夜の訪れ
夕暮れ、と言っても灰色に覆われた空ではあまり昼と明るさは変わりなく、どんよりとした暗い雰囲気がこのロンドンから取り払われることはない。道行く人々は帰路を急ぎ、家族が待つ家へとそそくさと去って行く。その雑踏の中私は考え事をしていた。それは先ほど別れた自称兄妹について。前からの知り合い……いや同僚である錬金術師の青年といきなり現れた彼の妹だと名乗る少女。彼女の形容は美しいという一言では足りず、なにか神々しさや尊さすら感じられた。認識阻害の理を編み込んだローブによって秘匿されていたが、あの姿はただごとではない。ある種人外じみていると言っても過言ではないだろう。まるで絵画や物語の世界から抜け出てきたか巨匠が生涯を込めて作った彫像に命が宿ったかのようだ。
「あれだけ美しいとそれだけで相当な価格がつきそうだなー」
なんて一言がぽつりと空気に浮かんで消える。錬金術師の方……レイもそれなりに整った顔はしている。あれでこんな仕事をしていないで、かつあの奇特な性格でさえなければいくらでも異性をひっかけられそうだ。むしろ、中性的であるし同性でも一部の特殊な趣味の者であればかどかわすこともできるだろう。それでもやはりイヴと名乗るあの少女とは比較になるまい。兄妹と紹介されても似ても似つかないその姿には首をひねるばかりだ。
「まあ十中八九兄妹ではないんだろうけどね。完全機能の幻精の眼持ちを保護したんだろうなー」
誰にも聞かれないほどの小声でつぶやく。ひとりごとは状況を整理する時には役に立つ。音声として脳に再入力することで情報にはまとまりがつくというものだ。これは私特有の癖かもしれないが。
幻精の眼……魔眼においては最高位に値するそれ。特異物としては準神話級に位置する。その完全機能ともなれば求めるものは多い。なにせ理論上では未来すら見ることができるとされているそれだ。多くの魔術師達が研究の果てにたどり着こうとしている神々の保有していた特殊技巧の一部。神々と人が交わった末裔に極稀に発現するそれは存在するだけで世界情勢すら左右する。今この世界では特異物の保有数とその質こそが国力の半分を占めているといっても過言ではない。このイギリスにおいては古き偉大なる王とその騎士達が並んだとされる円卓、大陸で富国強兵を進めている我が懐かしき祖国においてはあらゆる生物を格納し神々が下した粛清を逃れたという方舟、大陸の南側、世界最大の宗教の聖地を宿し、法王が治める国家においては純粋なる神の子にして偉大なる予言者の遺体――神話級特異物はその国家の運営方針にすら大きく関わる。そしてそれに次ぐ準神話級ともなれば求める国家は数知れず。法王とは未来を読むものであり、極東の天帝とは過去を知る者、すなわち幻精の眼を保有する者であり、その価値は……。
「やめやめ、国家情勢について考えるとか私の性分じゃないし。妹分に対してそんな色眼鏡をかけて見るなんてことをしたらよくない、よくない」
どうせ一癖も二癖もある人間ばかりが集まる職場だ。どいつもこいつもこの世界に生きる場所が他にない者達。準神話級特異物が紛れ込んだからと言って変わるものでもない。訳ありがまた一人逃げ込んできたというだけだ。同僚達とは信頼関係を築けていると言っても嘘にはならない。誰もが公表されては困る秘密を抱え込んで生きているのだからお互いにそれを握り合っておけば問題は起きない。我ながら嫌な信頼関係だなと思いつつ、私は家の鍵を開けた。イヴちゃんとは仲良くしたいなーと決心しながら。
「へっくしゅっ!」
「また可愛らしいくしゃみだね。風邪でもひいたかい?」
「可愛らしいとか言うな!俺が元は男だってこと忘れてないか?」
「イヴのことは内面も含めて可愛らしいと思ってるよ?」
「うえー、気持ちの悪いことを言うなよ……」
むずむずする鼻を掻きながらげんなりとした声で答える。誰かに噂でもされたかなと一瞬思ったが噂をされるほど知り合いは多くない。しかしレイはときおりこういうところが気持ち悪いというか、俺を可愛がりすぎというか、見た目で判断しすぎというか……そういうところは不満だ。
「反抗期かな……?イヴが僕の手元から離れようとしていく……。寂しいな……」
無視だ無視。構うと余計に面倒なことになるだろうからな。
「そんなぼやいてる暇があるならさっさと帰るぞ、ほら!」
「疲れちゃったのかい?まあ今日はいろんなところに行ったからね。風邪もひくかもしれないのは確かに考慮すべきかも」
「違うわ!日が落ちると危ないから早めに帰ろうって言いだしたのはレイじゃないか!」
そうアルシャを交えたお茶会はレイが夜は危険だからと言ってちょっと早めに切り上げたのだ。アルシャはレイが俺を独り占めしたいがために早めに切り上げたんだとか糾弾していたが、あれはたぶんからかいの範囲だと思う。アルシャが言い返されてすぐに退いたあたり夜が危険なのは本当なのだろう。おそらくだが。
「実際夜になると何が危険なんだ?」
「夜は怪物が出るからね。街の人たちが皆この時間に一目散に帰るのはそのためだよ」
「怪物?」
怪物ってテレビとかマンガとか小説とかに出てくるフィクション性の強い存在だろうか。いや、まあ異世界っぽいし出てもおかしくないなとは思うが。こんな薄暗い街では特にだ。
「まあその話は家についてからにしようか。もうすぐだしね」
「わわっ、ちょっと手を引っ張るなよ!」
レイに手を引かれてつんのめりそうになりながらも俺は着いていった。
「お帰りなさいませ」
「ただいまヴィオラ」
「ただいま」
玄関のドアを開けると、深々と頭を下げてヴィオラが出迎えをしてくれていた。家に変わった様子はないようだ。いやこんなちょっとの留守で変わったことがあったら困るのだけど。
俺はうっとうしいローブを脱いで一度背伸びをする。やっぱり家はなんとなく安心する気がするな。今日一日出ていたせいかああ、帰って来たんだなという感慨がある。レイは家の中でもローブを着っぱなしで外に出ていた恰好とはフードを外しているか否かでしかない。レイのこういうずぼらなところは知っていたが、俺も注意できるほど几帳面ではないし気にならないので何も言わずともに書斎へ入る。レイが座椅子に座ったので俺は向かいのソファに陣取る。講義を行う時はいつもこの形だ。
「毎回思うけどソファに座っているイヴはちょこんとしていて可愛いね。お人形さんみたいだ」
「こっちはレイの言葉を借りるなら反抗期だぞ。言葉に気を付けないとマジで無視を決め込むからな」
「あはは、悪い悪い。まあ僕の親心みたいなものだと思ってよ。自分で作った娘が動いて話てとなるとついつい見守りたくなるのさ」
レイは悪びれもなく朗らかに笑うのでこっちも突っかかる気が失せてしまう。レイの笑い方は気が抜けるようなへにゃりとした笑い方なので空気が弛緩するのだ。
「それで夜になると出る怪物ってなんのことだ?こんな大都市の中で出るものなのか?」
「その話をするためにはまずこの世界を席巻する技術。その根幹である火竜機関についてから話さなきゃいけないね。錬金術が生み出した今の社会……大量生産大量消費、そして錬金術という技術の功罪を……」
灰色の空を生み出しているソレの話は二人だけの書斎でぽつりと始まった。




