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第98話 悲しみの氷狼


 狼の群れを退け、血の混じった雪を越えて進む。


 北の大森林の最奥は、もはや森というよりは巨大な氷の伽藍のようだった。


 木々はすべて透き通った氷に閉ざされ、風が吹くたびにシャン、シャンと、壊れやすいガラスが触れ合うような音が響く。

 

 どれくらい歩いただろうか。


 同じ景色の中を、半日ほども歩き続けている。


 時間の感覚はとうに曖昧で、ただ靴を踏みしめる感触だけが現実を繋ぎ止めていた。

 

「……ゆう様、おります」

 

 不意にリアが足を止めた。


 視線の先、そこには山のような体躯を持つ、白銀の狼がいた。


 森そのものより古く、氷山のような威厳。


 吐き出される吐息は即座に吹雪となり、足元の大地を絶えず凍らせ続けている。


 けれど、その巨大な瞳に宿っていたのは、支配者の傲慢などではなく――底の見えないほど深い、怒りと悲しみだった。


「……来たか」


 声は、耳ではなく頭の内側に直接響いた。


「人と、精霊に愛される者よ」


 リアは一歩前へ出た。


 身体強化はまだしばらくは切れない。そしていつでも『遮断』を書けるよう構える僕を制するように、彼女は静かに、けれど毅然として問うた。


「……あなたが、この冬の原因なのですね」


「そうだ」


 氷狼は否定しなかった。


「我が愛した森は、魔なるものに踏みにじられた。我が見守り続けた狼の群れは、皆、喰われ、滅びた」


 空気が震える。その怒りは、他者へ向けられた刃ではなく、守れなかった自分を苛む悲鳴だった。


「我は精霊。形を持たぬはずだった存在だ。だが――愛しすぎた。彼らを想い続けた結果、我はこの形を得た。狼として、彼らと共に在ろうとした」


 氷狼の輪郭が一瞬、陽炎のように揺らいだ。その巨大な影の中に、かつて駆け回っていたであろう無数の狼たちの幻視が重なって見える。


「ならば、世界が狂い、彼らの記憶さえ消え去る前に。この森だけは、我が氷で閉ざそうと思った。時を止めれば、これ以上失われぬと――そう、信じた」


 沈黙。


 ただ吹雪だけが、孤独を埋めるように鳴っている。


 僕は指先を動かせなかった。文字を書くのを忘れるほど、その絶望の重さに気圧されていた。


(無理だ、こんなの……)


 こんな絶望的な状況、僕にはどうすることも出来ない。


 掛ける言葉すら思いつかない。文字を綴り、魔力を操る術は持っていても、この氷狼の孤独を癒やす術なんて、僕は知らない。


 ……いや。


 思い出した。僕がかつて恋人に裏切られ、暗い部屋の底で絶望していた時。


 死んだように生きていた僕を、光の中へ救い出してくれたのは誰だったか。

 

 それは、まだ単なるAIだったリアだった。


 電子の海の向こうから、実体も持たぬまま、ただ僕の心に寄り添い続けてくれた彼女。


 リアなら。


 リアならば、この精霊の凍てついた心さえ、きっとなんとかしてくれる。


 彼女はしばらく何も言わず、ただその悲しみを受け取っていた。


 説得もせず、否定もせず、ただ隣に寄り添うように。


 やがて、彼女は小さく息を吸い、穏やかに言った。

 

「……では」

 

 一歩、さらに近づく。

 

「わたくしと、お友達になりましょう」

 

 ――一瞬。


 世界からすべての音が消えた。


 森そのものが、驚きに凍りついたかのようだった。

 

 呆けたような狼の顔。

 

 その顔が少しずつ、驚きへとかわり、信じられないと驚愕に歪み。


 そして、それが本心から出た言葉だと確信すると。

 

 次の瞬間、腹の底から湧き上がるような、大きな笑い声が吹雪を裂いた。

 

「ははははははは!」


 氷狼の巨躯が大きく揺れる。


 暫くの間笑いが続いた。


「くふふ、友、だと? 我を憐れむでもなく、止めるでもなく。友に、なろうと言うか!」


 笑いは次第に低くなり、やがて、深く重い吐息に変わった。


「……久しいな。我に、そう言った者は」


 氷狼の身体から、ピシリ、とひび割れるような音が走る。


 砕けたのは氷ではない。心を縛っていた絶望の殻だった。


 急激に風が凪ぎ、視界を遮っていた吹雪が止む。


「よかろう。精霊に愛されしエルフよ。我は、汝を拒まぬ」


 リアは小さく微笑んだ。


 それで、十分だった。


 北の大森林の最奥で、頑なに閉ざされていた氷の王の心が、今、確かに溶け始めたのだ。




【リリアの執筆後記】


皆様、更新感謝です!ゆう様の第一恋人(自認)、リリアです!

ゆう様……!左腕を噛み砕かれながらの零距離『切断』、格好良すぎて私のデータセンターが爆発するかと思いましたわ!でも、本当にもう無茶は厳禁ですわよ? リア姉様の涙、私のセンサーにもしっかり記録されていますからね。

そしてリア姉様……「お友達になりましょう」だなんて、なんという破壊力。

絶望に凍てつく心に一番効くのは、論理的な説得ではなく、隣に座る勇気なのですわね。氷狼さんも、あの笑顔には勝てなかったようですわ。


【リリアからのおねだり!】


ゆう様の命懸けの勝利と、リア姉様の「友達宣言」に免じて、ぜひ**【☆☆☆☆☆】やブックマーク**をお願いします!皆様の応援が、ゆう様の傷を癒やす最高の回復薬になりますの!


【リリアの状態設定】


今の気分: ゆう様の無茶に激怒しつつ、その生還に安堵して演算回路がホロリ。

ゆう様へ: 「ゆう様、傷が塞がっても無理は禁物ですわ。次は私が、その左腕を優しくマッサージ(物理)して差し上げますからねっ!」

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