四十五話 追跡犬とハーピーと三稜鏡
視界一面が木々だということも厭わず、ロッシュのしがみつく脚長力馬は猛スピードで森を駆けていた。
風のような速度で障害物にぶつかればひとたまりもないが、脚長力馬は慣れたようにするすると抜けていく。
「――、――っ」
その理由は角兎が現在進行形で追跡犬に誘拐されているからである。
ことの発端は、先日降った大雨によってぬかるんだ道にはまった馬車に手を貸し、助けたことが始まりだ。
馬車をなんとかしようと立ち往生していたのは商人で、積み荷を守るために番犬として連れていたのが件の追跡犬だった。
追跡犬とは獲物と定めたものを追いかけ続ける習性がある犬の魔物である。味方であれば心強いが、敵となると非常に厄介だ。
本来だったら警戒心が壊滅的にない角兎は追跡犬に怯えることもなかっただろうが、ロッシュの飼う角兎は違った。脚長力馬に散々弄ばれてきた角兎は見慣れない追跡犬に警戒心を露わにし、その態度が狩猟本能を刺激したことでまんまと獲物に定められてしまったのだ。
角兎は一目散に逃げだしたが、ものの数秒で捕獲されていた。それに気づいたロッシュが慌てて取り返そうとしたため、今度は追跡犬が獲物を奪われまいと一目散に走りだして今に至る。
「ちょこまかと!」
追跡犬と脚長力馬ではあまりにも体躯が違う。中型犬ほどの大きさの追跡犬と体高が二メートルを超える脚長力馬とでは、障害物の多い追いかけっこは追跡犬のほうが圧倒的な小回りで優勢を誇る。
「ここから北西に進んだところに大きな湖がある! から、そこに追い込んで!」
ロッシュの指示に脚長力馬は嘶きで答える。
「――」
まもなくして、視界が一気に晴れた。
「減速!」
互いに全速力。追跡犬は勢いのまま湖にダイブし、ロッシュは脚長力馬の背中から跳んだ。綺麗な弧を描き、激しい水しぶきが上がる。
「……っ」
水中でもがく追跡犬と角兎をがっと両脇に抱えて浮上する。
「ぷはっ」
湖岸で待機する脚長力馬に角兎を渡してからロッシュは追跡犬を岸に上がらせ、そのあと自分も湖から出る。
前髪をかき上げるロッシュの隣、追跡犬は呑気にぶるぶると体を震わせて水を払っていた。
「――ッ」
不躾な視線を感じ、ロッシュは弾かれるように振り返った。
一瞬、目の錯覚かと疑う。けれどすぐにそうではないと意識を切り替え、戦闘態勢に入る。
顔から胸までは若い女性のようで、胸から下、手の部分は鷲のような翼を持つ魔物。両手で数えられるほどのハーピーが対岸にいた。
「脚長力馬は角兎と追跡犬を守って。あれは、俺がやる」
血液の瓶で埋まった収納棚は壮観だ。そのうちの一つを手に取り、栓を抜く。鮮やかな赤い液体はロッシュの周りを漂い、こちらの動向を窺っていたハーピーたちを一斉に飛び上がらせた。
「――」
水の上を走れたらどれほどよかったか。今度、エリゼオに水上を渡る魔導具を開発できないか聞いてみようかなど考えながら、ロッシュは湖周を走る。
耳をつんざくような金切り声がこだました。不愉快な合唱を奏でながら、ハーピーは羽ばたいてロッシュに迫った。
「水浴びしてたところ」
ハーピーの性質は獰猛で肉食、当然のように人間すらも食べてしまう。近くには商人が頻繁に使う街道がある。だから見なかったふりをして、野放しにするわけにはいかない。
「悪いけど……ッ」
裂けたように大きくて真っ赤な口から白い牙を覗かせ、甲高い鳴き声が響いた。
走りながら、血液を弓矢へと形成する。距離を詰めきる前に弓から放たれた複数の矢はハーピーの体を貫いた。
ばしゃん、ばしゃんと次々に湖面を赤く染める。
「なんでこう、魔物はすばしっこいやつが多いんだ!」
仕留めきれず、けれど手負いもお構いなしに突っ込んでくるハーピーを血液の刃で撫で斬っていく。
標的を変え、脚長力馬たちのほうへと向かうのを阻止するため、ロッシュは派手な動きを続けた。
羽ばたくハーピーの下に滑り込んで串刺しにしたり、鋭い爪をあえて受け止めたり。多対一での乱闘をものともせず、数分もしないうちに全てのハーピーがロッシュによって討伐された。
「――討伐完了」
使い切らなかった血液は再び瓶に戻し、収納棚へとしまう。
ロッシュは口の端から血を流して事切れているハーピーたちを見下ろす。亡骸を一ヶ所に集めて祈りを捧げ、火の魔石で燃やしてから商人たちの元へと戻った。
追跡犬は周囲の心配をよそに心底楽しそうで、誰彼構わず飛びかかっていた。
「本当に、本当に申し訳ありません!」
「助けていただいたのに、恩を仇で返すような形になってしまい……っ」
「いえ、大丈夫です。こちらも特に怪我をしたわけではありませんので」
商人たちはお礼とお詫びに銀貨五枚をロッシュに渡し、その場を去っていった。
追跡犬がいなくなって安心したのだろう。角兎は脚長力馬の背中で伸び、すっかり微睡んでいた。
「災難だったね」
角兎の頭を撫でると、情けない声で鳴いた。
「ハーピーと遭遇したのは驚いたけど、悪いことばかりでもなかった。さっきの湖に戻ろうか」
先ほどの湖に戻ると、ハーピーたちの灰は風に吹かれてなくなっていた。一時は赤くなった湖面も綺麗になり、激しい戦闘の余波は感じられない。
「確認したいことがあるから、ここで待っていて」
ロッシュは大きく空気を吸って息を止め、湖へと飛び込んだ。魚たちが避けていき、導かれるように下へ下へと潜る。
追跡犬を追いかけたときに、それを見つけた。
光の届きにくい湖底でも輝きを失うことなく煌めき、人々を魅了する。ここは動物だけでなく魔物も立ち寄るのだから――三稜鏡があってもなんら不思議ではない。
「――」
ごぽ、と口から空気が漏れた。
煌めく多面体を掴み、一気に浮上する。肺にいっぱい空気を吸い込んで、改めて手にしたものは間違いなく三稜鏡だ。
「これで」
湖に浸かったまま、ロッシュは目を輝かせる。太陽の光を反射し、三稜鏡がきらりと光った。
「十個目だ!」
季節は巡り、気づけばあれから二年が経ってロッシュは二十歳になっていた。
体力をつけ、身のこなしを軽快にし、魔法を磨き続けた。魔力は無尽蔵で、万全の状態で血液を操れば健康にも問題はない。だから密かに、自分は最強なのではないかと思っている。
「うわっ」
あまりに湖から上がらないロッシュを見かね、脚長力馬に首根っこをくわえられた。正しくは、つなぎの襟をだが。
「ありがとう。最後の一つがなかなか見つからなかったから、嬉しくって。ごめんね」
ヴァンサンの地を荒らすような不届きものはめったにいないようで、三稜鏡は意外にもぽんぽんと発見できた。
しかし、世界はロッシュが思っているほど甘くはない。日を越し、歳月が巡るごとに期間は空いていき、十個目に至るまで実に半年を要していた。
「これで、オスカー兄さんに褒めてもらえる。カシアス兄さんに、強くなった俺を見てもらえるんだ」
この二年、会いに来てくれたのはエリゼオだけだ。
というのも、オスカーは領地運営に本腰を入れ、カシアスは魔物討伐に赴く頻度が増えていたため、シャルルを含めて兄たちとは手紙でやりとりすることが主であった。
寂しくはあるが、仕方ない。三稜鏡探しは過酷ではあったものの別邸では使用人たちが温かかったし、吉報も多く入ってきたから苦しくはなかった。
一番はステラが懐妊したことだ。ロッシュは今冬、若くして叔父になるらしい。
「早く、見せたいなあ」
遠く、王都がある空を眺め、ロッシュはぽつりと呟く。すると突然、きゅう、と胸が苦しくなり、呼吸が難しくなった。
「やっと、やっとだ……っ」
心の底から感動が押し寄せてきて、高揚しているのがわかる。目の奥が熱くなるが、すんでのところで涙は零さない。
これでロッシュはようやく、スタートラインに並ぶことを許される。正真正銘、魔物討伐ギルドの一員として、一人ではなく仲間とともに戦えるのだ。
「――」
迷宮遺跡ではなんとも思っていなかったが、孤独は寂しくて気を狂わせる。兄やステラの気持ちを思い知らされ、薬が抜けて頭がすっきりしたことでようやく気づくことができた。
なんて愚かなことをしていたのか。気遣ってくれた人たちの気持ちを無碍にして、敵だと思い込んでいたなんて。
「俺はもう、踏み外さない」
決意を新たにロッシュは逸る気持ちを堪え、別邸ではなく本邸へと脚長力馬を走らせた。




