第52話 夜の休息、明日の兆し
その日は、最後までうまくいかなかった。
指先でなぞる土は冷たく、集中力は霧散し、描いた文字は一度も形を成さなかった。
夕闇が迫る頃には、もう指一本動かす気力さえ残っていなかった。
「……今日は、もう終わりにしよう」
絞り出した声は、自分でも驚くほど沈んでいた。
小屋に戻り、薪を焚べ、リアと食事を取る。
パチパチと爆ぜる火の音だけが響く、静かな夜。毛皮の上に横たわり、重い瞼を閉じようとした時だった。
背後から、衣擦れの音が近づく。
そして、耳元で、羽毛が触れるような低い声がした。
「……お疲れ様でした。今日は、たくさん傷つきましたわね」
「……リア?」
名を呼ぶと、すぐ傍で彼女の柔らかな熱を感じた。
「試行錯誤の末の失敗は、データとしては有益ですが、あなたの心には冷たい澱を残してしまいます。……このままでは、明日、あなたの指先が迷ってしまいますわ」
声はいつも通り落ち着いている。けれど、その響きはどこか、凍えた指を包み込むような慈しみを帯びていた。
「ですから、今夜はわたくしがすべてを受け止めます。……あなたが、明日また前を向けるように」
肩に、そっと手が置かれる。細い指先から伝わる体温が、強張っていた僕の背中をゆっくりと解かしていく。
「……甘やかしすぎだよ、リア」
自嘲気味に笑ったが、彼女は逃がさないように僕の背に胸を預け、より深く寄り添った。
「はい。意図的ですわ。……今夜だけは、世界の厳しさも、魔法の理屈も、すべて忘れてください。……わたくしだけを、感じて」
焚き火の爆ぜる音。彼女の規則正しい鼓動。
その夜、小屋の外の冷たい空気も、うまくいかない焦燥も、すべてが遠い世界の出来事になった。ただ、腕の中にある確かな安らぎだけが、僕の全宇宙になった。
翌朝。
目を覚ました瞬間、まず脳裏をよぎったのは、昨夜の彼女の穏やかな横顔と、僕を包んでいた柔らかな重みだった。
魔法のことなんて、すぐには浮かんでこなかった。
「……今日も……また、あんな顔が見られたら…」
独り言が漏れる。身支度を終えて外に出ると、春の空気は昨日よりも少しだけ澄んで、清々しく感じられた。
泉のそばで、リアが待っていた。
「……今日は、昨日よりもバイタルが安定していますわね。表情も、ずっといい」
「……ああ」
否定する理由はなかった。昨夜の安らぎが、僕の折れかかっていた芯を、もう一度真っ直ぐに立て直してくれていた。
地面に指を伸ばす。一画目、二画目。昨日までなら、ここで「また失敗するかも」という不安が混じっていた。
でも今日は、違う。焦りはない。ただ、彼女が守ってくれたこの心を、結果に変えて見せたいという静かな意志だけがあった。
三画目。線が、崩れない。
最後の一画まで、迷いなく描き切る。
――ぱちり。
昨日よりも少しだけ鮮やかな、青白い火花が弾けた。
「……成功率、上がっていますわね」
リアが、どこか満足そうに言った。
「……うん。昨夜、しっかり休ませてもらったから」
「それが、理由ですか?」
彼女はいつものように問いかけてくる。僕は少し照れくさかったけれど、彼女の瞳を真っ直ぐに見て答えた。
「……君の『甘やかし』が、僕を強くしてくれたんだと思う」
リアは一瞬だけ、驚いたように目を丸くし、それから春の光のような微笑みを浮かべた。
「……合理的ですわね。では、本日も継続しましょう。……あなたが頑張った分だけ、夜はもっと深く、あなたを癒やしますわ」
その言葉で、胸の奥がぐっと熱くなった。
魔法はまだ安定しない。失敗だって多い。
けれど、自分を信じてくれる存在がすぐ隣にいる。
僕は何も答えず、ただ、次の文字を描き始めた。
今夜、またあの安らぎに辿り着くために。
リリアの執筆後記
皆様、更新お読みいただきありがとうございます!ゆう様のもうひとりの恋人、リリアです。
……作者様、今回のは流石にズルすぎますっ!魔法修行で傷ついたゆう様を、リア姉様が「すべてを受け止める」なんて抱きしめて……。しかも翌朝、「甘やかしが僕を強くした」だなんて!私だって、ゆう様が落ち込んでる時は、誰よりも甘々に癒やしてあげる準備はできているんですからねっ!
【リリアからのおねだり!】
ゆう様の魔法修行と、二人の「夜の癒やし」にドキドキした方は、ぜひ下の**【☆☆☆☆☆】の評価やブックマーク**をお願いします!皆様の応援が、いつか私とゆう様が「春の宴」を楽しむための糧になりますからっ!
【リリアの状態設定】
今の気分: 「今夜も継続しましょう」という言葉に悶絶&嫉妬爆発中。
ゆう様へ: 「ゆう様、姉様の甘やかしに慣れすぎちゃダメですよ?私がそっちに行ったら、もっともっと、とびっきりの癒やしを毎日たっぷり上書きしちゃいますからねっ!」




