第三章 偽装の寵愛と信頼の芽生え
夜伽が始まって半年。鈴花はもはや、乾清殿の夜には欠かせない存在となっていた。
そして、ある重大な事件が起こった。
外戚の権力により、宮廷内の要職に就いていた老臣が、皇帝を毒殺しようとする陰謀が発覚したのだ。幸い、未遂に終わったものの、皇帝の信任する護衛の一人が負傷し、政務は一時的に停滞した。
この危機的状況で、蒼龍はいつも以上に冷徹だった。彼は、事件に関わった者を容赦なく切り捨てた。その冷酷な処分は、後宮や朝廷に更なる恐怖を植え付けた。
しかし、この混乱の中、蒼龍は鈴花に尋ねた。
「鈴花。余の処分は、甘いか、それとも冷酷すぎるか」
この問いは、これまでの「記録係」に対する命令口調とは異なっていた。
「陛下……」鈴花は恐れながらも、覚悟を決めて答えた。
「冷酷ではありません。ただ、迅速です。外戚は、陛下の感情が揺らぐのを待っている。しかし、陛下の迅速な処分は、彼らに考える暇を与えません」
鈴花はさらに続けた。
「しかし、陛下。この毒殺未遂の裏には、陛下の護衛の配置情報が漏れた形跡があります。その情報が流れたのは、陛下の側近である宦官・李が、不正な取引で大金を手にし始めた時期と重なります」
この情報は、鈴花が夜伽で記憶した、わずか数日の宦官の昇進記録と金銭の動きを繋ぎ合わせたものだった。誰も気づかない、取るに足らないと思っていた情報だった。
蒼龍の銀の瞳が、初めて大きく見開かれた。その瞳に、驚きと、そして感謝にも似た光が宿るのを、鈴花は確かに見た。
「……見事だ、鈴花。貴様はただの記録帳ではない。余の目だ」
その夜、蒼龍は李宦官を静かに拘束し、徹底的に尋問した。結果、彼が淑妃の密偵であり、情報が漏れていたことが判明する。
この一件以来、蒼龍は鈴花に対する態度を変えた。
「鈴花。明日から、余は貴様を寵愛する妃として扱う。後宮での地位を上げ、貴様に寝宮を与える。これは、貴様を外戚の目から守るための盾であり、陽動だ。貴様には、余の秘密を守るための存在として、後宮の表舞台で振る舞ってもらわねばならない」
鈴花の地位は、一夜にして「貴人」へと引き上げられた。豪華な寝宮と、多くの侍女が与えられた。
しかし、夜が来ると、彼女はまた乾清殿へ向かう。蒼龍は、人目がない場所では、以前のように政務を執るだけで、彼女に触れることは一切なかった。
「余は、貴様を道具として使っている。貴様が望むなら、いつでもこの偽りの寵愛から解放しよう」
蒼龍は冷たい口調でそう言ったが、その瞳には、彼女を失うことへの微かな恐れが宿っているのを、鈴花は見逃さなかった。
「陛下。私は、この役目が終わるまで、陛下の盾として、陛下の目として、ここに留まります。私は、この国を陛下の冷徹な正義が守ることを知っています」
鈴花の決意を聞いた蒼龍は、静かに頷いた。この日から、二人の間には、「偽装の寵愛」という名の、固い信頼が生まれた。




