におびき出して足留めをしていたくらいで、とどめを刺したのはレンドルフなのだ。それに実際は二桁を越えるハーピーの討伐もしているのだから、その分を含めればもっと報酬は多かった筈だ。
いっそ全額を渡してしまってもいいくらいだとギルドカードを眺めていると、再びメッセージの到着があった。
確認すると、その相手はレンドルフだった。中身を確認すると、まるで彼のオロオロする口調が聞こえて来るような戸惑いと困惑に溢れたメッセージが綴られていた。記憶がないとは言え、もっと胸を張ってもいいのに相変わらず控え目なレンドルフに、ユリは思わず口角が上がってしまった。
「…どう返信しようかな」
少しだけ悩みつつ、ユリはレンドルフのそのメッセージをまずはしっかりと保存したのだった。
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レミアンヌは、間に合うように特急便で届けられたドレスを纏って夜会に参加していた。今のオベリス王国の主流とは違う意匠のエンパイアラインではあるが裾をフワリと広げたレミアンヌのドレスは、淡いペールブルーの色味のせいか派手に目立つことはなかったが、目敏い人間はすぐさま食い入るような視線を向けていた。
胸元の布は少しだけ濃い水色で、裾に向かって白に近くなる緩やかなグラデーションで繊細に染められていて、裾周りにはキラキラとシャンデリアの光を反射する小さなビーズが縫い付けられている。そのビーズは実は極小の魔石で、聖女の魔力が込められている「聖女の清浄」だ。その石の重みで軽すぎる生地に程良い重みが生じ、動く度にまるで光と風にさざめく水面のような印象を与えた。
オフショルダーでやや背中が大きく開いているが、艶やかな長い髪をダウンスタイルにしているのでほぼ隠れている。むしろ動く度にチラリと白い肌が覗くところに控え目な色香を醸し出していた。
(レンドルフ様は…いらっしゃらないのね)
半分予想通り、半分落胆した気持ちでレミアンヌは視線だけで夜会の会場を見渡した。王城でもっとも広いホールに多くの貴族が参加しているので全体を見通すことは出来ないが、レンドルフの体格ならばいればすぐに見つかるだろう。
今日の夜会は、学園を卒業した若者達のデビュタントと社交シーズンの開始を告げる大規模なものだ。本来はもう少し早い日程だったのだが、地震の影響で王都の行き来が制限されていた為に一週間遅れて開催されたのだ。そのせいで数名が王城でデビュタントを迎えられなくなってしまった為、該当者は別の機会に王家から何らかの救済措置が与えられることになっていた。
「ユリアネ嬢、私と踊っていただけますか」
エスコート役を頼んでいた同じ国から留学して来た侯爵令息とファーストダンスを終え、この国での後見人である公爵夫人と歓談をしていると、第二王子エドワードが恭しくレミアンヌに手を差し伸べて来た。ほんの一瞬ではあるが、息を呑むような空気が周囲に流れた。
レミアンヌが国交のない遠いオベリス王国に留学して来たのは、世界有数の教育機関である学園都市で学ぶこともあったが、エドワードとの縁談も含まれていた。もし王族との縁が繋がれば、有益な国交を結ぶことが出来るのではないかという両国の思惑もあった。ただそれは、レミアンヌがレンドルフを見て卒倒するという事件を引き起こして始まる前に白紙になった。当初は大事に発展しかけてしまったが、どうにか互いに落としどころを見付けて、現在は何事もなかった態で落ち着いている。
ただやはり情報収集を重要視して多くの子飼いの諜報員を持っている高位貴族は、ある程度事情を知っている。だからこそ、一度縁談が白紙になったエドワードがレミアンヌにダンスを申し込んだことに周囲は驚きを隠せなかったらしい。
レミアンヌは一瞬目を見張りそうになったが、そこは自国でも王太子妃候補にもなったほどの淑女教育の賜物で、さも当初の予定通りだといわんばかりに優雅にその手を取った。レミアンヌの落ち着いた様子に、周囲は「きっと王家が異国の公爵令嬢に気を遣ったのだろう」と勝手に察してくれた。実際は一切そんなことも聞いていなかったので、レミアンヌは「報!連!相!重要!!」と内心必死に叫んでいたのだった。
光り輝く真っ直ぐな金髪を首の後ろで束ね、黒を基調にした正装を纏ったエドワードは、溜息が出る程に麗しい理想の王子像そのものだった。エドワードの瞳に合わせた色味のアイオライトが中央に嵌め込まれた白金のブローチから繊細なチェーンがサラリと揺れ、僅かな動きにも華やかな輝きを添えている。
レミアンヌをエスコートして行くと、自然にホールの中央が空いて人々の視線が集まる。しかし二人はさすがに互いの国で最高峰の教育を受けているだけあって、まるで慣れ親しんだ相手のように気負った風は微塵も感じさせずごく自然にダンスを踊り出した。その優雅なステップに、思わず周囲から溜め息が洩れる。
「…お探しの相手は本日は不在ですよ」
曲が中盤に差し掛かって、周囲もダンスに興じる数が増えて来た頃、エドワードは殆ど口を動かさずにレミアンヌだけに聞こえるように囁いた。
「何故、そのようなことを?」
「彼を捜す者は、皆同じような動きをします」
確かにレミアンヌは、人より頭一つ大きなレンドルフを探す為に少し上方を見ていた。しかし目立たないようにレミアンヌは動きには気を付けていた筈だ。それを目敏く気付いたと言うことは、どれほど見ていたのかと思わずレミアンヌの目の奥に冷ややかなものが浮かぶ。
「あ、い、いやその、私も同じ人物を捜していたもので」
レミアンヌの視線に気付いたのか、エドワードは慌てて続けた。そこでちょうど曲が終わった。
「……その、あちらでもう少しお話をしても?」
「…ええ、光栄ですわ」
少しだけ困ったような表情のエドワードに誘われて、レミアンヌは何事もなかったように美しい淑女の笑みを浮かべて頷いたのだった。
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エドワードにホールの上方にある王族専用の休憩場所に案内されて、レミアンヌは上から下げられたカーテンの影で顔が見えなくなる位置のソファに腰を下ろした。
休憩場所と言ってもバルコニーのような場所で、多少カーテンで遮られているものの完全な死角になることはない。誰が誰といるのかは外から全て分かってしまう。ただ王族が親しい相手と私的な会話を楽しむために設えられた場所なのだ。とは言え、貴族の中には読唇術に長けた者もいれば、傍には給仕や侍女も控えている為、そこまで込み入った話が出来る訳ではない。
エドワードが給仕に酒精のないカクテルと軽く摘めるものを頼むと、レミアンヌのはす向かいに座る。きちんとした距離を保っているので誰の目から見ても誤解は受けないだろうが、それでも婚約者のいない王子と異国の公爵令嬢の組み合わせは、十分すぎる程の注目を浴びているのは分かる。
すぐにテーブルの上に美しく盛りつけられた小さなフィンガーフードが並び、鮮やかな赤いカクテルの入ったグラスが置かれた。置いてある時点でも、甘酸っぱい華やかな香りがレミアンヌの鼻をくすぐる。給仕に問うように視線を向けると、「新鮮なイチゴを絞り、蜂蜜とレモンを加えて炭酸水で割ったものでございます」と伝えて来た。レミアンヌが果物の中でも殊にイチゴを好むことは知られているのだろう。
エドワードが話が聞き取れないくらいまで給仕を下げ、しばらくは他愛のない話をしていた。やがて下のホールからの視線も薄れて来た頃、エドワードから話を切り出した。
「ユリアネ嬢は、彼に何か?」
「ご挨拶をしたかっただけですわ。その…あれからしばらく過ぎましたし、改めて」
「謝罪ではなく?」
「…非公式ではありますが、既に済ませております」
レミアンヌは少しだけ探るようにエドワードを見つめた。
レミアンヌの目的は、レンドルフに北の辺境で異変が起こっていないかを確認してもらえないかと頼む為だった。そしてもし可能ならば、国境の森を挟んだ隣国ガリヤネ国にも確認が取れないかと話を持って行くつもりだったのだ。これをレンドルフに頼むのは我ながら図々しいと思うが、この国だけでなくこの大陸が危機に陥るかもしれないのだ。
レンドルフの噂はレミアンヌ自身も多少は収集して、貴族らしからぬ素直な性格であると聞き及んでいる。それならば、王族に嫁げるだけの知識と社交術を叩き込まれたレミアンヌにすれば、顔を合わせてしまえば丸め込める相手だと考えていた。
良心が痛まないと言えば嘘になるが、それでもレミアンヌはレンドルフを利用すると決めたのだ。たとえ誰にも理解されなくても、巡り巡って彼を救うことになるのだと言い聞かせて来た。
だが、これに王家を介在させるわけにはいかない。もしかしたらただの杞憂に終わるかもしれないのだ。それならばそれで、レンドルフには何らかの形で詫びをしてから帰国し、もう彼を煩わせることのない距離を取るつもりでいた。それにレンドルフには故郷の次期大聖女の予言と嘘を吐いて北の辺境の危機を匂わせるので、それが王家に知られればいくら口止めをしたところであちらの王家にも伝わるのは確実だ。これ以上親友に負担を掛けるわけにはいかない。
「その…同じ謝罪仲間なのかと思ってしまって…失礼した」
「はい?」
周囲には気付かれないように爽やかな王子スマイルを保ったままエドワードがそう言い出して、レミアンヌは表情が崩れそうになってしまうのを誤摩化す為に、急ぎつつも優雅にパサリと顔の前で扇子を広げたのだった。




