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【9話】おむすびをきみに 4

 

 午後6時40分。


 ピンポーン。


 チカのいる203号室のドアホンのチャイムが鳴った。


「チカ、もどってきたわよ」


 チカがドアを開けたとたん、


「ちゃんこ鍋、おいしかった?」


 アルルが訊(き)いてきた。


「ごめん、じつはまだ食べてないの」


「食べてない? どうして食べなかったの?」


「それは……」


 ユウマは人の夢から生まれた魔物じゃないのか? 


 それが黒雲のように心を覆(おお)い、なにも食べる気になれなかったのだ。


「まあいいわ。お鍋は二人前あるんですもの。一緒に食べましょう」


 冷(さ)めたちゃんこ鍋をアルルが温め直しているとき、


「ねえ、アルル」


「なに?」


「ユウマって、人の夢から生まれるの?」


 見えない手で心臓をつかまれたみたいにアルルの動きがとまった。


「クラスメイトが教えてくれたの。ユウマは人の夢から生まれた魔物なんじゃないかって」


 チカはモリオから聞いた話をアルルにつたえた。


「もしユウマが本当に人の夢から生まれるなら、夢を持つことはすばらしいことなんかじゃない。むしろ、しちゃいけないことだよね?」


 チカはうつむきながら、


「夢なんて持たないほうがいいんだよね」


 想いを吐き出した。


「たしかにユウマは人の夢から生まれる魔物よ」


 すこし間(ま)を空けて、アルルがいった。


「この世から夢がなくなることはない。だからユウマとシャサールとの戦いは永遠に続くものなの。でもね、チカ。これだけは覚えておいて」


 あたたかいものがチカの手をつつみこんだ。


 アルルの手だった。


 顔をあげると、いつのまにかアルルがチカのそばにいて、手を握ってくれていた。


「ユウマとの戦いで命を落としたシャサールは数えきれないほどいる。でもね、人間を恨むシャサールはひとりもいないわ。どうしてかわかる?」


「……わからない」


「それはね、人間が好きだからよ」


 まっすぐな目と言葉だった。


「いままで夢を叶えた人をたくさん見てきた。夢をあきらめた人もたくさん見てきた。たとえ種類がちがっても、彼らが流すなみだをシャサールは流せない。だから、なみだはわたしたちにとって、宝石以上に価値のあるものなの」


 シャサールはなみだを流せない。


 けど、そのときのアルルの目には薄い膜(まく)のようなものが張って、うっすらとにじんでいるように見えた。


「空を飛ぶこと、深い海に潜(もぐ)ること、遠くの人と話すこと。人間は夢を持つことで、不可能と思えることを可能にしてきた。それはけっして過去の話じゃないわ。これから先も、ずっとずっと続いてゆくことなの」


 握った手を、アルルは自分の胸に持っていった。


「チカ、夢は持つことを怖がらないで。だいじょうぶ。あなたの夢に人殺しなんてさせない。夢の狩人として、わたしが責任を持って狩ってあげるわ」


 そして、やさしくほほ笑みながら、


「だから夢を持っていいのよ」


 そういってくれた。




 夢を持っていいのよ。




 その言葉を聞いたとき、チカの目からなみだがこぼれた。


 アルルの言葉が、胸を覆(おお)っていた黒雲を吹き飛ばしてくれたのだ。


「えぐっ……うぐっ……あ、ありがとう」


 チカはしゃくりをあげながら、礼をいった。


「わたし、夢なんてないけど、でも、夢を持ってもいいって言ってもらえたのが、すごくうれしくて……」


 なみだは目の奥からあふれつづけ、テーブルにポタポタと垂れ落ちた。


「自分の好きなことを見つけてもいいんだ。なりたいものになってもいいんだ。そう思えたら、すごくうれしくなって……なみだもとまらなくなって……」


 グウゥゥゥ!


 なみだと一緒に、いきおいよくお腹がなった。


「うれしくなったら、急におなかも空いちゃって……」


「あなたらしくて、いいじゃない」


 アルルがクスッとほほえんだ。


「ありがと。だからさ、アルル。一緒にちゃんこ鍋を食べようよ」



 ★  ★  ★  ★  ★



 鶏肉(とりにく)のうま味と野菜の甘みがたっぷり染みこんだアルル特製のちゃんこ鍋は、まさに横綱級のおいしさだった。


 ちなみに、ちゃんこというのは鍋だけでなく、力士が食べる料理すべてを指(さ)す。


 だからプリンだろうがハンバーグだろうが、力士が食べれば、みんな、ちゃんこなのだ。


「おいしい。こんなにおいしいお鍋はじめて」


「そうでしょ。なにせ時(とき)葉(ば)山(やま)直伝のちゃんこ鍋ですもの」


「え? 時葉山ってたしか……」


「そう。ユウマと相撲を取った力士よ。そして、このちゃんこ鍋のつくり方をわたしに教えてくれた人でもあるの」


「教えてくれたって……。だって時葉山って100年ぐらい前のお相撲さんでしょ? そんな人に、どうやって、ちゃんこ鍋のつくり方なんて教えてもらうの?」


「あら、いってなかった? わたし、こう見えても226歳なのよ」


「にひゃくにじゅうろく?」


「ええ。よく歳(とし)の割に、見た目が若いっていわれるの」


 アルルが自慢げに笑った。


「以前(まえ)に一度、わたしとエンリルは日本の防衛についていたの。そのときにトキさんが生んだユウマと戦ったのよ。おそろしいほど強いユウマだったわ」


 いつのまにか、アルルの顔から笑いが消えていた。


「ユウマとの戦いはいつも命がけだけど、本気で死を覚悟したのは、あの人のユウマがはじめてだったわ」


「で、でも勝ったんだよね?」


「なんとかね。こんなに強いユウマを生みだす人はいったいどんな人なのかしら。そう思って、時葉山に興味を持って、相撲を観にいったの」


「それでハマった」


「ええ。斧(おの)牛(うし)部屋(べや)に稽古を観にいったこともあったわ。そこでトキさんが、あなたとおなじスペシャルだって知ったの」


「じゃあ、時葉山はアルルの本当のすがたを見えてたの?」


「そう。本場所中は、毎日、会場に足を運んでいたから、不思議な格好の女の子が相撲を観に来ているなって、思ってたみたいよ」


 そう話すアルルの目は、ここではなく、どこか遠くを見ているようだった。


「戦うときの心がまえ。心(しん)・妓(ぎ)・体(たい)の重要性。トキさんからは大切なことをたくさん教えてもらったわ」


「そうなんだ」


「ちなみにユウマが夢から生まれる魔物だってことをトキさんに教えたのはわたしよ。だれにもいわないって約束だったけど、たぶん、お酒が入って、ついうっかり話しちゃったのね」


 アルルは肩こそすくめたが、本気で時葉山を責める気はないようだった。


「だから、このちゃんこ鍋はわたしにとって、大切な人との思い出が詰まった特別な料理なの。たとえ味がわからなくてもね」


「どういうこと?」


「シャサールは味(み)覚(かく)がないの。そのくせ食事をとらないと生きていけない。不便なからだでしょ」


「…………」


 アルルの自虐にどんな反応をしていいのかわからず、チカは口をつぐむことしかできなかった。


「そんなわたしにトキさんはていねいにちゃんこ鍋のつくり方を教えてくれたわ。『料理を味わえないなら、おいしい料理で人を笑顔にしてあげればいい』その言葉がなければ、わたしはだれかに料理をふるまおうなんて思わなかった」


 話のあいだ、アルルは茶碗によそったちゃんこ鍋を見つめていた。


 そんな彼女を見ながら、チカはちゃんこ鍋のスープを一口すすった。


 おいしい。


 けど、それだけじゃない。


 胸がすごくポカポカして、やさしい気持ちが湧きあがってくる。


 こんな体験はじめてだ。


(アルルに料理をつくってあげたい)


 そう強く思った。


 味はわからないかもしれない。


 それでも、チカはアルルに料理をふるまいたかった。


 自分がやさしい気持ちになれたように、料理でアルルの心をあたためてあげたかった。


 席を立つと、チカはボウルを取りに食器だなへ向かった。


「チカ?」


「待ってて。いま、おむすびをつくるから」


 ごはんをボウルに入れたあと、キレイに手を洗って、チカはおむすびを握った。


「わたしね、アルルのつくったちゃんこ鍋を食べて、すごくしあわせな気持ちになったの」


 ぎゅっ ぎゅっ ぎゅっ。


 気持ちをこめて、お米を握る。


「それはたぶん、アルルが食べる人の笑顔を想像してつくったからだと思う」


 アルルが小さくうなずいた――ような気がした。


「わたし、料理できないから、こんなのしかつくれないけど、それでもアルルに食事をたのしんでもらいたい。わたしがつくった料理でアルルを笑顔にしてあげたい」


 塩をまぜただけのおむすびを、チカはアルルにさしだした。


「味はわからないかもだけど……食べてくれるかな?」


「もちろんよ」


 アルルは、チカの気持ちを味わうように、ゆっくりとおむすびを食べた。


「ありがとう、チカ」


 口のまわりにお米をつけながら、アルルが礼をいった。


「このおむすび、とってもおいしいわ」




 その言葉とアルルの笑顔を見た瞬間、チカの胸に小さなぬくもりが芽生えた。


 おいしい。


 その言葉をもっと聞きたい。


(もっともっとおいしい料理をつくって、アルルを、そして世界中の人をしあわせにしたい)


 心の底からそう思った。


 強い想いは、胸に芽生えたぬくもりを、いつしか燃えるほどの熱さに変えていた。


(料理人になりたい。いや、ぜったい料理人になってみせる)


 そう自身に誓(ちか)ったとき、胸の熱さが爆発。


 心という宇宙に夢が誕生した。




 どんなにものにも、かならず光の部分と影の部分がある。


 それは夢だっておなじ。


 夢の誕生は同時にユウマの誕生も意味する。


 けど、チカは恐れなかった。


 だいじょうぶ。


 わたしはわたしの夢を叶えていい。


 なりたい自分に手をのばしてもいい。


 なぜなら、この世にはシャサールがいるから。


 人間が好きで、夢が持つ影の部分だけを刈りとってくれる大切なともだちが。



(つづく)



更新は毎日おこなう予定です。

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