四章⑫
12
「アリスターくん、この人知ってるの?」
アリスターの陰から覗くようにレイリーを眺めながらミアが言った。レイリーの異様な怯え様を前に、彼女自身もまた怯んでいるようだ。
「まあな。昨日知り合ったに過ぎんが……こんな男ではなかった」
階段をさらに上り、身体を丸めるレイリーのすぐそばまで歩み寄ると、アリスターはあらためてその姿を見下ろす。
同時に脳裏に浮かんだのは、昨日対峙した彼本来の姿だ。
非魔術師でありながら体術に剣術、奇襲を含む戦術を駆使し、アリスターに立ち向かった男。その武勇はもはや賞賛に値し、いずれ配下にしようとアリスターが目論むほどだった。
それがどうだ。眼下のレイリーには、アリスターが認めたその影すらなく、覇気や闘志どころか正気すら失っている。
これが数年ないし十数年の刻を経てのことであれば、まだ納得も出来た。しかし実際は、わずか一夜のこと。いったい何が彼をここまで変異させたというのか。
「ひょっとして貴様、ランスロット殺しの下手人と対峙したのか?」
いまの状態は下手人による魔術の影響かもしれない。もしそうであればレイリーは、下手人の顔を見た可能性が高い。貴重な目撃証言者たりえる彼をこのまま捨て置くことはできない。
「……悪いなメディ、暫しの間ミアの腕で我慢してくれ」
アリスターは腕の中のメディアにそっと告げ、背後に立つミアへ彼女を預けた。
「え、あ、うん。いや、もちろんいいよ? いいんだけど、その一言ってむしろあたしに掛けるものな気が……って軽!」
メディアを抱き上げたミアが驚きに目を丸めた。もともと身長と比べても軽かったメディアだったが、両足を失ったいま、その体重は小柄なミアですら容易に抱えられるほどだった。
両手が自由となったアリスターは、いまだその身を震わせるレイリーのすぐそばに膝をつき、改めて声を掛けた。
「俺様のことを忘れたとは言わせんぞ。アリスター・ドネアだ。レイリーよ、昨夜いったいなにがあった。貴様の知ることをすべて話せ」
「ゔゔぅ……!」
問い掛けに返ってきたのは意味を持たない唸り声だ。まるで獣が威嚇するようなそれは、レイリーの怯えの発露にほかならない。
「おい」
アリスターがその肩を掴むと「……ゔゔがぁっ!」という咆哮を上げながらレイリーが顔を上げた。
血走った彼の瞳がアリスターを捉える。
次の瞬間、衝撃があごを襲った。
「っ……!?」
レイリーが起き上がると同時に振るってきた裏拳に、アリスターの口内に血が満ちる。背中側へと傾いた重心を強引に立て直す。
が、そこにさらなる追撃が降り掛かった。
「があああぁっっ!」
泡を飛ばしながら拳打を放ってくるレイリー。明らかに正気を失っておきながら、その拳からは些かの鋭さも失われていない。
迅速かつ的確に急所を襲うそれらの攻撃を、アリスターは必死に防ぐーー必死に?
防御行動を取りながらアリスターの脳裏を違和感が覆った。なぜ俺様はこうも苦戦している?
理由は明確だった。赤色魔術による身体強化が機能していないのだ。赤色に限らず、その他三色の魔術のすべてが起動しない。
魔力切れによるものではない。体内を流れる魔力の脈動は手に取るように感じられた。
思考形態にも不備はない。常そうしているように、正確な思考形態を思い描いていた。
しかしその両者が結び付かない。
走ることと同様、造作もなかったはずのことが出来ず、まるではじめから才能などなかったかのように、魔術を扱う感覚すら思い出せなかった。
「っ!」
レイリーの放った拳が右まぶたを掠った。その鋭さにまぶたが切れ、視界の半分が朱色に染まる。
いつもなら一瞬で治癒できる程度の軽傷だ。しかしいまはその傷により、さらなる追撃に対する反応が遅れた。
「かっ……」
アリスターの身体がくの字に折れる。
鳩尾を正確に撃ち抜いたレイリーの拳打に、息を吐き出すことすら出来なかった。
腹部を中心に駆け巡った激痛。それはアリスターの意思とは無関係にその全身を硬直させた。
硬直時間はほんの数秒に過ぎない。しかしその数秒の間、アリスターはレイリーによる拳打の雨に打たれ続けた。
「……あ」
気が付けば視界は真紅に染まり、天地が歪んでいる。詰まったように耳は遠くなり、背後のミアが叫んでいる声もよく聞き取れなかった。
両掌に冷たい感覚。膝から崩れ落ち、階段に手を着いていた。いつからこうしていたのかも分からない。
……なにが起きている?
薄れゆく意識のなか疑問符ばかりが飛び交う。
どうして魔術が使えない? この手に掴んでいたはずの感覚がなぜ消え失せている?
「ぐぅぅぅゔ!」
呻き声に顔を上げる。組み合わせた両拳を頭上高くに振りかぶるレイリーと目が合った。
避けなくては。正常な動作を失った脳の代わりに、生命としての本能が叫ぶ。
が、いまのアリスターの肉体にその力はなかった。
レイリーの全体重を乗せた一撃が振り下ろされる。
頭蓋を貫く衝撃。それが走ると同時にアリスターの意識は闇に落ちた。
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