第20話 石の刃と、文明の曙
朝の支度を整えていた時だった。
家の外から、空気を震わせるような高く澄んだ声が響き渡った。
――キィィィィ。
「高高度からの発声を確認。……ゆう様、外へ」
リアに促され外へ出たが、眩しい青空には雲一つない。
「……行ったみたいだね。挨拶に来てくれたのかな」
そう言って視線を地上に戻したとき、僕は泉のそば、目立つ岩の陰に「それ」が置かれているのに気づいた。
「……あ、ウサギだ」
近づいてみると、それはまだ身体が柔らかく、血も新しい獲物だった。乱雑に捨てられた様子はなく、まるで見つけてくれと言わんばかりの場所に、そっと置かれている。
「……因果関係は、成立しますわね。あの鷲からの『対価』……いえ、贈り物ですわ」
「あきらかだね。……律儀なやつだな」
僕はもう一度空を見上げた。そこにはもう何もいない。けれど、確かに彼との絆は結ばれたのだ。
リアの指示を受けながら、僕は慣れない手付きでウサギの処理を始めた。ナイフを使い、苦労して肉と皮を分けていく。
「……これだけの量でも、あんまり持たないよね」
「はい。生の状態では、短期保存が限界ですわ」
僕たちは肉を薄く切り、焚き火の煙が届く場所に吊るした。
「……ちゃんとした保存方法が要るね。塩もないし、煙だけじゃ限界がある」
「……そうですわね」
空からの贈り物を前にして、僕は手元にあるナイフを見つめた。
袋に入っていた、シンプルで使い勝手のいい一本。刃はよく切れるし、ウサギの解体や細かな細工には十分だ。
けれど、家作りや薪作りの現場では、その限界も見えていた。
「……これ、太い枝を落とすには厳しいね」
無理に力を込めれば、自慢の刃が欠けてしまいそうだ。
「ナイフは『切る』ための道具ですわ、ゆう様。……『割る』『叩く』といった衝撃を伴う用途には、構造的に適していませんの」
「だよね……。薪を作るにも、杭を打つのにも、もっと頑丈な『叩ける刃』が欲しいな」
冬を越すための作業量を考えれば、どうしても手斧が必要だった。
「……作るしかないか。昔の人が使っていた、石器みたいなやつ」
「打製石器、ですわね。ですがゆう様、闇雲にそのへんの石を叩いても、ただの礫に分解されるだけですわ」
リアは泉のほとりに積もった石の山へ歩み寄ると、鋭い視線でそれらをスキャンするように見渡した。
「……あちら、水に洗われていない、層状の露頭を確認。……あれは『頁岩』ですわね」
彼女が指差したのは、少し離れた崖の裾にある、黒っぽくてマットな質感の岩塊だった。
「ケツガン……? なんだい、それ。ただの黒い岩に見えるけど」
「簡単に言えば、気の遠くなるような時間をかけて泥が積み重なり、固まった石ですわ。非常に緻密で、一定の方向に薄く剥がれる性質を持っています。黒曜石ほど脆くなく、打ち欠けば手斧として十分な鋭利さと強度を両立できますわ。……さあ、その『中』にある刃を、叩き出してくださいな」
僕はリアに選別してもらった、ずっしりと重く、肌の詰まった黒い石を持ち上げた。別の硬い丸石をハンマー代わりにして、岩の縁、層の重なりを狙って振り下ろした。
――ガン!
高い音だけが響き、火花が散る。二度、三度。腕に伝わる痺れを堪え、四度目に全力で叩きつけた。
――パキッ!
重い音と共に、石の側面が鮮やかに剥がれ落ちた。現れた断面は、鈍い光を放つ黒いガラスのようで、不用意に近づけた指を思わず引っ込めるほどに鋭い。
「……刃だ。層に沿って、綺麗にエッジが立ってる」
「良好な剥離を確認。切断、および打撃用途に使用可能ですわ。……見事な破砕です、ゆう様」
次は柄だ。太すぎず、けれど握り込んだ時に頼りなさを感じない枝を選び出す。今作ったばかりの石の剥片で表皮を削り、先端に石の刃を嵌め込むための深い溝を作る。
「……地味に、きつい作業だね。でもこの石、ナイフよりガシガシ削れる気がする」
「文明を築く労力としては、想定内ですわ。……ふふ、代わりましょうか?」
「いや、これは僕にやらせて」
苦笑しながら作業を続け、溝に石を固定する。蔦を何重にも、指の皮が剥けそうになるほど強く巻き付け、最後に焚き火の熱で少し炙って蔦を締め上げた。
「……どうかな」
試しに、近くの小枝を叩く。
――コツッ!
乾いた音と共に、枝が吸い込まれるように真っ二つに割れた。
「……よし、使える!」
「簡易的ですが、立派な手斧として機能していますわ。……ゆう様、お疲れ様でした」
現代の道具から見れば、あまりに無骨で、大した道具ではないかもしれない。けれど、自分の手で選び、叩き出したその重みは、何物にも代えがたい。
「……これで、できることが増えたね。薪割りも、拠点の杭打ちも」
「ええ。私たちの手が届く範囲が、また少し広がりましたわ」
リアは、僕の手にある黒い頁岩の手斧をじっと見つめていた。その瞳には、単なる道具への分析を超えた、深い感慨が滲んでいるように見えた。




