いざ、闘いへ!
突然、船が大きく揺れた。思わずベッドの縁から、転がり落ちそうになる。それをこの華奢な細足にぐっと力を込めて耐えた。……全くしなくていい苦労だ。
俺は妹と、そしてソフィアと部屋で談笑していた。ほぼほぼ、二人が話すのを一方的に聞いているだけだったけれど。
揺れが収まるのを待って、さっと目戦を走らせる。今の衝撃で、兜がどこかに転がってしまった――っと、すぐにそれを見つけて歩み寄る。
「お兄ちゃん」
「どうやら、敵さんのお出ましの様だな」
兜を身につけながら、さっと言葉を交わした。甲板が騒がしい。あそこには、王女様とキャサリンがいたはずだ。
……それにしても。この身にかかる重量感たるや、あまりにも大きすぎる。こんなんでしっかり身動きがとれるのか。早いとこ、タークと合流しなければ。強化の魔法がないと、ろくすっぽ動けない。
しかし、ほんと兜が一番邪魔だ。視界の範囲は狭いし、暑苦しいし。この先の闘いのことを思うと、ちょっと憂鬱な気分になる。
「二人はここにいてくれ。ザラ、しっかりとソフィアを守ってくれ」
返事は待たずに、俺は部屋の扉を開けた。すぐそこには短い廊下がある。丁度よくどこの部屋の扉も開いて、中から慌てた様子の人々が飛び出してきていた。――同行した兵士たちが主だった。少なくとも、こちらの仲間の姿は見えない。
その狭い空間は一気にごった返すことになる。人ごみはそのまま甲板に繋がる出口へと、投げれ込んでいった。
「頑張ってね、お兄ちゃん!」
「応戦してます、アルス君!」
女性陣の声援を受けて、俺もまた部屋の外に一歩踏み出した。ガチャガチャと、不格好な足音を鳴らしながらゆっくりと歩いていく。
……ただひたすらに思い。その上、船の揺れが激しいから、気を付けないとバランスを崩してひっくり返りそうになる。
途中、ぴたりとしまった扉を叩いた。そこが、男連中の部屋――つまりはタークとマラートの居所。本当は、姫様がいてもいい場所でもあるが。
「おい、行くぞ!」
「ああ、はいはい。ちょっと待ってくださいね」
返ってきたのはタークの声だった。
「マラートさん! ほら、急がないと!」
「うぅ、ターク君。しかしだなぁ……おえっぷ!」
扉越しに呻き声と嗚咽が聞こえてきた。それで、事情を察する。
そもそもとして、不思議ではあったのだ。兵士たちや乗組員たちが大慌てで部屋を飛び出していったくせに、なぜ二人はそこにいなかったのか。
あえて、出なかった。ではなくて、出られなかったのだ。それほどまでに船酔いが酷いらしい、あのかっこつけ男は。
その時――
「うぉぉぉぉ!」
「わぁっ!」
「……始まったみたいだな。まあ、俺たちを待ってる余裕もないか」
一際激しく船体が揺れた。こんなところでいつまでもグダグダしている場合ではない。
俺はもう一度、今度は強く扉を叩いた。ガンガン、銀の籠手を着けているので、意外と鋭い音が鳴る。
「早くしろよ、マラート!」
「いや、ちょっと、む――おろろろろ」
「ダメみたいですね……」
「わかった。もういいから。タークだけでも出て来いよ」
とりあえず、あいつがいないと補助魔法の使い手がいない。妹は戦場に出したくないし、姫様に魔法を教えるのも手間だ。
そもそも、このまま闘えると思える程、俺は自分の実力を過信してはいなかった。第一、この短い歩行時間ですらややしんどい。
がちゃり。程なくして、タークが出てきた。少し気の毒そうな顔をしている。後ろ手に扉を閉めつつも、どこか名残惜しそうに部屋の中に一瞥した。
「そんなにひどいのか?」
「言葉にできない程に」
「置いてったら死ぬってことはないだろう」
「いいえ。あるいは……」
タークは目を伏せて、小さく頭を振った。いたたまれない空気が伝わってくる。
未だに、船の揺れは強いまま。収まるどころか、より上下の揺れはひどくなるばかり。外からは時折、唸り声さえ聞こえてくる。
急がないといけないのはわかっているが、マラートは心配だった。
「治癒魔法は?」
「もちろん、駆けましたとも。でもやっぱりずっと使ってないと駄目そうですね」
「……もう、二度とあいつは船には乗せない」
こうなっては仕方がないから、俺は一端自室に戻ることにした。ザラたちに奴の面倒を見させよう。
ゆっくりと身体の向きを変えて、来た道を引き返す。何も言わなかったものの、タークも察してくれたらしい。後ろをついてきてすぐに強化魔法をかけてくれた。
二人の名前を呼びながら、ドアを叩く。間を置かずに、彼女たちはすぐに顔を突き出してきてくれた。
「ザラ、ソフィア。悪いんだけど、マラートの面倒を見てくれないか?」
「どうしたんですか?」
「船酔いです。初めて、船に乗ったんですって、マラート様」
「えぇ……。それを言ったら、ザラたちも初めてなのにね」
妹の顔いっぱいに失望感が広がる。ぎゅっと目を細めると、困った風に肩を竦めた。
そうしながらも、扉を押し開けて二人は出て来る。後は任せたという代わりに、一つ大きく頷いて、俺は今度こそ甲板目指して急いだ。
「ワ~ニワニワニワニ! 大したことないわねぇ~」
目に入ってきた光景はなかなかに悲惨だった。意味のないやり取りをしていたせいで、かなりの怪我人が出ている様だ。木の板でできた床を兵士たちが転がりまわっている。所々、穴まで開いて。
声のした方向を見ると、そこには聞いていた通りのワニのモンスターがいた。獰猛な牙をカチカチと鳴らして、高らかに笑っている。
全く何がおかしいやら――俺は軽く息を吐き出して、剣を抜いた。構えたままに、奴に近づいていく。
「ちょっと遅いんだけど!」
いきなり自分に怒鳴られた。やはり、不思議な経験である。じゃなくって――
とりあえず姫様たちに合流した。彼女の他に残っているのは、わずかばかりの一般兵とその上司。船乗りたちはせわしなく船を駆けまわっているから、戦力にはならなそう。
「も、申し訳ありません。ちょっとバタバタというか……」
「いや、この際、何でもいい。早く何とかしなければ、このままだと――」
バキっ! 話しているところに、頭上から巨大な水の雫が落ちてきた。それは確かな質量を纏って、床を貫通する。
幸いにして、俺もタークも姫様も、兵士の親分も難なく避けることはできたが。……なるほど、ちょっとは強い奴らしい。
「あらあら、なんだか物騒な子が出てきたじゃな~い!」
答える代わりにきつく睨み返す。ここから先は、一切言葉を発することはできない。鎧でくぐもるからと言えど、女性らしい声音を抑えられる気はしなかった。それに、余計なリスクは結構だ。
「あら、つれない子ねぇ~。でも、なかなか楽しめそう! いいわ、相手して、ア・ゲ・ル!」
勝手に言ってろ。胸の内で、その気持ち悪い話し方をするワニモンスターに悪態をつきながら、俺は一気に跳躍した。




