魔法都市マギアクルス!
飛行を終え、俺たちはしっかりと大地に着地した。どこに着いたかは、呪文の使用者である母しか知らない。
そこはまさに秘境の地と言ってもいいくらいだった。辺りは深い霧に包まれている。そのせいでほとんど何も見えない。それは、周りの地形がわからないほどだ。
真っ白な視野は、あの雪原地帯を歩いていた時とはまるで違っていた。あの時は、白いのはせいぜい大地だけだたものの。ここは違う、白い煙が纏わりついてくるのだ。近くにいるみんなのことくらいしか、見えない。
ただ、よく目を凝らしていると、近くに何かが聳え立っていることがわかった。朧げなシルエットがじんわりと、霧の中に浮かんでくる。
「ほんとにこんなところに、例の魔法都市ってやつがあるのか?」
「逆にそれっぽいと思うけどね、俺は。ほら、誰もその存在を知らなかっただけだし」
「息子とは違って、いいセンスしてますね、マラート君」
「へいへい、センスがなくて悪かったですね」
一体センスとは何のセンスだよ、と思わないでもないが。俺はあからさまに悪態をついた。全く、移動前からどうにも手厳しくって仕方がない。これでも昔に比べれば、丸くなった方だが。
「こっちよ、ついてきてください」
母さんは踵を返すと、深い霧の方に歩いていった。先程、何か建造物の気配を感じた方向でもある。
周りはふわふわした感じだが、足元はしっかりしていた。どうやら、普通の大地が広がっているらしい。……これで、道のど真ん中に大穴でも空いていたら、溜まったもんじゃあないが。
「ここでしょうね」
意味ありげな呟きを漏らして、母は足を止めた。着地点からは、そこまで離れた場所ではない。そして、彼女はぐっと上を見上げる仕草をする。
「ターク、何か見えるか?」
「全然」
隣に立った目の良い魔族を見下ろしてみる。すると、彼は即座に首を振った。いやにあっさりした反応だ。
「……お前のご自慢の視力はどこに行ったんだよ」
「いやぁ、流石にここまで霧が濃いとダメですね……」
まあ、そうだろうな。目の良さと、視程の良し悪しはまた別の話だ。
しかし、いったい何があるというのだろう。母さんのマネをしてみても、先ほど見えた謎のシルエットがちょっとだけはっきり浮かび上がるだけ。それが何なのかはわからない。
「なあ、いい加減に――」
「静かに」
どこにマギアルクスがあるか教えてくれよ、そう言おうとしたら、ぴしゃりと言葉を遮断されてしまった。
母はそのまま固まったように動かない。ピンと背筋を伸ばして、なにやら真剣なのはわかるけれども。
「ねえ、お兄ちゃん。ママ、何してるの?」
「わからん。この姿だと、なおさら魔術的要素は特にな」
「むっ! それは遠回しに王女への挑戦と受け取っていいのですか?」
「だったら、この首を跳ね飛ばしでもしますか、王女?」
「ムカーっ!」
「お、落ち着いてください、オリヴィアさん。静かにしないと、怒られますよ」
……あんまり俺の姿で変なことをしないでもらいたい。女に、後ろから押さえつけられている様は、正直、見ていられなかった。
「なにやら魔力が集まってるね~」
「おっ、キャサリンちゃんもわかったか」
魔法を使える二人が少しだけ盛り上がる。……残念ながら、俺には何もわからない。
とりあえず、固唾をのんで見守っていたら――
「開け扉よ、我はマギアルクスの民。ここに証を示さん!」
厳かな言葉を紡ぐと、母の身体は淡い薄い光に包まれた。ふわっと、その長い髪の毛が宙に浮かぶ。そして、目の前のなにもない空中に星形を複雑にした謎の文様が浮かび上がる。
今の俺でも、それが魔術的儀式の一種だというのがすぐわかった。息を呑んで、これから何が起きるのかをじっと待つ。
すると――
ゴゴゴゴゴ、地響きのような重厚な音がして、地面が微かに振動した。きゃっと、誰かが小さく悲鳴を上げた。
その音の発生源はやはり前方からだった。霧の中で何かが蠢いているのがわかる。それは――俺がずっと何かがそこにあると思っていたものは、壁だった。ゆっくりとした速度で、地面にぐんぐんと沈み込んでいくのが見える。
やがて視界の一部がクリアになると――
「ここが私の故郷――マギアルクスよ」
もう謎の光も収まっていた。母さんはくるりと振り返ると、紹介するように右手をすっと伸ばした。そこにはいろいろな建物が乱立していた。
*
俺たちが足を踏み入れると、すぐに壁がまた競りあがった。いったいどういう仕組みなんだろう。だが、これが魔法都市たる所以なのかもしれない。
壁の中では、霧が晴れていた。いや、ここまで入り込んでいないということか。周囲はぐるりと高い壁に囲まれている。それはどこまでも続いているようだった。
天井はどうなっているのだろう。上の方は、やはり白い霧でぼやけているのでよくわからなかった。しかし、それでも周りが暗いということはなく、まるで町全体が淡い光に包まれているようだ。空気中にキラキラとした光る何かが見える。そしてあちこちに、街灯代わりだろう、白い光の灯った丸いオブジェがあちこちに置いてある。
地面は草地が中心で、街の中央に向かってなだらかな斜面になっていた。城下町や雪の町、港町とは違って石畳のよく整備された道はない。村や里といった方が適切な気がした。
だが、それにしては、異端なのは周りにある建造物である。無秩序に、変な形のものが建っている。俺の目がおかしくなったかと思えるほどに。
球形、逆三角形、中が見えないガラス張りの立方体……など。どれも扉が付いているので、モニュメントではないみたいだ。かといって、人が暮らしているとは思いたくもないが。
そして極めつけは、坂を下り切った。一際低くなっている平地だ。そこには、二本の塔が天高く聳え立っている。しかも真直ぐにではなく斜めに。だからか、上方のあたりで交差していた。
さらに、その真下には泉がある。おかしなことにそこから町中に水路が延びていた。所々に橋も渡してある。
ほんと、おかしな街だな、ここは。外を歩いている人も全くいない。もちろん、動物も。ただひたすらに神秘が目の前に広がっているのみ。
「なんだか幻想的~」
「ここが魔法都市……確かに、辺りの魔力の濃度は高いな」
姫様とマラートが口々に感想を漏らした。二人だけでなく、他のみんなも周りの風景に見入っている。未だ、俺たちは街に入ったところで足を止めていた。
「気に入ってもらえたようでなによりだわ。まあ、私にとってはよく見慣れたつまらないものですけれど……二十年前と何も変わらないわね」
一つため息をついて、母さんは中央の塔に向かって歩いていった。それで俺たちも遅れながら、後をついていく。
斜面はなだらかな角度だったから歩きやすかった。これなら登るのもそんなに大変ではなさそう。しかし、建物まで斜めになっているのは理解できない。
「チタエマオダノモニナ!」
やがて、俺たちは一人の人間に遭遇した。フードの付いた深緑のローブを身に纏っている。被り物のせいで、その顔はよく見えない。しかし、皺だらけの皮膚と低い嗄れ声は、老爺であると思われる。
人がいたのも驚きだが、それよりも――
「ねえ、今なんて言ったの?」
キャサリンが首を傾げた。他のみんなも同様である。
聞きなれない言葉だった。少なくとも、いま世界で使われている言語ではないような……。
「古代言語よ。その方が、魔法の研究に便利だから。ここは、外界と隔絶しているせいで、未だに残っているのよ。時代遅れ、と言われても仕方ないわよね」
母さんは浅く笑った。それはどこか呆れているようでもあった。どうやら、この人はあまり故郷のことをよく思っていないのかもしれない。ふと、俺はそんなことを思う。
「ちょっと待ってくださいね――通訳魔法! これでわかるはずよ」
「どうやって、ここに入った?」
今度は男性の言葉の意味がよくわかった。
「ねえ、おじいさん。私の顔に見覚えありませんか?」
たおやかにほほ笑みながら、母は老爺に顔を近づけた。
すると、相手はぱさりとフードを外した。深い皺が何本も刻み込まれた、年老いた顔が明らかになった。くぼんだ目は、鈍い光を湛えている。
怪訝そうな瞳がきょろきょろと動く。やがて、彼は一つ大きく目を見開いた。そして、その顔に満面の笑みが広がっていく。
「おおっ! 誰かと思えばテレサちゃんじゃあないか! なるほど、それならこうして入ってこられるのもわかる。きっと、長老も喜ぶだろうて」
「どうでしょうね?」
母はちょっと肩を竦めた。そして、どこか気まずそうな顔をする。
流石はこの街の権力者の一族の末裔……その顔はよく知られているということか。俺たちは、おじいさんの先導を受けながら、真直ぐに塔に向かって歩いていくのだった。




