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EVE〜終末世界の整備兵〜  作者: 灰猫J
第一章 焦土と共に
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第13話 破壊の跡に

 戦闘が終わったと報告されたあとも、しばらくのあいだ、イーサンにはその言葉の意味が現実として飲み込めなかった。


 モニターの向こうでは、確かに“バシリスク”の反応は完全消失している。A級災骸の熱源も、地盤破砕に伴う大規模な振動も、圧縮熱線の残留高温も、いずれも急速に死んでいく数値へ変わっていた。戦術卓の表示は「撃破」と冷たく記している。アストラも確認を終えている。オペレーターたちも次の処理へ移っている。


 それなのにイーサンの心だけが、まだ戦場の途中に置き去りにされていた。


 最後に見たものが、あまりにも強烈すぎたのだ。


 破壊の真ん中に、たった一人で立ち続けるロクサーヌ・ヘルストーム。


 全身の兵装とフレームの大半を失い、身体そのものもまともに残っているはずがないのに、それでも前を向いていた女。


 あれを見たあとでは、「勝った」という言葉さえ軽く感じる。勝利ではない。災厄と災厄の衝突の果てに、たまたまこちら側の炎が最後まで消えなかっただけだ。そんなふうに思えてしまう。


 輸送機の後部ハッチが再び開き、回収命令が下る。


『戦場安全確認、限定的に完了。回収班、住民保全班、降下開始』


 アストラの声はいつも通り冷静だったが、その底にほんの僅かな疲労が滲んでいた。彼女ですら、あの一戦で削られていないはずがない。


 イーサンは気づけば立ち上がっていた。整備兵としての後方支援任務は終わっていない。むしろここからが本番だ。壊れた兵装を見て、残った機能を拾い、回収後の処置へ繋げなければならない。


 わかっているのに、足がすぐには動かなかった。


 怖かったからだ。


 さっきまでモニター越しに見ていた地獄へ、今から自分の足で降りる。そのことが、今さらのように現実味を持って迫ってくる。


 それでもイーサンは動いた。


 住民保全班の隊員たちが避難マスクや簡易センサーを装着し、医療班が担架や循環補助ユニットを確認する。回収班は大型フレーム搬送具を開き、都市外壁の焼け跡に視線を走らせている。彼らの顔は誰もが強張っていたが、手つきだけは無駄なく速かった。こういう時代には、震えながらでもやるべきことをやる人間だけが残る。


 イーサンもその列へ加わる。


 降下用の昇降索が伸び、焼けた風が機内へ吹き込んだ。外の空気は、戦闘前と同じ色をしているはずなのに、もう別の世界のものみたいだった。煙、熱、焦げた鉄、蒸発したコンクリート、災骸の体液、薬剤散布の匂い、それらすべてが混ざり合って、肺の奥をざらつかせる。


 地上へ降りた瞬間、イーサンは足元を見て、言葉を失った。


 もはやそこは道路ではなかった。


 地形そのものが作り替えられている。


 アスファルトはめくれ上がり、数十メートル規模の亀裂が幾重にも走り、ところどころは熱で再溶融したあと急冷されたせいで、黒いガラスみたいに光っていた。建物の基礎が露出し、倒れた外壁が地面へ半ば埋まり、鉄骨が枝のように捻じ曲がっている。ロクサーヌと“バシリスク”がぶつかった直線上だけ、都市の一部が別の惑星の地表へ置き換わったようだった。


 住民保全班が急いで旧型シェルター群の状況確認へ向かう。医療班は戦闘不能となったアイリスとセラフィナの回収を優先し、ノクティアの方へも別班が走る。誰もが忙しく動いているのに、イーサンの視界だけは、もっと遠く、もっと中心の一点に引き寄せられていた。


 ロクサーヌがいる。


 煙の向こう。


 破壊のいちばん深いところに、まだ立っていた。


 イーサンの胸がどくりと鳴る。


 走った。


 整備兵として冷静でいようと思っていたのに、気づけば瓦礫を踏み越え、崩れた鉄骨の間をすり抜け、彼女の方へ駆けていた。途中で熱の残る地面に足を取られそうになり、粉塵で咳き込み、それでも止まれなかった。


 近づけば近づくほど、ロクサーヌの損傷は凄まじかった。


 ヘルストーム・フレームは、もう兵装というより残骸に近い。肩部ポッドは片側が完全に消失し、背部の多連装ロケットラックは半ば引きちぎられて垂れ下がっている。胸部中央の制御核は、さっきまでの深紅ではなく、不安定な鈍い明滅に変わっていた。右腕に抱えていたはずのベルゼバル・ガトリングは原形をかろうじて保っているものの、砲身列の大半が溶解・脱落し、給弾系統は焼け焦げて黒い塊になっている。関節部はどこも裂け、内部フレームが露出し、そこから白い蒸気と赤黒い液体が交互に漏れ続けていた。


 普通なら、搭乗者ごと立っていられる状態ではない。


 なのにロクサーヌは、まだ前を向いていた。


 片足を一歩前へ出し、そのまま地面へ縫いつけられたみたいに立っている。背筋もまだ折れていない。肩で荒く息をしているはずなのに、その呼吸音すら周囲の静けさに飲まれて聞こえない。まるで「倒れる」という選択肢だけが、彼女の身体から抜け落ちているようだった。


「少佐……!」


 呼びかけた声が、自分でも驚くほど掠れていた。


 ロクサーヌの目が、ゆっくりと動く。


 視線がイーサンを捉えるまで、少し時間がかかった。認識の遅れというより、まだ戦闘から戻りきれていないのだろう。彼女の瞳には、消えかけた火の芯みたいな光が残っていた。


「……クローク」


 声は低い。かすれている。だが確かに、彼女の声だった。


 イーサンは息を詰める。


「少佐、医療班が来ます。もう大丈夫です、バシリスクは――」


 そこまで言いかけた時、ロクサーヌはそれを遮った。


「シェルターは」


 短い問いだった。


 問い、というより確認。自分が最後まで立った理由の答えだけを、どうしても知りたいという声だった。


「……無事か」


 イーサンの胸の奥で、何かが強く締めつけられる。


 あれだけ壊れて、あれだけ戦って、なお最初に聞くのがそれなのか。この人は。


 事前にアストラから回ってきた簡易報告があった。旧型シェルターに直接被害はない。周辺地盤の変位と衝撃で一部設備に障害は出たが、全壊は免れ、収容されていた住民も生存が確認されている。だからこそ回収班がこうして動けているのだ。


 イーサンは頷いた。


「大丈夫です」


 できるだけはっきりと、彼女へ届くように言う。


「旧型シェルターには被害、ありません。アストラ少佐が確認しています。中の人たちも無事です」


 ロクサーヌは、何も言わなかった。


 ただ、その瞬間だけ、目の奥から戦場の光がすっと引いたのがわかった。


 糸が切れた、と思った。


 本当にそう見えた。


 今まで彼女を立たせていたのは、筋力でも、兵装の補助でも、痛覚遮断でもなかったのかもしれない。後ろにいる人間が死んでいない、その一事を確認するまで、自分は倒れられないという意地だけで立っていたのだ。


 次の瞬間、ロクサーヌの膝が折れた。


「少佐!」


 イーサンが駆け寄るより早く、医療班が左右から飛び込む。外骨格の緊急解除コードが打ち込まれ、損傷部位の固定具が展開され、補助循環ユニットが接続される。ロクサーヌの身体は、まるで糸を全部切られた人形みたいに、そのまま前へ崩れかけた。イーサンが反射的に肩を支える。重い。人の重さではない。兵装と戦いと意地、その全部を抱えたままの重さだった。


 けれど彼女は意識を失う寸前まで、視線だけはシェルターの方を向けていた。


 医療班が担架へ乗せ、急いで搬送していく。補助循環の警告音、神経系負荷のアラート、止血材の散布、装甲切断具の火花。あらゆる音が重なっているのに、イーサンの耳にはほとんど届いていなかった。


 ただ、ロクサーヌが倒れたという事実だけが、遅れて現実になっていく。


 あの人も、倒れるのだ。


 そう思った瞬間、怖さとは別の痛みが胸に刺さった。


     *


 ロクサーヌが運ばれたあと、イーサンはその場に残された兵装へ向き直った。


 整備兵として。


 いや、整備兵だからこそ、だった。


 他の者にはただの戦闘残骸に見えるかもしれない。だがイーサンにとって、それは戦いの記録そのものだった。どこが裂け、どこが焼け、どこが最後まで耐え、どこが限界を越えてなお動き続けたか。その全部が、ロクサーヌと“バジリスク”の激突を、物言わぬ形で残している。


 イーサンは膝をつく。


 熱がまだ残っている。グローブ越しでも伝わる。ヘルストーム・フレームの残骸に触れた瞬間、焼けた金属の匂いが強く鼻を刺した。


 まず目につくのは、胸部フレームの歪みだった。


 普通なら骨格が完全に折れていてもおかしくない圧縮痕だ。しかも片側だけではない。前面、側面、下方、全部の方向から荷重が重なっている。つまりロクサーヌは、ただ熱線を撃ち合ったのではない。地盤破砕で足場ごと崩されながら、機体全体へ複合荷重を受け、それでも姿勢を維持したのだ。


 脚部補助外骨格はさらに凄惨だった。


 右脚の膝関節補助は内部でほとんど焼き切れている。左脚の支持フレームは半ば捻じれたまま、それでも最後のロック位置を保持していた。普通なら途中で姿勢制御が死んで転倒する。だがロクサーヌはその死んだ制御を、たぶん自分の身体で補って立ち続けた。


 イーサンの喉が詰まる。


 どれだけの筋力と、どれだけの平衡感覚があれば、こんな状態でA級と正面から撃ち合えるのか。


 世界一とも言われる身体能力。


 さっきまでは、その言葉に少しだけ大げさな響きを感じていた。だが今は違う。これは誇張ではない。ロクサーヌ・ヘルストームの身体は、もはや兵装の一部ではなく、兵装側が彼女へ追いつけていないのだ。


 ガトリングも見る。


 ベルゼバル・ガトリング Mk-IIIは、砲身群の六割以上が溶け落ち、弾帯接続部は黒く炭化していた。それでも給弾機構の一部は最後まで噛み合っている。オーバーヒート無視機構を本当に限界まで使い倒した痕跡だった。あれは「使った」のではない。「使い潰した」のだ。いや、もっと正確に言えば、使い潰されるより先に敵を殺した。


 肩部ポッドの残骸には、最後のミサイル斉射の軌跡がそのまま残っている。ロック機構が焼きつきながらも開放した痕。背部ロケットラックには、無理やり角度を保ったまま排熱しきれずに内部焼損した痕。自動迎撃機銃は途中で完全に死んでいる。焼夷弾投射機は片側だけ弁が残っている。全部が、無理の上に無理を重ねた戦闘の証拠だった。


 イーサンは、息を吐いた。


「……こんなの、普通は立っていられないだろ」


 誰に言うでもない独り言。


 でも、彼女は立っていた。


 それがすべてだった。


 周囲では住民保全班が旧型シェルターの住民を誘導し始めている。泣き声、呼びかけ、医療班の指示、搬送車両の駆動音。人の生きている音が、ゆっくり戦場へ戻ってくる。その音を聞きながら、イーサンは改めて実感した。


 ロクサーヌが立ち塞がったのは、ただのA級災骸ではなかった。


 後ろにいる人間たちが、まだ生きていられる未来そのものだったのだ。


 憧れが、また少し深くなる。


 それは甘い感情ではない。むしろ痛みに近い。あの人の強さを知れば知るほど、自分がどれほど遠い場所を見上げているのかもわかってしまうからだ。


 けれど、それでも、見上げずにはいられない。


     *


 回収作業は夜まで続いた。


 ロクサーヌの残した兵装は分解可能な範囲で現地固定され、ベルゼバルの残骸とヘルストーム・フレームの主要部は特別搬送架へ移された。アイリスとセラフィナ、ノクティアもそれぞれ医療・整備の仮処置を受け、アストラは最後まで現場の観測ログを切らなかった。


 イーサンが輸送機へ戻る頃には、空の色が変わっていた。


 夕焼けではない。


 この時代の空は、そう簡単に鮮やかな色を見せない。だが灰色の雲の層が少しだけ薄くなり、遠くの地平線の端に、鈍い銀色の明るみが滲んでいた。雨になるのかもしれない、とイーサンは思う。あるいは降らないのかもしれない。ただ、空そのものが、長く張り詰めていた息を少しだけ吐いたように見えた。


 輸送機の窓際に座り、イーサンは外を見つめる。


 第13防衛区はまだ傷だらけだ。崩れた防壁、抉れた街区、補修用の灯、慌ただしく動く搬送車列。何も終わっていない。むしろここから始まる復旧と消耗の方が長いだろう。


 その景色を眺めながら、イーサンは自分のこれからを考えていた。


 ゼロ大隊に来てから、まだほんのわずかな時間しか経っていない。なのにもう、元いた防衛区の整備棟へ戻る自分が想像しづらい。見てしまったからだ。ゼロ大隊の戦いを。ロクサーヌの背中を。アイリスの野生を。セラフィナの天才を。ノクティアの泥臭い執念を。アストラの狙撃が空を裂く瞬間を。


 世界は思っていたよりずっと異常で、そしてその異常の最前線に、彼女たちは立っている。


 なら、自分は何をするのか。


 答えは、もうほとんど決まっている気がした。


 支えるのだ。


 できる限り。


 少しでも。


 兵装の悲鳴を聞き、壊れる前に手を入れ、死ぬはずの一秒を伸ばす。英雄にはなれない。戦場の真ん中で立つこともできない。けれど、それでもあの人たちの背中を少しでも長く前へ向かせることは、たぶん自分にもできる。


 そう考えた時、イーサンの胸の奥で、ロクサーヌへの思いがまた強く燃えた。


 怖い。


 あの人は今も怖い。


 だがその恐怖は、もう距離を取りたくなるだけのものではなかった。むしろ逆に、あの炎へ少しでも近づきたいと思わせる種類の熱へ変わりつつあった。


 輸送機の窓の外で、鈍い銀色の雲がゆっくりと流れていく。


 雨は、まだ降らない。


 けれど、降り出す前の空だけが持つ静かな湿り気が、世界全体を薄く包み始めていた。泣くでもなく、晴れるでもなく、ただ次の天気を孕んだまま沈黙している空。その曖昧な色は、いまのイーサンの心によく似ていた。


 終わったものと、始まってしまったものが、同じ胸の中にある。


 ロクサーヌは倒れた。


 だが彼女が立っていた意味は、イーサンの中でまだ燃え続けている。


 次に彼女が目を覚ました時、自分はどんな顔で向き合うのだろう。何を言うのだろう。何を直せるのだろう。そんなことを考えるだけで、不安もある。緊張もある。けれど、それ以上に、あの焔をもう一度見たいと思ってしまう自分がいる。


 輸送機がゆっくりと基地への進路を取る。


 戦場は遠ざかる。だがイーサンの中では、何も終わっていなかった。


 灰色の空の奥で、見えない雨がまだ降るのをためらっている。


 その空を見上げながら、イーサン・クロークは、これから自分が歩いていく道が、もう後戻りできないほど深い場所へ繋がっていることを、静かに、けれどはっきりと感じていた。


 それはきっと、平穏とはほど遠い。


 でも、その先にロクサーヌ・ヘルストームがいるのなら。


 そう思ってしまった時点で、彼の心はもう、ゼロ大隊と共にあった。


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