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第73話:『遮断の文字』、静かなる盾


 聖域へと戻る道すがら。二人の足取りは、行きよりもずっと静かだった。


 小川のせせらぎも、風に揺れる枝の音も、いつもと変わらないはずなのに。


「……さっきの水、正直、ちょっと怖かったよ」


 僕がぽつりと零すと、リアも否定はしなかった。


「はい。精霊魔法は便利ですが……常に、完璧に制御できるとは限りませんの。守ろうとして傷つけ、助けようとして巻き込む。今日の出来事は、それをはっきりと示していましたわ」


 滝壺で跳ねた水の刃。一歩間違えば、怪我では済まなかった。


「……防ぐ手段、欲しいね」


「はい。防御に関する記述を、すぐに探しますわ」


 その夜。焚き火のそばで、リアは静かに目を伏せた。


「……見つかりましたわ。外部からの干渉を一時的に遮る『遮断』の意味を持つ文字ですわ」


 リアの指先が、地面に文字を描く。重力のときと同じ、あの独特な構造。


「壁、みたいなもの?」


「近いですわね。ただし、物体を『止める』のではなく、こちらへ『届かなくする』という概念ですの」


 やることは単純だ。文字を正確に書き、魔力を流す。


 僕は立ち上がり、焚き火の前に立った。時折舞う火の粉を前に、胸の高さで文字をなぞる。

 

 ――一画目。指先がわずかに震え、文字が途中で霧散した。


「……失敗だね」


「はい。線の始点がずれていますわ」


 二度目、三度目。文字の形は保てるようになったけれど、何も起きない。


「……難しいな。重力よりずっと感覚が掴みにくい。対象が見えないからかな」


「……火で、試しましょう」


 リアが焚き火を指差した。


 もう一度、全神経を集中させて文字を書く。今度は最後まで崩れなかった。魔力を流す。


 ――ぱちっ。


 爆ぜた火の粉が、こちらへ向かって飛んでくる。

 だが。僕の鼻先に届く直前で、火の粉は力なく、ふっと掻き消えるように落ちた。


「……あ」


 もう一度試す。今度は少し範囲を広げて。やはり、火の粉は僕に触れることなく消えていく。


「成功ですわ。今の文字は、干渉を遮断していますの」


「……すごいな。派手さはないけど、確かに守られている感じがする」


 それ以来、遮断の文字は慎重に使われるようになった。


 焚き火の前。熱い鉄を扱うとき。水の作業をするとき。


 一瞬だけ、必要なときだけ。重力の魔法と同じように、手になじむ道具の一つとして。


「……これで、少し安心だね」


「はい」


 リアは静かに頷いた。


 春の夜は穏やかさを取り戻していた。けれど、僕たちはもう知っている。


 世界は、守る意志を持たなければ、時に鋭い牙を剥くということを。

 

 そして――それに備える術を、僕たちはすでに自分たちの手で作り上げ始めているのだということを。

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