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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅴ 偽りの公正
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皇帝の証明

お、お久しぶりです。

活動報告に、再投稿を始めるに当たって編集した箇所などを書いていますので、一度ご確認いただけますと嬉しいです。


「返信が送られてきました!」

 内務局所属で、執務室付きの事務官が高々と右手を掲げて室内に入ってきたのは、罠を仕掛けてから1月後の事だった。

「見せてくれ」

 今日という日が予見されていたため執務室に詰めていた農務大臣が手を伸ばす。はっ、と高らかな返事と共に恭しく差し出されたそれを、半ばひったくるようにして受け取り、時間を惜しむように開封するその手は震えている。

 それぞれが抱えていた仕事の手を止めて、皆が見守っている。

 大臣の瞳が左右に忙しなく動いて、文面を追った。

「どうだ?」

「……か、掛かりました」

 安堵の微笑と共に宣言すれば、室内はワッと歓声が上がった。

 第一段階が上手く行ったのだ。

「予想通りね」

「はっ」

 今日も今日とて傍らに控えているフォンビレートを振り返ると、彼もまた満面の笑みで作戦の成功を祝っていた。

 昨日、密偵を放つように指示を出していたミスタリナ騎士団の団長クイートの報告を聞いたときから分かっていたことだが、それでも実際に返事が来るまで確定はしていなかった。

「これからどう調理すべきか腕が鳴るんじゃない?」

「ご冗談を」

 悪戯っぽく笑いかければ、瞬き一つで流される。

「既に決定しております」

「……そう、だったわね」

 本当に恐ろしい執事だと実感する。

 ここまで起こっていることは全て、あの日決められたその通りである。その言葉の一つと言えど果たされないままのものはない。


「農務大臣、法務大臣、総務大臣」

「はっ」

 何一つ果たされないままではないのならば、当初の取り決めどおりに行うべきだ、と大臣を呼びよせる。

 彼らもまた、今回の罠に関与している者達だ。

「事前通知は済んでいるわね?」

「はっ。ミスタリナ騎士団に協力してもらい、商人たちに噂を流しております」

「感触は?」

「概ね良好なようです。聡い者達は”塩”が絡んでいることに感づいておりますゆえ」

 法令を発令するのに先立ち、国内の商人に対して根回しする役目を担った総務大臣が自信を持って発言する。

 今回のこの罠に自国の有力な商人までを巻き込んでもしょうがないのだ。1月の猶予を持って先に情報を与えることが、カルデア政府が行える唯一の優位性だ。

 この情報を握ってなお自分の商会を守れない者達には、自分がそこまでの器だったと諦めてもらうほかない。

「法案は細部まで詰められている?」

「いつでも。ご命令いただければ直ぐにでも発令いたします」

「貴族院の許可は?」

「問題ありません。稟議の形での採択を終え、陛下のご決済を頂くだけです」

 フォンビレートが発案したその法案を形にする役割を担った法務大臣もまた、力強くうなづいた。

 与える抜け道の大きさを決定するこの作業なくしては、今回の罠は発動しない。

 現在、夏は真っ盛り。貴族達がこぞって避暑を行っているこの現状は、ロンドニト帝国に気付かれずに法案を通すのに功を奏した。政府からの使者が秘密裏に署名を集めたため、全く表ざたになってはいない。

「農務大臣」

「はっ。……ここまでお膳立てしていただければ結構です」

 最後の仕上げを行う役割を担う農務大臣もまた確かな覚悟でうなづいて見せた。

「よろしい」

 全ての工程が滞り行われていることを確認して、シシリアの口角は自然と上がっていく。

 無理難題だと思われていた”塩”の問題の解決は直ぐそこまで来ている。そのことに十分な満足を得てフォンビレートを仰ぎ見ようと顔を背後に向けた。


 否、向けようとした。

 その途中でふと部屋の中を見渡したのは、なぜだったのか。こちらを一心に見つめる顔・顔・顔。その真摯な瞳に見つめられ、驚きに呼吸が止まった。


 部屋の誰もがシシリアを見つめていた。


「陛下……?」

 誰かが訝しげに口にした言葉さえ耳に入らない。


 もう何年もこの執務室で仕事をしてきた。数え切れない人間に指示を与え、命令を与えた。顔を合わせたことのある人間は数え切れない。

 それでもこれほどまでに意識したことはなかった。

 これほどまでに、多くの瞳を受けていたなど――。


 一人ひとりに目線を合わせても、誰も逸らしたり、気圧されたりしない。


「いや……その、」

 後ろめたいことなどあるはずもないのに、口ごもる。

 自分がこの光景に何を感じているのか、自分でさえ掴み損ねて、次に発するはずだった言葉が出てこなかった。

「その、」

 意味もなく口ごもる自分達の皇帝に何を感じたか。ややあって、レライが顔を綻ばせた。ああ!と言わんばかりの満面の笑み。

 そこから伝染するように次々と笑顔が広がり、互いに顔を見合わせてまた笑う。

 その笑顔の理由が分からず戸惑い、けれど決して不愉快ではない心持に、ますます困惑が深まったとき――。

「陛下」

 種明かしをするような口調で、レライが口を開いた。


「陛下、ご心配には及びません」

「確かにこれは危険な賭けです。否、他の者が聞いたなら、十中八九、一笑に付すような罠です」

「それでも」

「ご心配には及びません」

 代わる代わる大臣達が口を挟む。


「……」

 爽やかささえ感じる微笑で、この騒動への不安を吹き飛ばす。

 彼らの周囲を見ても、皆一様に賛同し、首を縦に振っている。


 ―― 意味が分からない、とシシリアは考える。

 この案は、確かに希代の筆頭執事が、フォンビレートが書き起こしたものだ。それでも絶対の成功などというものはありえない。まして、これ(・・)が失敗に終わった場合、カルデアはロンドニトとの間に深刻な問題を抱えることになる。

 成功率は五分五分。そんな危険な話が『大丈夫』と断言できるようなモノであるはずもない。それも笑顔で、など。

「陛下」

「……断言して良いのか?」

「はい」

「もちろんです」

 皮肉を込めて聞いたものにさえ、余裕を持って返される。


 シシリアとて、客観的にみて成功率が低いと分かっていてこの案を遂行したのは決して無謀ではない。皇帝としての冷静な計算と筆頭執事への、フォンビレートへの絶対の信頼がその勝算を押し上げた主な要因だ。

 だからと言って、誰もがフォンビレートへ同じようなものを抱いているとは思えない。先の大戦で罪を犯したことを誰もがおぼろげにであっても理解している。


 それなのに、なぜこれほどに。


「我らは陛下を信じております」

「!……」

 思考に被せるように言われた言葉に、今度こそ息を呑む。

「我らの皇帝陛下が行うと裁可されたときから、ただの一人と言えど揺れ動く者はおりません」

 それ以上何も付け加えられない言葉。

 それでもその続きが、シシリアには聞こえるような気がした。



 『王位は王のものなのだ』

 遠い昔にも思える日々。

 王としての能力(ちから)に向けられた数々の懐疑的な視線。

 『多くの民族がより集まって出来たこの国には、立場でも権威でもなく、その力で君臨する王が必要なのだ。その点、あの王は余りに脆弱だ』

 今となっては傍で使え続けている、自らで”見極めるが良い”と、”ただ傍にあれ”と、命じたレライからの痛烈な批判が蘇る。

 持っていた武器は唯一つ。完全無欠の執事の忠誠だけ。

 『それは、人として好ましい。だが……王としては失格だ』

『それでは、国民は守れない。国を向上できない……民は今この瞬間にも生きているのだ。王が民全員とお友達になるまでに死にかねないのだよ』

 ”王”と。

 ”皇帝”と呼ばれるために。飾りでない肩書きを手に入れるために我武者羅に足掻いてきた日々。


 それが。今。

 

 ただ陛下のために。

 情に厚く、揺れ動く。けれど、それでも。この国の為に働くこの女王を愛し、心服しているから我らはここに居るのです。


 そんな言葉が聞こえるような。

 言葉によるより、ずっとずっと魂に響く視線。


「……そ、う」

「はい」


 適切な応えが思い浮かばずに出た適当な相槌にさえ、一致して返答する、私の(・・)臣下。

 一人ひとりをもう一度見つめれば、脳裏に鮮やかなアリスの花が思い浮かんだ。


 ―― 小さな頃、アリスになりたかった。

 アリスという泣き虫の少女が、みんなに助けられながら成長していく物語。弱くて欠点だらけで。でも信じる力が何よりも強いその少女が、幼き日のシシリアにはうらやましかったのだ。

 弱くて欠点だらけでも、仲間をたくさん持つ彼女が。


 それを諦めて、唯一人の忠節を買うことで歩みを止めてしまったのは何時の事だろう。

 『他には何もいらない』と期待することを止めてしまったのは。忠実ささえ変えれば良いと、心からの忠誠は必要ないと放り出したのは。


「そうね」

「はい」

 それが。今。

「……行きなさい。勝利は約束されています!」

「はっ」

 幾重にも重なる覚悟ある返答。

 その号令を待ち焦がれていたかのように、皇帝の熱を確かに受け取ったと言わんばかりに、皆それぞれの仕事を果たすために足早に動きだす。


「陛下」

 飽和した暖かな雰囲気に落とされた清涼な声。

「フォン」 

 今度こそ振り仰いだ先にはいつも通り、絶対的な存在感でフォンビレートが立っている。

 アリスのようになりたい、と漏らした日の問いかけが蘇る。あの時私は、なんと答えただろう。


 『今もそう思われますか?』

  ――ああ、そうだ。『貴方がいて、他に何がいるのかしら?』と。そう言ったのだ。


「今も、そう思われますか?」

 シシリアが思い出したことを分かっているのだろう。フォンビレートはあの日と同じように問いかけて見せた。

 まるで幼子の成長を見るように、それでいて君主に対する敬愛を表現するように。その瞳はレライのように悪戯気で、緩やかな曲線を描いて弧になった。

「……貴方がいて、彼らがいて」

 彼ら、と口に出しながら室内をもう一度見回した。

 筆頭行政官、事務官、大臣、近衛、騎士。この国のありとあらゆる国民。”陛下万歳”と唱えてくれる者達。

「他に何がいるのかしら?」

 これは強がりではない。

 シシリアは物語のように、常に成功が約束されている道を歩いているわけではない。王になりたいなど、皇帝となるなど、考えもしなかった。良い君主かどうかは分からないし、きっとそれは歴史が評価するだろう。

 それでも。

 それでも、幾万もの手によって”皇帝”足りえている自分を、存外好きだと思った。もし生まれ変わっても、この生を選んでも良いと思うほどに。


「……さて、分かりかねます」

 冷静さの取り繕うことなく、笑って返すフォンビレート。


 彼も変わった。私も変わった。

 そして、そういう主従関係も存外悪くない、と思うのだ。





 コルベール暦1550年の夏の一日は、シシリアとその臣下たちにとっては忘れ難き一日となった。

 それのもつ意味は以後の歴史を見ればよく分かる。


 この日よりカルデアの歴史は躍動し始めた――。



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