おむすびをきみに 2
つぎの日、チカは熱が出た。ミホ姉の風邪がうつったのだ。
風邪をうつした本人は元気になったが、チカは高熱でダウン。学校をやすんだ。
朝はそれなりに高かった熱も、お昼になると下がり、自慢の食欲も回復。
時間がたつにつれて元気がもどってきた。
午後5時。
チカがリビングでテレビを観ていると、ドアホンのチャイムが鳴った。
「チカ、開けなさい。わたしよ」
モニターに映っていたのは、両手に買い物袋をさげたアルルだった。
「朝、お姉さんに会って、熱が出たって聞いたわよ。わたしが夕食をつくってあげるから、ドアを開けなさい」
きょうも両親は帰りが遅くなるし、ミホ姉も部活の練習で早くはもどれない。
(夕食をつくってもらえるなんてラッキー!)
チカはいそいでドアを開けた。
「あら、思ったよりも元気そうじゃない」
「うん。ところで夕食って、なにをつくるの? 牛フィレ肉のステーキ?」
「斧牛部屋伝統の鶏塩ちゃんこ鍋よ」
「なーんだ、ステーキじゃないのか」
「病人に、そんな脂っこいもの食べさせるわけないでしょ」
部屋にあがると、すぐにアルルは調理にかかった。
「できたら呼ぶわ。それまでゆっくりしてなさい」
こども部屋にいてもヒマなだけだし、なによりゴスロリドレスの美少女がちゃんこ鍋をつくるすがたが気になって、チカはアルルと一緒にいることにした。
「これは斧牛部屋に代々つたわる秘伝のスープよ」
アルルが、スープの入った水筒をバッグから取り出した。
「ある力士から、つくり方を教えてもらったの。スープだけは市販のものじゃなくて、こうして自分で一からつくることにしてるのよ」
水筒を見せびらかしながら、アルルが得意げにいった。
自分でスープをつくるだけあって、アルルの料理の腕はたいしたものだった。
華麗な包丁さばきで鶏肉の皮をはがし、サクサクと心地よい音を立てて野菜を切り刻む。見ていて気持ちがよくなるほどの手際の良さだ。
下ごしらえがおわり、あとは煮込むだけというとき、またドアホンのチャイムが鳴った。
モニターを見ると、きのう、チカにマッドマンの話をしたオカルトマニアの根岸モリオが廊下に立っていた。
「ごめん、ちょっと待ってて」
いそいでチカは玄関に向かった。
ドアを開けると、
「やあ、未来のパートナー!」
ピンクのダウンジャケットを着たモリオが、ねっとりと笑いかけた。
「へんな言い方やめてよ。いったよね、わたし、オカルトには興味ないって。あと、ここマンションだから、あんまり大きな声ださないでよ」
「ごめんごめん。ところでチカちゃん、もしきみは自分の夢が怪人になったら、どうする?」
「え?」
「じつは新しいマッドマンの話を仕入れたんだ」
モリオがポケットからスマホを取りだした。
「オカルトサークルのメンバーが星影ミツルの日記を修復してるってのは、きのういったよね。これは修復した部分を、ぼくが読みやすいように、メンバーのひとりが書きなおしてくれたものなんだ」
そういって見せたスマホの画面には、ひらがな多めの文章が映っていた。
「この日記は、時葉山がマッドマンと相撲を取った数カ月後に書かれたものなんだ」
日記の内容はこうだった。
事件から数カ月後。
ひさしぶりに再会した星影と時葉山は、あの日とおなじように行きつけの料亭で食事をとっていた。
「そういえば、あの泥まみれの化け物に会った日も、こうして食事をしていましたね」
「ああ」
「いくらあなたが横綱でも、まさか化け物相手に白星をあげるとは思いませんでしたよ」
「星影くん、あれはただの化け物じゃない。ユウマだよ」
「ユウマ?」
「ああ。人の夢が生んだ魔物さ」
そういうと、時葉山は太い指でテーブルに夢生魔と書いた。
「人が夢を持ったとき、日本のどこかでやつらは生まれる。強い関取になりたい。立派な横綱になりたい。あのユウマはそんな力士の夢から生まれた魔物なのさ」
そして遠い目をしながら、
「あいつの力は相当なものだった。いったい、どの力士の夢から生まれたんだろうな」
そう静かにつぶやくのだった。
「それ、ほんとのことなの?」
チカは穴が開くほどモリオの顔を見つめて、たずねた。
信じられない。というよりも信じたくない。
自分には夢なんてない。
けど人間が、あんな恐ろしい怪人を生みだしているなんて思いたくなかった。
「ユウマって、ほんとに人の夢から生まれてくるの?」
「まさか! これは時葉山の冗談だよ」
モリオが笑いながら、スマホを振った。
「心霊写真コレクションを賭けたっていい。これはぜったい時葉山の冗談だね」
「どうしていいきれるの?」
「チカちゃん、考えてごらんよ。人類が誕生してから、これまでいったい何人の人間が夢を持ってきたと思う? もし夢の数だけマッドマン――あえてユウマといおうか。そいつらがいるなら、みんな一度ぐらいはユウマを見たことがあるはずだよ」
「あ……」
「にもかかわらず、ユウマに関する資料は世界中にまったくといっていいほど存在しない。ということは、ほとんどの人がユウマを見たことがないってことだろ。だからユウマが夢から生まれるはずなんてないのさ」
どうやらモリオはマナがユウマの発生を抑えていることを知らないらしい。
「きのう、マッドマンと侍が戦っている絵を見せたよね。きっと時葉山も、あの絵を本かなにかで見たことがあったんだよ。あの絵の作者は夢路馬ノ助。夢と馬という字を合わせると夢馬って読めるよね。時葉山はそこから発想を得て、マッドマンのことを夢生魔っていったのさ」
モリオは自信満々に話すが、チカには上の空だった。
「とっさにこんな言葉遊びを思いつくなんて、時葉山って力士は、そうとうユーモアのある人だったんだろうね。オカルトの研究をしていると、ときどき、こういったユーモアに満ちた人や話に出会うことがあるんだ。それを未来のパートナーに知ってもらいたくて、自転車を飛ばしてきたんだよ」
モリオはダウンジャケットの袖で汗をぬぐうと、
「それじゃあ、ぼくはもう帰るよ。ママの手作りビーフシチューが待ってるからね」
鼻歌をうたいながら、上機嫌で帰っていった。
しばらくのあいだ、チカは玄関で立ちすくんでいた。
ユウマは人の夢から生まれた魔物。
もし、それが本当なら、夢を持つことはすばらしいことなんかじゃない。
人を襲う魔物を生みだす最低の行為だ。
(聞かなくちゃ。ユウマの正体をアルルに聞かなくちゃ)
チカはリビングに走った。
「あのね、アルル。聞きたいことが――」
けど、リビングにアルルのすがたはなかった。
ベランダにつながる窓が開け放されていて、白いカーテンが風になびいて幽霊のようにゆらゆらと揺れている。ダイニングテーブルには、殴り書きのメモが残されていた。
【用事ができたわ。ちゃんこ鍋はできてるから、ひとりで食べていて】
そのメモを手に取り、チカはひとりつぶやくのだった。
「夢って、持ってもいいものなのかな……」
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。




