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EVE〜終末世界の整備兵〜  作者: 灰猫J
第一章 焦土と共に
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第12話 人類最強

 ロクサーヌの最大火力の第一撃が“バシリスク”へ着弾した瞬間、戦場の位相そのものがずれた。


 それは爆発というより、都市の一部を構成していた物理法則が、いきなり別の法則へ入れ替わったみたいな光景だった。ベルゼバル・ガトリング Mk-IIIの徹甲炸裂弾がA級災骸の前面外殻を穿ち、肩部ミサイル群が遅延炸裂で重層外甲の継ぎ目を吹き飛ばし、背部多連装ロケットが地表と背部突起列の中間へ面制圧の火壁を作る。焼夷弾が走った場所からは空気そのものが歪み、電磁破砕弾の直撃を受けた箇所では外殻の断面がガラスみたいにひび割れていた。


 イーサンは輸送機内の戦術観測席で、その一連の現象を、理解より先に圧倒されながら見つめていた。


 火力が大きい、という言葉では済まない。


 あれは火力ではなく、処刑意思そのものだった。A級を相手にする時、普通の部隊は「止める」「逸らす」「時間を稼ぐ」といった言葉を使う。だがロクサーヌは最初から違う。観察し、読み切り、次の瞬間には「どう殺すか」だけに照準を絞る。


 “バシリスク”は、初めてそこでロクサーヌを“敵”として認識した。


 王冠状の頭部外殻がゆっくりこちらを向き、その下の裂け目のような器官に赤い圧縮光が走る。背部突起列の根元では、熱処理と姿勢制御を兼ねていると思われる器官が脈打ち、周囲の空気が焼ける前触れのように揺らいだ。


 ロクサーヌは止まらない。


 第一撃で開いた亀裂へさらに火力を重ねる。相手がA級であることを、彼女は決して「重さ」や「威厳」として扱わなかった。A級とは単に、もっと多く撃たなければ死なない敵だ。そういう割り切りが、彼女の戦い方にはあった。


 通信の向こうでアストラが冷静に戦況を読む。


『外殻損耗、前面一七パーセント。背部突起列の中腹に熱偏位。バシリスク、侵攻速度低下』


 セラフィナが別戦域から短く息を吐く音が混じる。アイリスはまだ別個体の残滓処理を終えたばかりで、移動中だ。ノクティアは満身創痍で後退しつつある。だが、その全部が一瞬だけ希望へ寄った。


 ロクサーヌの先行逃げ切り型戦術は、成功していた。


 A級がこちらを本格脅威と認識する前に、最大火力を叩き込み、戦域そのものへ侵食する前に進路と構造を崩す。イーサンが提示した、初手から最大火力という一手。それが見事に噛み合っていた。


 “バシリスク”が、わずかに後退する。


 いや、単なる後退ではない。巨体の重心が後方へ流れ、前脚の踏み込みが変わる。侵攻ではなく、離脱を選ぶ体勢だ。


『撤退傾向!』


 どこかのオペレーターが叫ぶ。


 イーサンの胸へ、一気に空気が入った。


 勝てる。


 このまま押し切れば、A級を押し戻せるかもしれない。


 輸送機内ですら、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。アストラも、黙ったまま次の狙撃ライン確認へ移っている。アイリスが遠方から「いいじゃん」と笑う。セラフィナも小さく「よかった……」と漏らした。


 その瞬間だった。


 “バシリスク”の体が、異様な角度で捻れた。


 侵攻してきた方角からの後退ではない。


 まるで、ロクサーヌを正面から避けるように、巨大な質量が九〇度近く向きを変えたのだ。普通の生物なら、その巨体でそんな方向転換はできない。だが“バシリスク”は生物の合理を守らない。後方重心の撓み、尾部の地形破砕、背部突起列の姿勢制御、その全部を一瞬で噛み合わせ、地盤そのものを踏み砕きながら、都市区画を横切る方向へ進路を変えた。


 イーサンの背筋が冷たくなる。


 その方角は。


 戦術卓の地図が一斉に更新される。


『進路再予測……旧型避難シェルター群方向!』


 アストラの声が、初めて一段低くなる。


 旧型シェルター。


 第13防衛区の外縁寄りに残されている、かつての標準型避難施設。いまの主力シェルターに比べて外殻強度も、熱耐性も、内部隔壁の多重性も低い。すでに使われないことを前提にしていた施設群だが、防衛線の崩壊と避難の遅れが重なり、そこへ民間人が押し込まれているという報告が先ほど上がっていた。


 ロクサーヌもそれを理解した。


 彼女の火力はなお“バシリスク”へ降り注いでいる。だがA級はその火線を無視し、ロクサーヌを正面から突破するのではなく、存在そのものを避けて別ルートから市民を喰いにいこうとしている。


 狡猾、と言っていいのかはわからない。


 だが、その動きは明らかに「より柔らかいものを壊す」方向へ切り替わっていた。


「アストラ!」


 ロクサーヌの声が通信を裂いた。


「バシリスクが旧型シェルターに激突した場合の被害予測、いますぐ出して!」


 アストラは一拍、黙った。


 その沈黙の意味を、イーサンにはなんとなく理解できた。アストラは観測者だ。戦域を見る。その上で、どこまでがゼロ大隊の仕事かを冷静に切る。A級を押し返した時点で、本来なら目的は半ば達している。侵攻方向を変えたA級を追って、さらに被害の大きい市街深部へ火力を持ち込むことは、ゼロ大隊の職域を逸脱する危険がある。


『ロクサーヌ』


 アストラの声は低く、平坦だった。


『これ以上はゼロ大隊の仕事じゃない。防衛区司令部に引き渡すべき範囲よ。あなたはすでにバシリスクを押し返してる。ここで深入りすると――』


「いいからやれ!」


 ロクサーヌが怒鳴った。


 その怒声に、イーサンは思わず肩を震わせた。彼女の怒声は火力と同じだ。感情が大きいのではない。一直線すぎて、聞く側の思考を焼き切る。


「早くやれ、アストラ!」


 アストラが再び沈黙し、その数秒後、戦術卓へ旧型シェルターの構造図が展開される。


 解析は速かった。嫌々ながらでも、彼女は仕事を外さない。


『旧型シェルター群、現在収容推定三八〇〇から四五〇〇。バシリスクが現進路で激突した場合――』


 一瞬、アストラの声が機械みたいに冷える。


『外殻貫通、隔壁全壊、熱線併用時は内部焼却。死者多数。生存率、極低』


 死者多数。


 数字としては曖昧だが、その曖昧さがむしろ現実味を持つ。つまり、助かる方が例外なのだ。


 通信が一瞬だけ静まり返る。


 ロクサーヌは、迷わなかった。


「進路に入る」


 それだけ言って、機体を回頭させる。


『やめなさい!』


 アストラの声が鋭くなる。


『あなたはもうA級と正面から一戦やったのよ。機体も神経も削れてる。この状態で動線へ立ち塞がるなんて――』


「うるさい」


 ロクサーヌは吐き捨てた。


「向こうに人がいる」


 それだけで十分だ、という声だった。


 イーサンの胸が熱く、同時に冷たくなる。これはもう戦術ではない。判断だ。もっと個人的で、もっと危うい、しかしどうしようもなく気高い判断。


 アストラが何か言い返そうとした、その時、別回線からアイリスが笑った。


『ったく、しょうがねえな』


 息が少し荒い。だが戦意はまるで落ちていない。


『そんな顔して飛び出されたら、放っとけるかよ』


 続けてセラフィナの声。


『私も行く。熱線の方向、ちょっとだけならずらせるかもしれないし』


『馬鹿ばっかり』


 アストラが本気で呆れた声を出した。


『ロクサーヌ一人でも狂ってるのに、なんで損耗の少ない二人まで自分から死地に入るの』


 だがその呆れの下に、止めきれないことへの諦めが混じっている。


 ノクティアも回線に入る。彼女の声は掠れていた。損耗したまま無理に通信を開いているのだろう。


『……理解できない』


 言葉だけ聞けば冷ややかだ。


 だがイーサンには、その奥が見えた。彼女は本当に理解できないと思っているのではない。理解してしまっているからこそ、わざとそう言っている。もし自分がまだ動けたなら、おそらく行っていた。そんな顔をしている。いや、通信越しの顔は見えない。だが言葉の角度だけでわかった。


『でも』


 ノクティアが短く続ける。


『……まあ、そうすると思った』


 それきり黙る。


 ロクサーヌはもう聞いていない。A級の進路に割り込むことしか頭にない。イーサンは慌てて通信を開いた。


「少佐、待ってください!」


『何』


「圧縮熱線と地盤破砕、あれは完全には防げません! 真正面から止めても、旧型シェルター側へ抜ける余波まで消せない!」


 必死だった。ロクサーヌの判断を否定したいわけではない。だが、ただ立ち塞がるだけでは足りない。それだけはわかる。


 バシリスクの二つの特異スキルは、単なる付随攻撃ではない。圧縮熱線は直線上だけでなく周辺空気層ごと焼く。地盤破砕は接触点だけでなく、その先の地層へ衝撃を走らせる。正面から受け止めても、シェルター側へ被害は抜ける。


 だがロクサーヌは耳を貸さなかった。


『だったら全部受けるだけよ』


 それは答えになっていない。けれど彼女にとっては答えなのだ。自分が前で受ければ、その分だけ後ろへ抜ける量は減る。そういう発想で、彼女は本当に動いている。


 イーサンは息を呑む。


 このままではだめだ。


 ロクサーヌ一人に背負わせれば、彼女は本当に全部受けようとする。


 その瞬間、イーサンの頭の中で、バシリスクの構造図と、セラフィナとアイリスの戦い方が一気に重なった。


 可能性がある。


 小さい。危険も大きい。だが、完全な無策ではない。


 ロクサーヌではなく、別の二人へ回線を開く。


「アイリス少佐、セラフィナ少佐、聞こえますか!」


 返答は早かった。


『聞こえる』


『うん、聞こえるよ』


「ロクサーヌ少佐だけだと、圧縮熱線と地盤破砕の二つを同時には潰せません。だから二人にお願いがあります」


 イーサンは、自分でも驚くほど速く言葉を組み立てていた。恐怖も緊張もある。だがいま必要なのは、それをどう使うかではなく、見えているものをどれだけ速く言語化できるかだ。


「アイリス少佐。地盤破砕は、前脚と後方重心の連動、それに尾部の質量移動で起きてます。完全阻止は無理でも、前脚の踏み込みタイミングを一瞬でもずらせれば、地盤へ抜ける衝撃はかなり削れます。前脚の腱じゃなくて、胸郭寄りの支持筋か、尾部の基部側を切ってください。破壊じゃなく、噛み合わせを崩す方向で」


『噛み合わせ、ね』


 アイリスの声が笑った。


「セラフィナ少佐、圧縮熱線は頭部裂開部だけじゃなく、王冠状外殻全体で収束してます。だから発射直前に一点へ焼き切ろうとすると間に合わない。左右どちらか片側の収束を崩してください。熱線そのものじゃなく、焦点形成を歪ませる感じで」


『焦点形成を歪ませる……』


 セラフィナの声が一瞬だけ沈む。彼女はもう頭の中で演算を始めている。


「二人がうまく立ち回れれば、バシリスクの二つの特異スキルは――」


 イーサンは喉を鳴らした。


「四〇パーセント軽減できます」


 通信の向こうが、わずかに静まる。


 アイリスが先に口を開いた。


『へえ』


 短い。だが、気に入った時の声だった。


『残り六〇はロクサーヌが食うってわけか。上等』


 セラフィナも続く。


『やってみる。たぶん、できる』


 その“たぶん”は弱さではなかった。難度を正確に理解した上で、それでも解く気でいる者の声だ。


 ロクサーヌは回線の端で沈黙していた。聞いていたのだろう。だが礼も否定もない。彼女はもう進路上へ滑り込むことしか考えていない。


 イーサンは最後に、声を絞り出すように言った。


「その後、戦場に立っていられるかは……ロクサーヌ少佐の耐久力次第です」


 その言葉の重さを、一番理解しているのは自分かもしれないと思った。


 誰も返事をしない。


 返事など不要だった。


     *


 そこからの数分は、イーサンにとって、息をすることすら難しい時間だった。


 バシリスクは旧型シェルター群へ向けて進む。地盤が先に割れ、建物が進路から逃げるように崩れていく。あれは進軍ではない。地形の書き換えだ。


 その真正面へ、ロクサーヌが入る。


 彼女はもう牽制では撃たない。正面火力の大半を、バシリスクの「止めるべき構造」へ集中している。前脚付け根、背部突起列中腹、頭部下の圧縮裂開部。だがA級は、なお進む。外殻が削れ、熱が走り、黒い体液が飛び散っても、その巨体は止まらない。


 そこへ最初に飛び込んだのはアイリスだった。


 彼女はまるで岩壁へ噛みつく獣のように、バシリスクの左前方から潜り込む。ティタノマキア・ブレードが振り抜かれる。狙いは切断ではない。イーサンが指示した通り、胸郭寄りの支持筋と尾部基部、その“噛み合わせ”だ。


 重さを支える構造に一撃が入る。


 バシリスクの踏み込みが、ほんの一瞬だけ乱れる。


 目に見えないほど短い乱れ。けれど地盤破砕の波形には、はっきり変化が出た。前方へ直進していた亀裂が、そこで少しだけ幅を失い、地下へ抜ける衝撃の一部が散る。


「通った……!」


 イーサンの喉から声が出る。


 次にセラフィナ。


 ノヴァ・ジャッジメントが、今度は破壊ではなく歪曲のために撃たれる。頭部裂開部そのものではない。王冠状外殻の片側、熱圧縮の収束経路へ高熱を差し込み、焦点形成の均衡を崩す。バシリスクが熱線を解放した瞬間、その白熱の奔流は真っ直ぐ旧型シェルターへ抜けなかった。空中で片側へ僅かに歪み、地表を舐めるように走りながら、その大半を外した。


 完璧ではない。


 それでも、脅威は確かに減っている。


 四〇パーセント。


 イーサンの見立ては間違っていなかった。いや、アイリスとセラフィナがそれを現実にしてしまったのだ。


 だが、その代償もまた即座に現れる。


 アイリスは、バシリスクの尾部反動を完全には避けきれなかった。直撃ではない。だが質量波そのものに弾かれ、ティタノマキアごと大きく後方へ跳ね飛ばされる。彼女は着地する。着地するが、膝が砕けた路面へ深くめり込み、その場からの再加速が死んでいた。


『っ、クソ……!』


 悔しそうな声。


 だが立てないわけではない。戦えるわけでもない。その中間だ。もう一度あの巨体へ飛び込むには、機動系が足りない。


 セラフィナも同じだった。圧縮熱線の焦点形成を崩すため、ノヴァ・ジャッジメントにかなり無理をさせたのだ。左右補助環の一つが焼け、背部制御導管から白煙が噴き、兵装全体が危険停止寸前まで出力を吐いていた。


『ごめん……これ以上は、ちょっと……』


 声はまだ柔らかい。だが、その柔らかさの裏に、兵装側の限界がはっきり出ている。


 イーサンはすぐに離脱を指示する。


「二人とも離れてください! もう十分です!」


 それは本心だった。


 ここから先は、もうロクサーヌの領域になる。


     *


 戦場に最後に残ったのは、ロクサーヌだった。


 アイリスは瓦礫帯へ退避し、セラフィナは機動不能となった兵装を引きずるようにして後退している。ノクティアはもはや動けず、アストラは遠方の観測と補助狙撃に専念している。


 その真ん中に、ロクサーヌ・ヘルストームだけが立っている。


 背後には旧型シェルター群。


 前方にはA級“バシリスク”。


 それだけで絵になる、などという言い方は軽薄すぎる。あれは絵ではない。死と死の間に、たった一人で身体を差し込んだ現実だ。


 バシリスクも、ようやくロクサーヌだけを真っ向から敵と見た。


 王冠状外殻の下、圧縮裂開部が真紅を通り越して白熱する。地盤はもう静かには割れない。周辺街区すべてが低く唸り、地下構造そのものへ何か巨大な圧が走り始めていた。


 圧縮熱線。


 地盤破砕。


 A級が持つ二つの特異スキルが、同時に最大出力へ入りつつある。


 ロクサーヌは前へ出る。


 退かない。避けない。後ろへ抜くつもりがない。


 ヘルストーム・フレームの損耗表示が、イーサンの前の端末で赤く跳ねた。すでに機体は削れている。前面外装、肩部ポッド、背部ロケット、一部冷却機構。だが彼女はさらに深い層へ踏み込んでいく。


「ロクサーヌ少佐、やめてください……!」


 イーサンが叫んでも、届いているのかいないのか、彼女は振り向かない。


 代わりに、彼女の機体が低く鳴った。


 ヘルストーム・モード。


 最終制圧形態。


 リミッター解除。火力三〇〇パーセント。スーツが半壊するまで撃ち続ける。資料ではそう記されていた。だが実物は文字よりずっと恐ろしい。


 肩部の残存装甲が解放され、背部ユニットが本来の限界角まで展開する。補助砲列が一斉に前方へ並び、ドローン砲台が蜘蛛の脚みたいに浮き上がる。インフェルノ・クーラーが悲鳴みたいな高音を混ぜながら最大作動へ入り、砲身と装甲と関節へ強制冷却を叩き込む。普通の人間なら、その熱と冷却の狭間で蒸発している。だがロクサーヌは、そこにいる。


 神経加速、痛覚遮断、限界解放。


 フレームと肉体の境界が、ほとんどなくなる。


 ロクサーヌの目が燃える。


 誇張ではない。焔みたいだった。怒りでも狂気でもなく、ただ「後ろへ通さない」という意思だけで燃えている目だ。


 バシリスクが熱線を吐く。


 それは光線などという上品なものではなかった。空気ごと裂き焼く白熱の柱が、戦場を一直線に塗りつぶす。地盤破砕も同時に来る。前脚の踏み込みと尾部の重心移動で、街区全体が波打つように砕ける。


 ロクサーヌは、そこへ真正面から撃ち返した。


 ヘルストーム・モードの全火力が解放される。


 ベルゼバル・ガトリングの限界連射。肩部ミサイルの残弾一斉放出。背部ロケットの面制圧。焼夷、徹甲、電磁破砕、全部だ。あらゆる破壊手段が、彼女という一点から溢れ出し、A級災骸の二つの特異スキルと正面衝突する。


 世界が壊れた。


 そうとしか言いようがない。


 熱線と弾幕がぶつかり、空気が爆ぜ、圧縮された熱が横へ逃げ、地盤破砕の波とロケット着弾の振動が地下で喧嘩を始める。路面が持ち上がり、建物がひしゃげ、遠方のガラスが一斉に割れ、旧型シェルター群の手前数百メートルの地形そのものが再構成されていく。


 地形を変えるほどの破壊。


 それはもう戦闘ではない。都市区画一つを素材として、二つの破滅がどちらの意思を残すか競り合っているだけだ。


 ロクサーヌの身体能力は、ここで初めて“世界一”という評価の意味を持った。


 彼女は火力の塊を背負っているだけではない。この地獄の中央で、機体が吐き出す反動、熱、振動、圧縮波、全部を受け止めて、なお姿勢を保っている。脚部が地面へ沈み、脊柱へ過負荷が走り、両腕の補助外骨格が悲鳴を上げても、崩れない。重さに耐えているのではない。自分自身が重さそのものになっている。


 イーサンはその姿に、恐怖を忘れて見入っていた。


 人間じゃない、と思う。


 いや、人間ではある。人間だからこそ怖いのだ。あれほどの負荷を受けながら、あれほどまっすぐ前を向ける生き物が、本当に自分たちと同じ種なのかと疑ってしまうほどに。


 熱線の柱が揺らぐ。


 アイリスが削った地盤破砕の噛み合わせと、セラフィナが歪めた熱線の焦点が、ここへきてようやく効いている。バシリスクのスキルは完璧ではない。だがそれでもA級はA級だ。余波だけで都市を半壊させられる。


 ロクサーヌはその余波ごと食う。


 ヘルストーム・モードは、彼女の肉体と機体を燃料にして、まだ火力を上げていく。フレームの一部が溶ける。肩部装甲が吹き飛ぶ。ガトリング砲身の一列が赤熱し、次の瞬間には半ば崩れながらもまだ回っている。


 バシリスクが吼える。


 熱線出力をさらに上げる。背部突起列の過半が赤く発光し、地盤破砕の波が二重に重なる。


 ロクサーヌも吼えた。


 声だったのか、機体の咆哮だったのか、イーサンにはもう区別がつかなかった。彼女の全存在が「止まれ」と叫んでいるように見えた。


 弾幕が一点へ収束する。


 王冠状外殻、その下の圧縮裂開部、胸郭寄りの支持構造、尾部基部。さっきまでの観察で見切った全部へ、ロクサーヌは最後の火力を叩き込んでいた。A級の強さを正面から受け止めた上で、なお、敵の方が先に崩れる角度だけを通している。


 やがて、バランスが壊れたのは“バシリスク”の方だった。


 頭部圧縮裂開部が、まず歪む。


 熱線が一瞬だけ外へ漏れ、その漏れた高熱が自分の王冠状外殻を内側から焼く。続いて胸郭寄り支持構造が砕け、地盤破砕の踏み込みが噛み合わなくなる。尾部が遅れ、背部突起列の一部が自壊し、巨体の姿勢が初めて“傾く”。


 ロクサーヌはそこを見逃さない。


「――ヘルゲート・オーバーラン」


 機体が壊れることなど最初から折り込み済みだった。


 限界連射。


 残っていたベルゼバル・ガトリングの全銃身が、砲身の寿命ごと投げ捨てるように回転する。徹甲弾が外殻を穿ち、焼夷弾が開いた傷口を広げ、電磁破砕弾が内部構造を引き裂く。そこへ最後のミサイル残弾が突き刺さる。


 A級災骸の巨体が、内側から割れた。


 壊れ方まで巨大だった。山が崩れるのではない。山そのものが、中心から裂けて落ちるような崩壊。外殻片が街区を跨いで降り、地面が三度震え、熱風が戦場を洗う。


 そして、静寂が来た。


 正確には、音が消えたのではない。耳が追いつかないほどの破壊の後、世界の方が一瞬だけ、何も言わなくなった。


 モニターの中で、煙がゆっくり流れる。


 粉塵、蒸気、焼けた金属、飛散した外殻片、その全部が混ざり合う灰の中で、まだ立っているものがある。


 ロクサーヌ・ヘルストーム。


 彼女だけが立っていた。


 ヘルストーム・フレームの九五パーセント近くは破損していた。肩部ポッドは消し飛び、背部ロケットラックの大半は原形を失い、ガトリングの砲身は溶解して半分ほどしか残っていない。外装は裂け、内部フレームが剥き出しになり、各関節から白い蒸気と赤黒い液が同時に漏れている。


 身体も無事ではあり得ない。


 痛覚遮断がまだ生きているとしても、あれほどの負荷を受けて無傷でいられる人間など存在しない。神経系、骨格、筋肉、全部が限界を超えているはずだ。普通なら立てない。呼吸もできない。


 それでも、ロクサーヌは立っていた。


 破壊の真っ只中に。


 旧型シェルター群を背に。


 片足を前に、焼けた地面へ深く沈め、まだ倒れない。


 その目だけが、焔のように燃えていた。


 イーサンは、その瞬間に理解した。


 人類最強、という言葉の意味を。


 それは単に、誰より多く敵を殺せるという意味ではない。


 火力が最大であることでもない。


 A級に勝てることでもない。


 もっと根源的な意味だ。


 誰より前へ立ち、誰より多くを背負い、誰より壊れながら、それでも最後まで立っている者。


 それが、ロクサーヌ・ヘルストームなのだ。


 恐怖がまず来た。


 さっきまでより深く、もっと本質的な恐怖だった。これほどまでに壊れながら、なお立っている存在を、人は本能的に恐れる。美しさや強さより先に、「こんなものに人間は勝てない」と感じてしまうからだ。


 だがその恐怖を上回るものが、胸の中で同時に燃え上がった。


 憧憬。


 言葉にすれば陳腐だ。けれどそれ以上の語が見つからなかった。


 イーサンはロクサーヌを見ていた。


 怖い。


 どうしようもなく怖い。


 あの人は火だ。地獄だ。人の形をした戦争だ。


 なのに、目を離せない。


 離したくない。


 あれほど高く、あれほど気高く、あれほど壊れながら立っているものを、自分はきっと一生忘れられないと思った。


 ロクサーヌの心の気高さは、言葉ではなく、その背中に出ていた。後ろに人がいるから逃げない。そんな単純で、そんな無茶な理屈を、最後まで身体で通してしまう。誰もが計算で止まるところを、彼女だけが誇りで越える。


 そして世界一とまで言われる身体能力とは、筋力や速度の話ではないのかもしれない、とイーサンは思った。


 壊れる寸前の兵装と、壊れる寸前の肉体と、壊れそうな世界の全部をまとめて抱え込み、それでも一歩も退かないための能力。


 それこそが、彼女の真の強さだった。


 通信の向こうで、誰もすぐには声を出せなかった。


 アストラですら、数秒、何も言えない。


 セラフィナは息を呑み、アイリスは笑いそうな顔のまま黙っている。ノクティアだけが、小さく、本当に小さく、何かを呟いたが、雑音に紛れて聞き取れなかった。


 イーサンはただ、震える指で戦術卓の縁を掴んでいた。


 あれを見てしまった。


 人類最強の意味を。


 そして同時に、自分がもうロクサーヌ・ヘルストームという存在から逃れられないことも。


 恐怖は深くなる。


 けれどその上に、もっと大きな憧れが積み重なる。


 それはたぶん、幸福な感情ではない。普通の人間が向けるには危険すぎる熱だ。ノクティアが前に感じ取っていた“不幸の芽”が、ここでさらに大きく育ったのかもしれない。


 それでもイーサンは、その熱を否定できなかった。


 焔のような目で、破壊の中にただ一人立つロクサーヌを見つめながら、彼は知ってしまったのだ。


 人は、最も恐ろしいものにこそ、最も深く心を奪われることがあるのだと。



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