第11話 見えてくる現実
帳簿の多くが改ざんされている可能性。
それは、組織を運営する者にとっては致命的なことである。クラリスもその重大さを理解していた。
「わかった。執務係と出納係を連れてくるよう手配しよう」
レオナールは衛兵を呼びつけ、指示をする。
「メイ、ちょっとわかりづらいんだけど、このインクが使われている帳簿がどれだけあるか、確認してくれない?」
「かしこまりました、けど……見逃しは許してくださいよ」
「私も調べるから。二重の確認のためよ。レオナール様、このインクが本当にそれか、確認できますか? 似たものが昔からなかったか、など」
「そうだね……僕が持っている同じインクを同じ紙に試してみようか。画材を扱う商人にも確認を取るか」
「お願いします、それでは、私は……」
そこでクラリスは言葉に詰まる。
屋敷、直轄地、委任領地、各種事業……それらが年次に分かれてまとめられている。帳簿と一口に言っても大量にあるのだ。
納品書や領収書を揃えて逐一突き合わせることは難しいし、そもそも古い領収書なんかはすでに処分されているだろう。
――すべてを元に戻すのは、無理があるわね……。
「どこから手をつけるべきか……ああ、もう!」
せっかくホーディンクの件を片付けられそうだったのに、こんな問題が起きるなんて――さすがにクラリスも冷静さを欠いてしまいそうだった。
「クラリス」
その時、レオナールがクラリスを軽く抱きしめた。
「ごめん。これは君に背負わせるべき問題じゃない。僕の問題だ」
メイが「あらあら」という顔をする。
「でも、未来を一緒に描くって……そう言ったじゃないですか」
「やれることだけ、やってくれればいい。君に負担をかけるくらいなら、王宮に応援を頼もうと思う」
「王宮……!」
王宮に言えば、国の機関として対応にあたってもらうことはできる。公爵家に限らず、そういう制度があるからだ。しかし、それはこの失態を広く公に知らしめるという意味でもあった。だから、商家はまずその制度には頼らない。クラリスはそのことを知っていた。
――事の次第によっては、レオナール様が責を負わされてしまう。
問題を解決できたとしても、その問題を引き起こした最終的な責任は家長にある。この公爵家の家長はもちろん公爵であるレオナールだ。公爵家という影響力の強い家の失態となれば、国政への影響すら考えられる。それは、罪として跳ね返ってくる可能性があった。
「わかりました。やれるだけ、ですね。二日だけください。直近を乗り切るために現状だけは明らかにします。王宮へ頼むかはそれからご判断ください。それとレオナール様、信頼できる者を一人だけ、追加させてください」
「わかった。くれぐれも無理はしないでくれ。僕は関係する者から経緯と情報を聞き出すよ。ホーディンクも含めてね」
「お願いします。メイ、ボルワート商会の支店に行って、カールを連れてきて。彼は計算が得意だから。お父さんには後でどうとでも言い訳するわ」
*
出納係によると、帳簿はきちんとつけていたはず、そんな変わったインクは使っていないという話だった。一方で執務係は、矛盾するようなことを言い続けた結果、「全てはホーディンクの指示だ」と言い訳を始めた。実行したのは執務係で、指示をしたのはホーディンクという構図が浮き彫りになった。
その証言を受け、レオナールとクラリスは地下の牢に入れているホーディンクの元を訪れた。
「ホーディンク。なぜこんなことをしたんだ!」
「公爵家のためでございますよ、レオナール様。もう、この家は限界だったのです。こうでもせねば王宮の監査を潜り抜けられませんでしたからな」
「馬鹿な! わがアーヴィング家の収入は莫大なはず。なぜそんなことになるのだ!」
「これだから、絵ばかり描いていた坊ちゃんは……お父様も、お兄様も、どれだけ経営に腐心していたと思っているのです。収入も多いですが、支出も莫大なのです。バランスを欠けばすぐにこうなる」
――嘘だ。
クラリスは、ここ半年の帳簿を見ていた。そこで「収入が少ない」ことも気になっていたのだ。そういう理由で捏造するなら「収入を大きく見せる」方が都合が良いはずだ。この期に及んで何かを隠しているのではないか。クラリスの商人としての勘がそう言っていた。
「それで、本物の帳簿はどこにあるの?」
「……そんなものは無い」
若干の動揺を見せるものの、開き直った様子を見せるホーディンク。
「公爵家の半年の収入があれだけのはずが無いでしょう。どこに回したの。答えなさい」
「知らんな。お前などに話す言葉など持ち合わせていない」
「ホーディンク!」
「旦那様、あなたのせいなのですよ。全てね」
「……行きましょう、レオナール様。この男と話をしても無駄です。ホーディンク、せいぜい重い罪を覚悟しておきなさい」
――公爵家のことを本当に考えていたのなら、なぜあのディナーのとき、レオナールに家のことには何ら問題はないという嘘の笑顔を差し向けたのか。この男の言葉に真実はないわ。
二人が執務室に戻ると、ちょうどメイがカールを連れて帰ってきていた。
「いやー、店長。お久しぶりっす」
「カール、急にすまないわね。……店長はやめて。レオナール様、こちらはカール。私が前にやっていた商店で働いていた者です。計算が得意なので役に立つと思いますわ」
「よろしく、カール。レオナール・アーヴィングだ」
「へへっ、こりゃどうも。俺は検算すれば良いんで?」
「カール、公爵閣下の前です。もう少しお行儀良くなさい。ボルワート商会の品位が疑われてしまうわ。……ええ、検算をお願い」
「公爵閣下!? このお若い人が!? いや、すいません、そりゃ失礼しました」
「いや、良いんだ。よろしく頼む」
「……店長、本当に公爵夫人になったんですねえ」
「まだ公爵夫人ではないし、店長はやめてってば」
「わーかりました、クラリス様」
こうして、数名で今日、今週、今月と確認を進めていく。
支出の予定、収入の予定、現金、資産、短期負債、長期負債……様々な項目を積み上げていく。
夜を徹した作業を続け、翌日の昼過ぎにはある程度の状況が見えてきた。
「……最悪、ね」
アーヴィング公爵家は、実際に財政破綻の瀬戸際にいた。
それがただ、残酷に浮き彫りになった。
「このままだと、あと三ヶ月、か」
レオナールの声も暗い。
収入と支出には波がある。それを浮き彫りにしていった結果、今の予定のまま進んだら三ヶ月後の大きな支払いで金貨二千枚ほどが足りなくなることがわかった。クラリスの店長時代の給料が、月に金貨三枚。
――あんな豪華な夜会、開いている場合じゃないじゃない! めちゃくちゃだわ。
「まずは、短期的な支出を削りましょう。今年の領内の収穫高がわかりませんが、昨年同様の収入があるならそれで乗り切れるはずです。……その昨年の数字が信用ならないのが難点ですが」
今は秋。もうすぐ収穫による収入が入ってくるはずであった。
「その辺りの予定は領地の代官にもわかるだろう、確認する」
「それが済んだら、次は六ヶ月持たせられる算段を立てましょう。それから、毎年の支出の山を整理して、それらのタイミングで手元の資金が足りなくならないように調整できればと思います」
「わかった。……本当にありがとう、クラリス。君がいなかったらどうなっていたことか」
「いえ、まだ何も解決しておりませんから。これからです。一緒に頑張りましょう!」
――ホーディンクは公爵家が破滅に向かっていたから自分が助かるために着服を? そんな単純な話?
「あー、これ、やな感じっすねー」
カールが紙の束を持ってくる。
「カール、これは?」
「オーベルム商会の伝票。新興の幅利かせてる商会っす。検算してると高額の支出はここばかり出てくるんすよね」
「オーベルム……?」
聞き覚えのある響きに眉をひそめるクラリス。
レオナールがため息と共に口を開く。
「……義姉さんの……アネッサの実家。オーベルム侯爵家の商会だ」




