第4話 記憶と決断
――はぁ、はぁ、はぁ
何時間、経ったか――
左舷主機からの出火、遅すぎて誤った判断。船長は右舷主機のみで航行を続けようとし、それゆえ防火措置は甘くなった。本来なら、全てのエネルギーパイプと船内送電線を物理切断して、機関室内に消火剤を噴射すべきだったのだ。そしてその動作は緊急スイッチひとつで実行できるものだった。
切断されなかったパイプを、火焔が逆流した。パイプ経由で主タンクに火がまわった本船は、タンクの爆発により船尾側半分を失った。
砕け散るのを免れた前半部は、ぼくたちを乗せたまま漂流しはじめた。機関も舵も発電機も、みな吹き飛んだ後部区画にあった。
ぼくたちがいる小さな区画は、人工重力と空調装置は生きているものの照明はひとつしか点いていない。これはメインシステムからの制御ではなく、区画単位で設置された非常システムで動作していることを示している。たったひとつだけ生きていたモニターを操作したが、メインシステムはおろかサブシステムにも繋がらない。コンピュータ室か、蓄電池室も吹き飛んだらしい。
いまこの区画は、完全に孤立している。隣の区画に抜けるふたつの通路は自動閉鎖された隔壁に阻まれて通れない。隔壁に設置された気圧計を見たが、その指示値はゼロ。つまり隔壁の向こうは真空だ。破孔ができたのか、空気が抜けてしまっている。
区画内にいたのは10人ばかり。運よくこの区画にいて空気にありつけたわけだが、ここから出ることができず、救助も来るあてはない。
初めは外部との連絡を試み、みな団結した感があった。しかしなにもできることがないと分かると、その気分は一気に氷結した。
床に座って、ただ息をするだけ……大きな船に乗って宇宙を征した気でいたが、その船が沈んで初めて、初めて自分たちが死の空間にいることに気付いた。船体に守られ、システムに世話をされて、ようやく生きていられる。人は宇宙で生きるように出来てはいないのだ、と。
ある者は立ち上がり、まだ点いているモニターを操作した。もうどこにも接続できないと分かっているのに、必死で指をはしらせ続け、思い通りにいかないことに怒りをつのらせ、そのたびにモニターを激しく叩いた。
モニターが彼の暴力に屈して破損すると、彼は床に崩れ落ちた。唯一生きていたモニターを壊した彼を、別の者が激しく罵った。その声は次第に枯れ、それでも怒鳴り続けた彼はついにヒューヒューという音しか出せなくなった。
ある者は急に過呼吸を起こした。ハッハッハッと短い息を繰り返し、止まらない。ぼくはそれを止めようとしたが、止めかたを知らなかった。この世の苦しみを集めたような顔をして、ついに彼は意識を失った。
突然ある男が、そばの女を押し倒した。そのまま乱暴に身体をまさぐるのを見て、彼は最期に欲求を満たそうとしているのだと分かった。男の荒い息と女のあげる声が絡み合い、男はさらに服を脱がそうとしてボタンをいくつか引きちぎった。
区画内にいたもう3人の女が、同時に男に襲い掛かった。あの女を助けるためか、あるいは次は自分かもしれないという恐怖ゆえか。不意を突かれた男は抵抗もできずに組み伏せられ、首を絞められて絶命した。
最初の女はどうしたか、自由になったにも関わらず倒れたまま起き上がらない。
絶命した男が、その横に転がされた。
床に倒れたこの男女は、そのままこの区画の縮図となった。いつ誰に襲われるか分からない女たちと、そんな彼女らが自身を守るために、不意を突かれ殺されるのではないかと恐れる男たち。両者は区画の両端に寄って、決して近付こうとしなくなった。
皆、次第に息が荒くなっていく。怖いのだ。いま電力供給をしているのはこの区画の非常電源。これはメインシステムが復旧するか救助が来るまで使うためだけのものだ。そしてこの場合、そのどちらもありえない。
機関室火災と大爆発、システムの停止――船体はおそらく原型を留めていない。もしかすると助かっているのはこの区画だけかもしれない。他にあるのは、残骸だけ――
本船は悪いことに単独行動中だった。そばに他船はおらず、爆発を目撃した者はいないはず。だから事故発生の通報はされない。もし異常を察した船が様子を見に来たとしても、原型を留めていない本船を見たなら、生存者なしとみて撤収するだろう。
外部に向けて通信を出したいが、この区画はすでに唯一の操作用モニターが壊れてしまっている。それに、そもそも接続できるアンテナがない。他の船がすぐ外にいても、ぼくたちは合図すら出せない。
非常電源が尽きたら環境制御システムがダウンする。人工重力はなくなり、空調装置も止まる。宇宙船の空調停止はつまり、二酸化炭素の除去と酸素の供給が止まるということ。その時を恐れてみな、座り込んだまま息を荒くしていく。
隣の者に、ぼくは恨めしげに睨まれた。その眼には怒りすら宿っているように見える。ただひとり息があがらないぼくを、恨んでいる。
そう、彼にとってぼくは理不尽そのもの。なぜなら、ぼくだけは――
――フッ……
突然の暗闇と、幾人かの短い叫び声。
ただひとつだけ点いていた照明が消えた。空調の動作音が止まり、区画内が無重量状態となった。
非常電源が、尽きた。
・・・・・・
空調の動作音、全身に感じる人工重力――
目を開けると、視界一杯に広がる満天の星空。まるで精巧なプラネタリウム……
……眠っていたのか。
ああそうだ、ここはあの船じゃない。
外が見えている。照明が点いている。主機関の駆動音が、船底から響いている。
深呼吸をすると、ぼくの身体にぜいたくに空気が入ってきた。
それから長く息を吐いて、これ以上ないくらい安堵した。
――!
いかん、寝てた!
弾かれたように身を起こし、計器表示を見る。レーダーにノイズが多く入っているが、これは居眠りする前からだった。それ以外に異常はみられない。時計表示を見たが、それほど時間は経っていなかった。
ズシン、と音がして、振動と共に針路が狂う。悪天候により外力が加わったが、すぐに自動操縦装置が針路を修正した。
船の自動操縦装置が、ぼくが眠りこけている間もずっと船を操ってくれていたのだ。この船はずっと、ぼくを守り続けてくれていた。
倒していた背もたれを起こす。本来なら厳重な計器監視が必要な場面だったが、うかつにも寝てしまった。他船からの救難メッセージを見て、その後なんだかやさぐれた気分になって、その気分にまかせて背もたれを倒した。それに身を預けたせいで、気が緩んで眠ったのだろう。それに荒れた海での計器監視が長時間続いており、疲労が溜まっていたかもしれない。
しかし嫌な夢だった。どうせ見るなら故郷の星での、学生時代の夢がよかった。あのとき好きだったひとの夢でも見られたら、起きた後もしばらく幸せだったろうに。
そう、本当に嫌な夢だった。
むかし遭遇した船舶事故の夢。ひとつの区画に閉じ込められて、来ない救助を待ち続けたあの時の。
あの時はまだ、ぼくに事態を解決するちからはなかった。だから皆が息絶えるまで付き合って、それから自分だけ救助を待ち、ただひとり助かった。
そうだった。
・・・・・・
……そうだ。
今のぼくは、いちおう助けることができるんだな。
先刻救難メッセージを送ってきたあの船――あれはまさに今、さっきの夢と似たようなじ状況に置かれている。
メッセージの通りなら、船体が熱に耐えられないので、天体に着陸して一時しのぎをしている。しかし離陸しようにも、天体の影から出たら船体が熱にさらされる。実質、動くことができない。
あの船の乗員たちは、あの時のぼくたちと同じように、もはや自分で行動することはできず、死の恐怖におびえながら来ない救助を待っているのだ。
彼らが助かるすべはただひとつ――
本船が、救助に向かうこと。
・・・・・・
まださっきの夢の感覚が、全身に残っている。区画内に閉じ込められ行き場を失いみなで死を待っていた、あのときの感覚……
ふとメッセージ受信画面を見ると、別のウィンドウが重なって出ていた。
【ファイルが開かれているため、削除を実行できません】
なんだ……? エラー?
バラバラに開いていた仮想モニターを指でスワイプしてどけていくと、下に埋もれていたウィンドウに、例の救難メッセージの添付データが開きっぱなしになっていた。いくつも計器画面を開いていたせいで、ファイルの閉じ忘れに気付いていなかった。
……このエラーが出ているなら、削除は実行されていない。
エラー表示を消して確認すると、救難メッセージと添付データはひとつも欠けることなく残っていた。
「……」
むかし遭難した時の夢、消えていなかった救難メッセージ……
変なことを考えるものだ――誰かが、いや「何か」がぼくに「行け」と促しているように思えてくる。
そんなわけ、あるはずがないのに。
あの夢を、もう一度思い浮かべてみた。来ない救助を待っていた皆の顔。
あの顔を、この手で晴らせられるだろうか――
……どうする?
助けに行っても、ぼくが得られるものなんて、たぶんないぞ。
「……」
ぼくが生まれた星を離れて、ざっと5年くらい。このつめたい宇宙に翻弄され続けるぼくを助けてくれた人はいない。
だから――誰も助けてくれないことのつらさは、誰よりも分かっている。
ぼくはもう、長い航海のせいですさんでしまった。
他の誰かが、同じようにすさんでしまう前にその運命を変えてやるのも、いいか。
いちど、大きく息を吐いた。
――行こう。
・・・・・・
航路変更用意、システムモードを「警戒」に切り替え。救助活動の準備に入る。
相手船は「TSL2198」。船名以外の情報は分かっていない。ただ激しく損傷したようなので、船の形はあてにできないだろう。
まずは交信して状況を――特に詳細な着陸地点を知りたいところだが、あちらは今、惑星の反対側にいる。だから星そのものが物理障壁となっていて、お互い通信は届かない。あちらが初めに送ってきた推定位置を信じて行くしかない。
各探知装置の感度を最大に。主機関はすぐ全出力を出せる態勢とする。天体表面への着陸に備え、電波高度計と対地速度計を用意。いまこの辺りは天候が悪い……着陸は短時間の予定だが、船体が流されるならば錨も使おう。もし投錨する場合、ただちに捨錨できるよう備える。
第3惑星へ向けた新たな航路を算定。電子海図を操作し、星系内にある当該惑星の詳細情報を呼び出す。
出てきたデータによれば、当該惑星の引力は1.05G、大気は非常に希薄――ほぼ真空とみていい。船体への負荷がほぼないが、逆に空力ブレーキが使用できない。減速は主機関の後進推力に頼ることになる。
天体に進入する際は、単位系が変更される――ようにぼくの眼には見える。その詳しい話は置いておくとして、ひとまず海図上ではこの星の安全上の最低降下高度は10,000フィートとなっている。
しかし海図には星の地表面の詳細なデータがないようだ。この星は人は住んでおらず鉱山などもないらしいので、着陸する船などないのだろう。詳細な測量はなされていない。降下するなら、データにない地形への衝突に注意しなければならない。
星に降下した本船は低空を航行しつつ、遭難船の着陸地点を探る。低空航行中は山岳への衝突に注意し、対地高度が10,000ftを下回らないよう注意して操船する。遭難船を発見したら、低空通過で注意を引きつつ、交信を試みる。
――よし、いいかな。
第3惑星に向かって伸びる新航路が緑のラインで表示され、自動操縦の「執行」ボタンが点灯した。
ひと呼吸おいて「執行」ボタンを押下する。すぐ、自動操縦が新航路に乗るため舵を切り始めた。
荒れ狂う宇宙空間に揉まれつつ、救助活動が始まった。




