毒針は二度刺す(前編)
爆音とオイルの残り香
ネオンが雨に濡れる超高層都市「ネオ・キョウト」。高度数千メートルを静音エアカーが滑らかに飛び交う上空をよそに、過密化した最下層のハイウェイでは、爆音のV8エンジンが重厚な金属音を響かせていた。
「おい親父! いまどきガソリンを撒き散らす化石車に乗せられる身にもなれよ。車酔いで吐きそうだ!」
後部座席の乗客が不機嫌そうにドアを叩く。運転席の男――冴えない個人タクシー運転手のジャックは、くたびれたハンチング帽の深庇からニヤリと笑ってみせた。
「悪く思わないでくれよ、お兄さん。全自動のスマートカーなんて手ごたえのねえ箱に乗ってちゃ、男の金玉が縮んじまう。こいつは手がかかる分、機嫌がいい時は最高なんだ」
ジャックは愛用の黄色い旧車マッスルカーのステアリングを愛おしそうに撫でた。そして、不思議と腰に吸い付くように馴染むレザーシートに深く背中を預ける。なぜだか分からないが、このシートに座っている時だけは、何者にも脅やかされない絶対の安心感があった。
客を降ろし、深夜のVRサロンへ滑り込むのがジャックの日課だ。
ヘッドギアを装着し、彼が好んで買い求めるのは「伝説の宇宙海賊」の超リアリティ体感プログラム。
『あいにく、俺の辞書に“降参”って文字は載ってなくてね』
夢の中の自分は無敵だった。腰に巻きついたナノメタルの尻尾を解き、群がる巨大組織のサイボーグどもを薙ぎ払い、絶世の美女を抱き寄せて煙草に火をつける。
(……はは、出来すぎた夢だ。映画の観すぎだな)
目を覚ましたジャックは苦笑しながら、無意識に自分の腰元――重厚な革ベルトに触れた。そこにはいつもと変わらない、無骨なバックルが収まっているだけだった。
運命の乗客
雨が激しさを増した午前2時。裏カジノの暗い路地裏で、タクシーのドアが荒々しく開いた。
「どこでもいいから出して! お礼はいくらでも払うわ!」
飛び込んできたのは、ドレスを破り、息を切らせた銀髪の美女――ドミニクだった。直後、路地裏から黒塗りの重装エアカー群が押し寄せ、銃弾がタクシーの装甲を弾く。
「おいおい、メーターを倒す暇もありゃしない!」
ジャックは煙草を咥え直すと、時代遅れのシフトレバーを叩き込んだ。
最新の自動運転システムなら一瞬で外部ハックされ停止する場面だが、この車は完全なる「アナログの怪物」だ。爆音と共にリアタイヤが悲鳴を上げ、追撃の手を荒々しいドライブテクニックで振り切っていく。
しかし、追手は銀河系最大の犯罪シンジケート「レヴィアサン」の精鋭部隊。
挟み撃ちに遭い、旧車は廃工場の行き止まりへと追い詰められた。蜂の巣にされたエンジンが沈黙し、黒煙が上がる。
「ここまでだ、ネズミども。女を渡せば命だけは助けてやる」
全身をサイバネティクス化された巨大な男が、極太のプラズマ砲をジャックの頭に突きつけた。
覚醒のシグナル
「降参だ、手は上げてるだろ? 俺はただの貧乏タクシー屋だ……命だけは助けてくれ!」
両手を高く挙げ、無様に命乞いをするジャック。ドミニクが絶望の表情を浮かべたその時――ジャックの脳裏に、強烈なノイズと共に失われた記憶の断片が一気に雪崩れ込んできた。
(――退屈なんだよ、レディ。銀河を荒らし回るのも飽きた。一度でいいから、平和なカモの暮らしってやつを味わってみたくてね)
(――本気なの、スコーピオン? 自分の記憶を消してまで……)
(――なに、3年もすればまた、スリリングな毒が恋しくなるさ)
「……やれやれ」
ジャック――いや、スコーピオンの口角が、凶暴でニヒルな笑みに吊り上がった。
「せっかくこの車、先週車検を通したばかりだったんだがね」
「あぁ? 何をバカなことを――」
「起きろよ、シエル。いつまで人のケツの下で寝てる気だ?」
スコーピオンが呟いた瞬間、彼が背中を預けていたレザーシートの縫い目が青白い光を帯びた。
シートの表面から、流動する美しいクロームシルバーの金属がじわじわと溢れ出す。それはスコーピオンの体を優しく包み込み、一瞬にして流麗な女性型アンドロイド――相棒のシエルへと結実した。
「ご機嫌よう、スコーピオン。3年ぶりのあなたの体重、ちょっと重くなってたわよ? ちゃんと運動してた?」
「サラリーマンの基本はデスクワークと暴飲暴食だからね。……さあ、邪魔者を片付けてドライブの続きと行こうか!」
毒針の洗礼
両手を挙げたまま、一切の身構えを見せないスコーピオン。
次の瞬間、彼の腰に巻かれていた「レザーベルト」が不気味な金属音と共にスルスルと解け、まるで蛇かサソリの尾のように空中で蠢いた。
「なっ……何だそれは!?」
敵が引き金を引くより早く、目にも留まらぬ速さで伸びたナノメタル・テールがサイボーグの首を締め上げ、天井へと吊るし上げる。
テールの先端が開帳し、青白い精神波エネルギーが凝縮される。
「手ぶらで降参してる男の言うことくらい、信じてほしいもんだね」
ズドン―――!!
先端から放たれた極大の光線が、廃工場ごと敵の部隊を蒸発させた。
崩れ去る瓦礫と炎の中、スコーピオンは煙草の煙をくゆらせ、シエルの腰を慣れた手つきで抱き寄せる。
「さて、お嬢さん。メーターの続きを回すとしようか。行き先は……銀河の果てまでだ」




