リベンジ
CHAPTER 19「リベンジ」
冷たい床の感触で目が覚めた。
まだ頭が朦朧としていた。
身体の節々が痛かった。
硬い床で眠っていたせいだ。
右膝に痣ができていた。
倒れた時に打ったようだ。
時計を見た。
夜の9時だった。
あれから12時間近く眠っていたらしい。
よろよろと立ち上がるとシャワールームへ向かった。
熱いシャワーで全身の細胞に活を入れた。
体が活動を開始すると、腹が減っているのを思い出した。
冷蔵庫を覗くと、ラップに包まれた皿を見つけた。
パンケーキだった。
岡本夫人が余ったものを冷蔵してくれたのだ。
パンケーキを電子レンジで温め、バターとメープルシロップをたっぷりかけた。
コーヒーサーバーの底に残っていた、ドロドロとした黒い液体をマグカップに注ぐと、そのまま胃に流し込んだ。
苦い液体が脳を刺激し、一気に目が覚めた。
大失態だ。
なによりTKが裏切った、と言う事実が俺の心に暗い影を落としていた。
この街で唯一、心を許せる友人だと思っていたTKが……
「金、なのか……」
金の恐ろしさを、今更ながらに思い知った。
「落ち込んでいる場合じゃない」
俺はパンケーキの最後のひとかけらを食べ終わると、立ち上がった。
隠し部屋を覗いてみた。
マコのバッグが開けられ、衣類や化粧品、雑誌、お菓子の袋がベッドや床に散乱していた。
賊がマコの持っているという『証拠の品』を探したのだろう。
連中はお目当てのものを見つけられたのだろか?
マコを連れ去ったということは、まだ見つかっていないのか……
俺は床に落ちているマコのブラウスや下着類を拾い上げると、ベッドの上に纏めた。
「黒のレース? こっちはシルクか……」
ずいぶん大人っぽい下着だ。
しかも高級そうな物ばかりだった。
「今時の女子高生って、みんなこんななのか?」
事務所に戻りデスクに向かった。
デスクの一番下の引き出しを開けた。
中に詰まった書類の山をかき分け、奥から油紙に包まれた重い塊を取り出した。
油紙の中から現れたのは、革のホルスターに入った古い自動拳銃だった。
「こんな物を使う日が来るとはな……」
拳銃は昔、若気の至りで闇の商人から購入した物だ。
たぶん、不良少年がナイフに憧れる心理と同じ動機だったのだろう。
ホルスターから拳銃を抜き出した。鋭角的なデザインの古いドイツ製だ。
黒い鋼鉄の輝きが現れる。
遊底には目立つ場所に大きな傷があった。
この傷がなければ、コレクターズアイテムとして数千ドルで売れる代物なのだ、と、その商人の言葉を思い出した。
俺の目の前に並べられた10数挺の中で、こいつは際だっていた。
軽合金やプラスチックを使った最新型より、1世紀近く前に作られたこの古風な拳銃が、ひときわ輝いて見えた。
優れた職人の技によって削られた、鋼鉄の存在感に目を奪われたのだ。
遊底の傷も歴戦の勇者のようで気に入っていた。
俺は弾倉を抜き、先日『アランの店』で手に入れた.32口径実包を詰め込んだ。
弾倉を装填して遊底を引き、1発目を薬室に送り込んだ。
安全装置をかけ、ホルスターに納めた。
最後にホルスターを腰の後ろ、ズボンの内側に入れ、金具をベルトに引っかけた。
事務所のビルを出て3軒隣の小さな自動車修理工場に向かった。
半開きになっているシャッターを下からくぐり、中へ入った。
修理中なのかスクラップなのか見分けの付かない古い車が雑然と並べられている。
奥の事務所では禿散らかした初老の親爺が、昼間からカップ酒を飲みながらアダルトチャンネルを見ていた。
「親爺、車貸してくれ」
俺が声をかけると親爺は背中で答えた。
「ナンバー付なら全部出払ってるよ」
「いや、近所だからナンバーなくてもかまわないんで……」
「ガソリン車しかないけど…… 、小さいのでいいんなら、ポロかマーチ、鍵は付けっぱなしだから」
「恩に着るよ」
「前金で1万な」
高い。
「ナンバー無しで1万かよ」
相場の倍以上のボッタクリだ。
「あんたが使うんならコンビニに買い物、って訳じゃないだろう。保険料込みだ」
親爺は振り返り、歯が半分しか残っていない口でニヤリと笑った。
「しょうがねえな」
俺は渋々、1万円札をズボンの後ろポケットから取り出した。
親爺はまるで蛇が獲物に食らいつく時のようなスピードで、1万円札をひったくると、くるりと背中を向け、再び酒を飲み始めた。
「あ、それから、こっち戻ってくる時に、キング通りのセブンイレブンでおでん買ってきてくれないか」
俺がガレージに向かおうとした時、親爺が言った。
「おでん?」
「大根とガンモ、あと適当に見繕って」
俺はガキの使いか?
「あ、大根は色をよく見て、煮込みが足りないようだったら入れないでくれ。あそこ、生煮えの時がたまにあるから」
いちいち細かい。
湿った埃と古いオイルの匂いが充満するガレージの奥で、親爺の言ったワーゲン・ポロと日産マーチを見つけた。
どちらも2世代古い型で、うっすらと埃が積もっていた。
「これで1万はボッタクリだろう……」
俺はため息をつくと、比較的状態が良さそうなワーゲン・ポロに乗り込んだ。
ガソリンの残量とエンジンが正常にかかるのを確認すると、一旦降り、工場の奥の古い工具類が積み上げてある一角へ向かった。そして錆だらけの中から手頃な大きさのバールとスコップ、ワイヤーカッターを引っ張り出した。
俺はその破壊力十分な工具たちを、これもゴミの山から拾ってきた厚手の麻袋に入れ、ポロのトランクへ放り込んだ。
運転席に戻るとエンジンをかけ、走り出す前にワイパーのレバーを引きフロントガラスにウォッシャー液をかけた。
ワイパーが動かない。
ウォッシャー液は出たがワイパーが動かなかった。
俺は一旦車から降りると、ボロ布を捜し出し、ウォッシャー液で濡れたフロントガラスを拭いた。
「何やってんだろう…… 全く」
ワーゲン・ポロは臨海通りを北に向かっていた。
目指すは商業地区の中心部。
夕刻の通勤ラッシュが一段落付いた時間帯で人通りも車の往来も少なかった。
ウエストガーデンのほぼ中央に聳え立つ、ロマネスク様式の巨大なビルの前に車を止めた。
ここはかつて外資系の高級ホテルだった。しかし、数年で廃業となり、以後取り壊されることなく巨大な廃ビルとして残されていた。
ガーディアンズはこの建物を無断で占拠し、自分たちの本拠地としているのだ。
「まだ宵の口か……」
俺は腕時計を横目で見た。
午後10時少し前だ。
俺は車を発進させ、2ブロック先にあるスーパーの脇に車を止めた。
ここはかつて高級百貨店だった建物だ。
ホテルと同じ頃に倒産し、今では1階部分だけスーパー・マーケットになっている。
俺は裏手にある業者搬入口から中に入ると、従業員に見つからないように注意しながら地下に降りた。
地下は倉庫になっていて、俺は積み上げられた段ボールの隙間を縫うように奥へ向かった。
倉庫の一番奥に古びてほとんど使われた形跡のないドアがあった。
2年前と変わっていない。
東京は世界一変化の激しい都市である。
新しいビルが建てられては壊され、こく一刻と風景が変化していく。巨大な都市が、まるでひとつの生き物のように成長するがごとく変貌する、それが東京である。
ところが、変化する都市、東京の、唯一の例外がこの『24区』のウエストガーデンなのだ。
ある意味、租界のようなこの街は、10数年前に作られて以来、新しい建物が建ったことがなかった。
地下倉庫のドアを開けた。
予想通り、鍵はかかっていなかった。
ドアを潜ると饐えた臭いが充満していた。
ここは非常階段の出口である。
かつて、東京臨海高速鉄道(りんかい線)を延長し、新木場からウエストガーデンの中心部を繋ぐ計画があった。しかし、その計画は一部工事が行われただけで凍結された。原因はウエストガーデンの経済的衰退である。
ガーディアンズが不法占拠しているホテル跡の地下には、そのりんかい線の終着駅が予定されていた。
駅施設は地中まで工事が行われ、その後放置されている。
ホテルとその隣の百貨店とは一部通路で繋がっているのだ。
ペンライトで足下を照らしながら注意深く階段を下りた。
一番下まで降りたところでドアがあった。鉄でできた分厚い防災扉だ。
俺はスコップを使って床に積もった泥や瓦礫を取り除き、ドアを開けた。
ドアは少し開いたが、何かに引っかかっているようでそれ以上開かなかった。バールを隙間に突っ込み、無理矢理こじ開けた。
地獄の底から響いてくるような不気味な音を立てドアが開いた。どうやら蝶番が錆び付いていたようだ。
防災扉の中は駅のコンコースになる予定の空間だった。と言ってもコンクリート打ちっ放しの、何もない巨大な空間だ。所々にセメントの袋や資材、錆びた工具類が放置されていた。『安全第一』『整理整頓』などの張り紙もそのままだった。
「ここも2年前と変わってなかったか……」
ホテルの方向へ向かった。
途中、鉄格子に鎖が巻き付けられ、施錠された場所があった。
ワイヤーカッターを使って鎖を切った。
このくらいの障害物は想定の範囲内だ。
空間の突き当たりで防災扉を見つけ、ここも強引にこじ開けた。
この上はホテルである。
階段を上るとホテルの非常階段に通じるドアがあった。
ここは施錠されていたので、バールを使って蝶番を壊し、強引に突破した。
この上に奴がいる。
ホテルの最上階は28階である。
俺はスコップとワイヤーカッターを捨て、バールだけ肩に担いで階段を上り始めた。
ホテルのビルには非常階段が3カ所あった。そのうちの最も奥まった場所の階段を選び、最上階以外のドアを全てコンクリートで埋めたのである。
この通路を知っているのは、おそらく、ガーディアンズではアキラしかいない。
ここは、万が一の時、ガーディアンズの幹部が最上階から地下へ脱出するための非常通路なのだ。
これを作ったのは2年前の俺だ。
しかしその時は、まさか、この通路を逆方向から使うとは思いもしなかった。