第9話 『責任』
——泣いている子供がいる。
グスグスと、シクシクと、膝を抱えて子供はひたすら泣いていた。
何か嫌な事があったのか、俯瞰する意識には口がないため訊こうにも訊けない。
そんな時だった。
両手と両膝を涙で濡らし続ける子供の前に、柔和な表情を浮かべている年若い男が現れた。
男が目の前に来ても泣き続ける子供。男は何を言うでもなく、そっと——子供の頭、老人のような真っ白な頭髪を撫で始めた。赤子が眠る揺り籠を優しく揺らすように。
いつしか、子供の顔は面を上げ、潤む目を偉丈夫の男に向けていた。
「————」
その子供に何事かを男は呟いた。しかし話した事は分かるが、内容が脳裏に入って来ない。上手く噛み砕けないのだ。こんな近くで見ているのに。
「————」
そんな男に子供も口を開いた。子供が発している言葉も同じだ。まったく分からない。
だが一つだけ理解出来るモノがある。
それは、偉丈夫の男を認識した子供の顔が泣き顔から——笑顔になった事だ。
「(あ・・・・・・)」
思考が許されたように、俯瞰する意識——ユレスは気付いた。
あの子供は自分で、偉丈夫の男は——在りし日の父、ソムロスだという事に。
若い父を見つめるユレスがそう理解した直後。
視界がぐにゃりと歪み、暗転した。
「(父さん・・・・・・)」
錯覚だと思うが、視界が歪む一瞬前に・・・・・・父がこちらを見た気がする。
きっとユレスがそう思いたいだけだろう。
なぜならこれは、一夜の夢なのだから。
意識が——浮上していく・・・・・・。
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「・・・・・・・・・・」
目覚めは最悪でもあり、最高でもあった。
・・・・・・なぜそんなワケの分からない表現が出たのか、それはいまだに答えが出ていない問題に直面しているからだ。
問題——起床して涙を流していると気づいた時の感情である。
恐らく、ほとんどが最悪だろう。悪夢を見ておぞましい思いをしたとか。だが今回のユレスはそれ程悪感情を抱えておらず、むしろ嬉しいような、喜色の感情が内に広がっているのだ。しかし涙が流れているという事は嫌な夢を見た可能性もある。
良い夢を見たのか、悪夢を見たのか。
夢の内容はサッパリと消えているため、結論を出せないのが歯がゆい。
「ん、ん~~~!」
右手の甲で涙を拭き、両腕を上に伸ばしつつ、自室のベッドに横になっているユレスは上半身だけ起き上がった。
窓から射しこむ陽光に照らされた部屋は綺麗だ。荒らされた部屋だったが、昨日の内に片付けて元の状態まで戻したのだ。
ベッドから離れ、寝間着からいつもの黒い普段着に着替える。
直後。
コンコン、と部屋の扉の外から、ノックの音が聞こえてきた。
「ユレスー! 起きているかー!?」
ハルマレアだ。教会に今いるのは自分と彼女しかいないのだから、ノックする相手は予想するまでもない。
返事をするより開けた方が色々と早い、とユレスは部屋の出入り口の扉まで歩み、ハルマレアにぶつけないようにゆっくりと開けていった。
そして開き切った扉、視界に入ったのは高級そうないつもの服に着替えている彼女だが・・・・・・。
「・・・・・・レア」
「? なんだ?」
朝の挨拶をしようとしたユレスだったが、彼女のいつもの服装——ところどころ切り裂かれた部分を見た瞬間には引っ込んでしまった。
そんな彼の視線に気付いたのか、ハルマレアは自分の服を見やり「あぁ」と納得したように呟き、
「傷は自然に治るが、服はそうはいかない。・・・・・・みっともないのは分かっているが、生憎とあてが着れる服はこれだけだからなぁ。仕方あるまいて」
「・・・・・・・・・・」
あっけらかんとしているが、彼女の服をボロボロにしたのは紛れもなくユレスである。責められてもおかしくはないのに、彼女はただクスクスと笑うだけだ。
しかも結果的には良かったが、下手したら服だけではなく、彼女の命すら奪うところだったのだ。
そう、彼女に教わってないはずの『黒魔刻魔法』——邪神魔法で。
「(あの時はまるで、私の中に流れる魔力が教えてくれたような気がした。私の願いに応えて・・・・・・)」
「ユレスよ。早朝から済まんが、なれに話さなくてはならぬ事があるのだ」
思考の海に入りかけたユレスを止めるように、ハルマレアがそう言ってきた。
話さなくてはならない事・・・・・・恐らく、ユレスが今思案した事に違いない。ユレス自身も知りたいと思っているのだ。聞かないなんて選択肢はない。
「問題ないよ。ほら、どうぞ」
彼女の正面から横にそれ、部屋に入るように片手で促す。ハルマレアは「うむ」と頷いた後室内に入り、ぼすっとユレスのベッドに腰を下ろした。
扉を閉め、ユレスもベッド、彼女の隣に腰を下ろし、
「レアが話したい事ってのは、昨日の槍の雨・・・・・・邪神魔法の事かな?」
「うむ、まさしく」
やはりそうだったようだ。
そして彼女は、いつか見た険しい表情を出しながら口を開いた。
「まず訊いていいか? なぜ邪神魔法を使えたかを」
「それは、魔力が教えてくれたとしか言いようがないな」
「ほう・・・・・・あてもそう考えたが、やはりそうなのか。うーむ・・・・・・?」
「・・・・・・一体なんなんだ、邪神魔法って。あれも『黒魔刻魔法』なのか?」
ぶつぶつと思考を巡らすハルマレアに、つい逸って訊いてしまう。
そうしていくら思索しても答えが見えないからか、彼女は一度考察を中断し、ユレスの質問に答える事にした。
「うむ。邪神魔法も『黒魔刻魔法』の一部だ。とんでもない魔法だっていうのは理解したと思うが。それに、なぜあてが渋って教えなかった事も」
「ああ・・・・・・よく分かったよ。確かに最強で最凶な魔法だ。なにせ邪神魔法を使うには、生き物の死体を生贄——死体が必要なんだから」
生贄という言葉に不穏を覚え、違う言葉に変換する。それに正確には生贄という表現は間違っているが、気分的には生贄を捧げた気分なのだ。
生き物の死体——ありきたりなので思いつくのは人間だ。現にユレスは死体と化したテルスタ村の村人、ソムロス以外の人間を『吸黒魔雲』で吸収し、あの地獄の光景を作り上げた。
死体を自分の都合で使ってしまったのだ。神父の仕事に携わる者としては決してやってはいけない事を、ユレスはやってしまったのだ。
「(父さんに顔向け出来んな・・・・・・すでに昨日の墓参りで向けているが)」
あの世に旅立った父に心中で謝罪をした時だった。
ぐうぅぅぅぅぅ~~~!! と隣のハルマレアから、腹の虫が盛大に鳴いたのをユレスの耳が捉えた。
顔を彼女に向けて少し間を置いた後、こてん、と彼女は体を後ろに倒し、仰向けになってこう言った。
「おなかへった」
「・・・・・・・・・・」
「おなかへった、って言ってるんだよ?」
「たまに口調をガラリと変えるな、君は。それにそんな食いしん坊だったか?」
そういう口調だと本当に少女に見えてしまう。
口調を変えなくても少女にしか見えないが、と白髪の彼は肩をすくめつつ、
「話は終わりにして、朝飯でも食べるか。確か備蓄があるはずだ」
「うむ。だが最後に一つだけ・・・・・・邪神魔法はむやみやたらに使ってはいかんぞ。途轍もない魔法だが、それに見合う死体が必要だからな」
「分かってる。出来れば二度と使いたくない魔法だからね」
もう人間の死体など使いたくもない。
そこでふと、ユレスの脳裏に疑問がよぎった。
『吸黒魔雲』で取り込んだ人間の死体は——一体どこに消えたのだ?
「・・・・・・なぁレア」
「ん?」
自分の次にベッドから立ち上がった彼女にユレスは、
「『吸黒魔雲』で取り込んだ人達の死体はどうなったんだ? 『吸黒魔雲』と一緒に消えたんだが」
その彼の質問にハルマレアは「あても詳しくは分からぬが」と前置きをしてからこう言った。
「あてら魔族が信奉する邪神とやらに捧げているらしい。あてはまったく信奉していないがな」
「邪神・・・・・・」
その情報が嘘か真実か判断は着かないが、どちらにしてもユレスには歓迎出来る話ではない。
自分は人間で、人間側の神を信奉する神父の息子なのだから。
窓から外の景色を眺める。出かけるには最高のいい天気だ。
そして、ユレスはふと先のハルマレアの言葉とこれまでの生活を思い出し、
「なるほど・・・・・・こちらの神も魔族側の邪神も信じない君は無神論者だったんだな?」
そのユレスの言葉に彼女はクスッと笑いつつ、鷹揚に頷き、こう言って場を締めくくったのだった。
「当然だ。なにせあては現実主義・・・・・・目に見えぬモノは一切信じない、元魔王の娘にして極短期間だけ『魔王』だった——傲慢な女なのだからな」
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朝飯を食べ終えた次の行動、それは無論決まっている。
旅の準備だ。
「あまり荷物は持ちたくないな」
路銀だけ持てば十分か、必要な物は行く先々で揃えればいい、と身軽が好きなユレスは、自室でポンポンと金が入っている革袋を左手で上に投げて遊んだ後、懐に入れる。
これで準備完了だ。
自室の扉に近づき取ってを掴んで開ける——前に、部屋の内装を見回す。
見納めだからだ。もうこの部屋には戻らないだろう。
「お別れだな・・・・・・」
しばしの間を置き、ユレスは最後に一礼して部屋を出る。次向かう場所は礼拝する場所だ。彼女も準備が終わったならばそこにいるはず。
そうして着いた矢先、長椅子に腰を下ろしているハルマレアを発見した。
彼女も身軽さを好むのか、特に荷物などは持っておらず、ボロボロの私服を纏っているだけだ。
「・・・・・・・・・・」
——やはりダメだ、このままでは。というか見ていられない。
懐をまさぐり、ユレスはしまったばかりの革袋を取り出し中身を見る。金は十分にあるが、彼女の為にと思案すると少々心許ない。
昨日偶然見つけたヤツで、手つかずのまま行きたかったのだが、もし彼がここにいるならば——むしろ持っていけと言うような気がする。
決心し、ユレスはまだこちらに気付いていないハルマレアに、
「おーいレア! 悪いがもう少し待ってくれないかー! 取りに行く物がまだあるから!」
「・・・・・・? うむー! 別にゆっくりでも構わぬぞー!」
そう言ってくれた彼女にユレスは片手を上げて応え、もう一度先程の廊下を引き返した。
勿論自室に戻るのではない。
目指す場所は、父の部屋だ。
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「・・・・・・それは?」
そう時間をかける事無く礼拝する場所に再びやって来たユレスを見て、ハルマレアは疑問の声を上げた。
具体的に言うなら、彼が両手に持つ二つの革袋を見てだ。
その彼女の疑問に答えるべく、ユレスは口を開く。
「右手に持っている方は、元々私が持っていたお金が入っている革袋。左手のこれは・・・・・・父さん——ソムロス様が貯蓄していたお金が入っている革袋だ」
「ほう。そのズッシリ感、結構入ってそうだな?」
「ああ。・・・・・・昨日自室を掃除した後にソムロス様の部屋も掃除してな。その時に見つけたんだ。これも、私達の路銀として持っていく」
「ふむ、確かに金は多くあって困る物ではない。だがいいのか? 死者——それもなれの父の物に手をつけて」
「私も最初は置いていこうと思案した。しかし、このままここに置いていてもいつか誰かが見つけて持っていってしまうかもしれないし、何より、君の服をそんな風にした責任を取らねばならないと判断した」
「責任か。どうする気なのだ?」
「これから隣村のメデルス村に向かうだろう? メデルス村はテルスタ村と違い服屋が複数あるんだよ。だから・・・・・・そこで君の服を調達しよう。それにその服は目立つしな。普通の服を着ることで、魔王軍の奴らから見つからない可能性を上げるべきだ、うん」
「ほう・・・・・・ほう・・・・・・要するになれは、あてに服を買ってくれるって事だな・・・・・・?」
気のせいか、彼女の目が何かを期待するようにキラキラと輝いている気がする。
色々と言葉を並べたてたが、彼女の言う通り、
「ああ。好きな服を選ぶといい」
「ほお・・・・・・!!!」
もう気のせいという次元ではない。誰が見ても明らかに彼女の瞳は輝いている。
服を買ってもらう事がそんなに嬉しいのだろうか。高級な服を着ている彼女だ。家出をする前には様々な服を与えて貰ったものだと邪推してしまうが。
そうして、ウキウキとした彼女は左手でユレスの上衣の裾を掴んで引っ張りつつこう言った。
「こうしてはおれんなっ。なれの気が変わらん内にさっさとメデルス村に向かおうぞ!」
「別に気は変わらないから、ゆっくり行こう。な?」
「ああ・・・・・・! なれとソムロスに感謝感激感無量だっ」
両手に持っている革袋を懐に収め、逸るハルマレアを宥めながら歩き出す。
この礼拝堂ともお別れだ。最後くらいじっくりと歩きたいのだ。
隣のハルマレアが何の服を買うか、というワクワクした呟きを聞きながら、ユレスは靴跡を残すように力強く床を踏みしめつつ、礼拝堂の扉に向かっていった。