9.もう一人の聖女
「おい、聖女。いい加減俺のところに来い! 可愛がってやるぞ」
私は今、窮地に立たされている。厄介なのに捕まってしまった。ヴェールの裏で、どうしたものかなと遠い目をしている場合ではない。
エマ様が別の侍女に呼び出しされたので、部屋までの距離もそうないしと、一人でのこのこ歩いていた隙をつかれた。あと少しというところで、にやにやと嘲うオルヴィス殿下に行く手を阻まれたのだ。こうなってくると、エマ様の呼び出しも、オルヴィス殿下の策略かもしれない。
オルヴィス殿下のほうがよっぽど綺麗な顔立ちをしているのに、何故私なんぞに構うのか。そのうち飽きるだろうと思いきや、オルヴィス殿下は結構粘着質だ。
ぞんざいに扱えば手が付けられないほどに激怒するのが目に見えるし、優しくすれば増長する。王子様の取り扱いって、一体どうしたらいいのだろう。いくらルクス殿下の庇護下にあるとはいえ、下手なことをして不敬扱いされたらたまったものではないし、実家に迷惑をかけたくない。なお、ルクス殿下は参考にしてはいけないことくらいなら、私にもわかる。
穏便に済ませなくてはとまごついているうちに、オルヴィス殿下にがしりと腕を掴まれた。まだオルヴィス殿下は少年の域を出ないが、それでも男性だ。振りほどくことは叶わないし、力加減も下手で腕が痛い。女性をエスコートするとか、そういう頭はないのだろうか。
「……っ! 殿下、お願いです。おやめください!」
「はぁ? お前まで俺に口答えする気か。エマといい生意気なんだよ。王族に対する礼儀ってものを、俺がたっぷりと教えてやる!」
オルヴィス殿下は、聞く耳を持ってくれない。独りよがりな傲慢さをぶつけてくる。
力任せに無理矢理連れていかれそうになったその時、ふと風が舞った。
気が付くと、オルヴィス殿下の手は私から離れ、代わりにルクス殿下がオルヴィス殿下の腕を掴んでいた。
「やめないか。女性に対する扱いがなっていないぞ」
「いたたたたた! お、叔父上……いつの間に!?」
どこからともなく現れたルクス殿下に、オルヴィス殿下は驚愕に目を見開いている。直前まで彼の気配は一切感じられなかったから、転移魔法を使ってやってきたに違いない。ルクス殿下は現在執務の最中のはずだから、わざわざ抜け出してきてくれたのだろう。
ルクス殿下は腕を振り、オルヴィス殿下を押し返し距離を取った。たたらを踏んだオルヴィス殿下は、ルクス殿下を忌々し気に睨んでいる。だが、ルクス殿下はどこ吹く風。守るように私の肩を抱くと、掴まれていた腕に手を添え、痛々し気に眉を顰めた。
「ああ、赤くなっているじゃないか。可哀想に。オルヴィス、女性は丁寧に扱えと教わらなかったのか」
「そ、そいつが俺の言うことを聞かないから悪いんです!」
「悪いも何も、無理に言うことを聞かせるものじゃないだろう。全く、僕の大切な女性に何てことをするんだ」
ルクス殿下は、そのまま赤くなった肌に唇を這わせた。ひええと、緊迫感にそぐわない声を漏らしそうになってしまった。ヴェールを被っていて、つくづく助かった。オルヴィス殿下を撃退するためのパフォーマンスだとわかっていても、心臓に悪すぎる。
「くっ……また邪魔をしやがって……!」
「再三、彼女に近づくなと忠告をしているだろうに、お前も懲りないな」
ルクス殿下の視線の強さに圧倒されたのか、オルヴィス殿下はうっと怯む。
「ッチ……そんな風に余裕でいられるのも、今のうちですよ、叔父上」
分が悪いと踏んだのだろう。オルヴィス殿下は行儀悪く舌を打って捨て台詞を残すと、マントを翻し去っていった。
「何だ、あいつ……」
ルクス殿下はいささか呆れ気味だが、私はほっと胸を撫でおろした。とにかく高圧的な存在がいなくなったというだけで、息がしやすい。
「殿下、助けてくださりありがとうございました」
「甥がすまなかったな。エマは?」
「侍女長から呼び出しがあって、偶々外していたんです。まさか待ち伏せされるとは……」
「エマに何度かガードされているから、業を煮やしたか。まあ、何事もなく無事でよかったよ」
「殿下が颯爽と現れてくれて、驚きました」
まるで物語に登場するヒーローのようで、思わずどきどきしてしまった。状況が状況なだけに、口に出すには憚られるものの、抱き寄せられた胸は意外にもがっしりしており、この腕の中にいれば絶対に大丈夫だという頼もしさに包まれていた。残念なところも多い彼だが、さすが王族。オルヴィス殿下に対峙する真剣な横顔は、とても様になっていた。
そんなことを考えていたら、ルクス殿下が悪戯っぽく目を細めた。そのまま、ごく自然な動作で私の髪を一房救い上げ、口づけを落とす。
不意打ちに、私は言葉を失った。
「なっ!?」
「君のピンチとあらば、どこにでも駆け付けるよ」
が、すぐにルクス殿下は、眉を下げて申し訳なさげに苦笑を見せる。
「いつでも、と胸を張って言えないのが、歯がゆいところだけどね。だから、なるべく一人にはならないようにして」
「は、はい。申し訳ありません」
「よし。じゃあ、すぐそこだけど、僕が部屋まで送ろう」
「ありがとうございます」
差し出された掌に、私はそっと掌を重ねる。オルヴィス殿下とは比べ物にならないくらい、安心できるエスコートだった。
* * *
光魔法、その中でも治癒を使える人物は稀有だ。過去に治癒魔法持ちが強制的に囲われ惨劇が生まれたため、特に貴族は属性を秘匿している可能性もあるが、ノルンディード王国で現在確認されている光属性は現在4人いる。私と、神殿に所属する巫女長様、王宮魔導士長とその娘さん。うち王宮魔導士長は攻撃特化型。3歳になる娘さんは、属性は判明しているもののまだ魔法を使えない。私以外に治癒ができるらしい巫女長様は、もう随分とお年を召していらっしゃる。
――その隠れていた存在が、急遽表舞台に出てきたのは、果たして何の思惑あってのことか。
「もう一人の聖女?」
ディディエ様が持ち込んだ噂は、眉を顰めるものだった。
「ええ。昨日の安息日に、神殿で大々的に民たちに治癒を施したそうです。その様があまりに神秘的だったから、民衆が『聖女』と騒ぎ始めているらしく……」
「ああ、それなら私も小耳に挟みましたね。その場にいた負傷者すべてを一瞬にして治したとか。だいぶ話を盛っているのかと思っていましたが……」
「ええ、そのようです。クロード様もご存じでしたか」
その場にいた全員が、政務の手を止めざるを得なくなった。私も、手にしていた仕分けの書類を、殿下の机の上に置く。
祈りのために朝神殿に伺った際、どこか雰囲気が浮足立っていたのは、そのせいだったのか。
「ディディエ、噂の収集はきちんとしてきているのだろう?」
「もちろんです、殿下。で、その『聖女』とともにいるのが、どうやらオルヴィス殿下だそうで」
その場にいた全員が、渋い顔をする。またお前か、というげんなりした空気に変わった。つい先日抗議を入れたばかりだというのに、オルヴィス殿下は聖女にしょうこりもなくちょっかいをかけては、ルクス殿下やエマ様に撃退されている。めげずに懲りずにアタックしてくる不屈の根性は凄いが、そういう才能は別のところで発揮してほしかった。
「アイツは……。で、肝心の聖女は一体どこから連れてきたんだ? そうそう見つかるものでもないと思うが……」
「それが、聞いてびっくり、ミレディ・グラマティク公爵令嬢とのことです。いやー、想定外のところが組みましたね」
「はぁ!? どういうことだ!?」
珍しく声を荒げたルクス殿下が、ばんと机を叩き腰を浮かせた。衝撃で書類が零れ落ち、私は慌ててそれを拾う。どれもこれも耳を疑う話ばかりで、殿下も困惑を露わにしている。
ミレディ様というと、先日嫌味を投げてきたあの人か。確かに外見だけ鑑みれば、私なぞよりよっぽど聖女らしく、そして悪い意味で貴族らしい貴族という印象だ。
一瞬すれ違った私ですら、そう感じたのだ。多少なりとも付き合いがありそうなルクス殿下や側近の方々には、もっと違和感が生じるだろう。
平民に対して、わざわざ治癒を施してあげるようなタマか、と。
「そもそも、グラマティク公爵家は中立派ですよね? オルヴィス殿下に手を貸す理由がない」
「ええ、じゃあグラマティク公爵令嬢の独断……? あの末っ子育ちのお花畑お姫様に、そんな頭あるかぁ?」
「もしくは、公爵が弱みを握られたか……。そのあたりは、私が探りをいれましょう。ディディエは、引き続き市井も合わせて噂の収集を頼みます」
「ああ、任せておけ」
ディディエ様とジャック様が、役割を分担しとんとんと話を進めていく。このお二人は殿下の一つ下で、同い年なのもあって仲が良い。
「公爵家が隠匿していたにせよ、さすがに不自然ですね。しかも、ただの《治癒》ではなく、グラマティク公爵令嬢が《範囲治癒》を使ったのであれば、相当の魔力の持ち主ではないですか?」
「だから、そんなの知らない! 僕が視た限りで、グラマティク公爵令嬢にそこまでの魔力など、生まれてこの方ないはずだ。覚醒したのか? いや、そんな、バカな……」
クロード様の問いに、ルクス殿下はありえないと首を振る。殿下には魔力感知のスキルがあるから、誤魔化すことはできない。
つまり、何か裏がある。こくりと誰かが息を呑む音が、執務室に響き渡った。
ルクス殿下は一つため息をついて、深く座り直し背もたれに身を預けた。ぎっと椅子が音を立てる。
「はあ。嫌な予感しかしないぞ。……巫女長様は? 神殿でそんな勝手は、いくら王族といえども許されないだろう」
「私とエマ様が今朝伺ったところ、現在神官長と共に、西部神殿へ出張中だと仰っていましたが……」
「不在の隙を突かれましたわね」
完全に後手に回ったのは、こちらとしても失態だった。第二王子派の動きがかなり早い。スタンピード対策を優先し、手が足りていなかったというのは、言い訳にしかならない。
「……『聖女』を乗っ取るつもりか」
窓の外には暗雲が立ちこめ、いつの間にか降り出した雨が、ぱらぱらと大地を濡らした。
* * *
そもそもの話、王弟殿下が打ち立てた策は、実のところ消極的なものだ。私は自ら聖女を名乗ってはいないし、やっていることだって基本的に光魔法による治癒のみ。しかも、たった1日4時間の期間限定ときている。
ただ、伝承の『聖女』らしさをアピールすることで、あたかも聖女が誕生したかのように自然に仕向けただけ。偶像として民衆の心に拠り所を作り、スタンピードの脅威に対抗するための時間を稼ぐというのが、本来の目的であるからだ。そうやって、混乱を招かぬよう慎重に情報を開示していった。
だが、それを逆手に取られたわけだ。
とはいえ、現状相手方の情報が少なすぎて、こちらとしても身動きのとりようがない。何食わぬ顔をして、日常業務を続けるだけである。
(とんでもないことになってきたなあ……)
私はルクス殿下から託された手紙を持って、騎士団までお使いにやってきた。側近の皆様方がにわかに忙しくなったので、私が配達を買って出たのだ。
護衛の心配をされたものの、侍女服に眼鏡、髪の色を変えただけの三つ編み三点セットで、途端に誰も私のことを聖女だなんて言わなくなる。ヴェールの視認性が低いおかげか、はたまたそれだけ素の私が地味すぎるのか……哀しくなるから追求はやめておこう。
騎士団長に手紙を託し、いざ執務室に戻ろうと踵を返したところで、併設の治療院周りがざわついているのに気が付いた。
「……何かしら? もしかして、急患でもいるのかな」
だとしても、今は聖女姿ではないから、すぐに患者の対応ができないのがもどかしいのだけれど。
様子を見るだけでもと思い、騎士様方が作り上げる厚い壁の合間を縫って、私は院内をひょっこりと覗き込む。が、目を瞠り後悔した。
(うわぁ……)
「さあ、騎士団の諸君。俺の連れてきた『真の聖女』が、お前たちをまとめて癒してくれるぞ。せいぜい感謝するがいい!」
ばっと片手を突き出し、入院中でベッドに寝ている怪我人たちへと盛大なアピールをかましているのは、第二王子オルヴィス殿下。そして、その隣でミレディ様が微笑を浮かべている。先ほど、まさに話題に上っていた二人だ。
「うふふ……。光の女神ジュスティーヌの大いなる慈愛を、すべての者に分け与えたまえ。《範囲治癒》」
胸元で手を組んだミレディ様が祈りを捧げると、ゆっくりと光が生まれる。その光を分け与えるようにそっと両手を目の前に広げる姿は、華麗な外見も相まってそれこそ光の女神の降臨を思わせた。
まるで銀色の雨が院内に降り注いだみたいに、虚空に舞った淡く輝く雫は、怪我人たちを包み込み、すうっと吸い込まれていく。
それは、ほんの束の間の出来事。しん……と院内に沈黙が降りる。幻惑的な光景に、誰もが圧倒され声すらも呑まれていたからだ。
だが、しばらくしてその静寂は、方々から上がる野太い声によって破られた。
「おおお……! ずっと残っていた痛みが消えた……!」
「嘘だろ、ちゃんと動くぞ!? すぐに癒すのは無理だって言われていたのに……!」
「聖女様! まさしく聖女様の奇跡だ!」
「第二王子殿下万歳! 聖女様万歳!」
わあわあと歓声が上がり、オルヴィス様とミレディ様への賞賛が響き渡る。当たり前だろう。私が少しずつ治癒を重ねていた人たちが、一斉に回復したのだ。まさしく奇跡の御業。
なのに、何故だろう。みんなが元気になったことに喜んでいる自分がいる反面、砂を噛むような、酷くもどかしい気持ちにも苛まれて。
あれほど、聖女という立場に気後れしていたというのに。
いたたまれなくなって、私はその場からふらりと逃げ出した。どくどくと、心臓がうるさいくらい音を立てている。
凄かった。本当に凄かった。私のポンコツな治癒よりも、遥かに力が漲っていて、綺麗で、暖かな光を抱くミレディ様は、まさしく聖女と呼ぶにふさわしいと誰しもが思うだろう。ルクス殿下は裏があると踏んでいたけれど、あれは紛れもなく光魔法だった。
「おい、邪魔だ。こんなところでちんたらしているな!」
不意に、どんと衝撃が身体に走り、よろけた私はそのまま傍の壁にぶつかった。眼鏡がかつんと廊下に落ちる。
「聖女の道行きを塞ぐだなんて、不出来な侍女がいたものですわね」
はっと顔を上げると、キラキラしい一団が目に入った。どうやら、治療院を出てきたオルヴィス殿下一行に追いつかれたらしい。ぼんやりしていたせいで全く気づいておらず、私は慌てて頭を下げ道を譲った。
「申し訳……ありません……」
フンと鼻を鳴らし肩をそびやかして、王子たちはさっさと先を行ってしまった。不敬を問われなかったのは、軍部治癒院のそばで、未だ人目が多かったから目溢しをされたにすぎないのだろう。ある意味助かったのだが。
ほら、聖女の姿をしていなければ、私はオルヴィス殿下にすら認識されない。
「……なんだかなあ」
廊下にぺたりとしゃがみ込んだまま、モヤモヤする気持ちを抱えた私は深くため息をついた。




