幕間①
幕間1
ブリジット・ヴェルランドは湧き上がる苛立ちを抑え、努めて平静を装っていた。
「貴女を王立学院へ通わせているのは、男を作らせるためではないのよ」
ローズ・アントワネットからの小言を、ブリジットは紅茶の注がれたカップを傾けながら聞き流す。同じテーブルに着くエミリーが、二人の間でおろおろと目線を左右していた。
アリスターを控え室に残した後、二人は侍女の案内のもと別室へと案内された。すぐさま用意された紅茶でのどを潤しながら時間を潰していたところ、部屋を訪ねてきたのが文官として王宮に仕える彼女――ローズである。
平民の出自から突如王室に迎えられたブリジットには二人の教育係があてがわれ、そのうちの一人が先ほど顔を合わせたエドワードであり、残る一人がこのローズだった。
同じ二色魔術師であるエドワードから受けた教育は、主に魔術についてのものだ。厳格な彼の教育は厳しく、何度殺してやろうかと思ったか定かでないものの、その成果は間違いなく現在のブリジットに活きており、いまとなっては感謝の気持ちがないでもない。尊敬の念も少しは抱くだろう。
一方でローズからは、主に王族としての立ち居振る舞いについての教育を受けた。エドワードからの教育時間を一とすれば、彼女と共に過ごした時間は十を超える。そして殺してやろうと思った回数でいえば百を超えた。その感情はいまなお変わりない。
傾けたカップから紅茶が流れ、のどを通る。最高品質の茶葉から淹れた物のはずだが、ローズの顔を見ながら飲むと味がほとんどしなかった。
年齢はまだ三十半ばのはずだが、その眉間には常に皺が寄っている。切れ長の目はまるでブリジットの不手際に目を光らせているかのように、鋭い眼光を飛ばしていた。
「彼はただの友人です。無粋な詮索はお止めください」
「あら、そう。けれど、それを額面通り受け取ることは難しいわね」
「どういう意味でしょうか」
「だってそうでしょう? 貴女はあの母親によく似ているもの。男を作るのはお手のものかと」
「……そう」
カップから紅茶がこぼれ、テーブルに滴り落ちた。意図せず赤色魔術を行使し、中身の紅茶を増やしていたらしい。
怒りによる魔力の暴発だ。
ローズ自身は魔術師でなく、無力な女だ。ブリジットがやろうと思えば、その骨のニ、三本折るなど造作もない。もちろんそれをすればブリジットの王宮における立場は限りなく弱まり、ひいては母に迷惑を掛けかねない。
そっと息を深く吐き、感情を抑えつける。
はたしてブリジットは言った。
「で、なんのご用かしら? 私が今日お会いに来たのは貴女ではないのですけれど?」
王女らしい柔らかな微笑み。そんなブリジットの表情にローズは鼻白んだように顔を歪め、
「ランスロット殿下ならご支度中よ」
「そうですか。では、先に国王陛下にご挨拶しようかと思います。友人の支度が済み次第、謁見の場を設けていただけますか?」
アリスターを国王と対面させる。今日の本来の目的を果たすための願いだったが、ローズは予想外の答えを口にした。
「陛下なら本日、終日ご不在よ。隣国外相との会食が急遽お決まりになって」
「え」
思わず声が漏れた。国王が不在? それではブリジットは今日、いったいなんのために来たくもない王宮に来たというのか。
そして同時に思う。国王は自らの実子であるランスロットの誕生日祝いより、急遽決まった外交行事を優先したという。
これまでブリジットは王室内の人間関係から距離を取り、詳しい内情をほとんど知らない。しかしひょっとしてブリジットの知らないところで、魔術の才を持たないランスロットは国王から冷遇されているのかもしれない。
「それがどうかした?」
ブリジットの反応を不審に思ったのだろう、訝し気な目線を向けてくるローズ。ブリジットははっと我に返り、言い繕うように言葉を重ねる。
「い、いえ。なんでもありません。ただ久しぶりにご挨拶を出来ればと思っただけで……」
「あ、そう」
納得したのかそうでないのか微妙な反応を見せ、ローズは席を立った。びくっとエミリーが小さく肩を震わせる。
「なんでもいいから、節度ある振る舞いをするように。貴女がへまをすれば、私に飛び火するんだから」
「ご高説痛み入りますわ」
そうしてローズが立ち去り、ようやく平穏が戻った控え室で「はぁ~……!」とブリジットは大きく息をついた。
「だ、大丈夫ですか姫様?」
「我慢した私をほめてちょうだい、エミリー」
エミリーからの労わりに、苦笑して答えるブリジット。半分冗談で、半分本心であった。
「ローズ様はその……癖の強い方ですから。あまりお気になさらないでください」
「表現が優しいわねぇ、エミリーは」
再び紅茶を口に含む。芳醇な香りが鼻を抜け、心がほっと安らぐようだった。
そうしていると、不意にエミリーが真剣な表情を浮かべながら口を開いた。
「あの、姫様……」
「ん? なぁに?」
「姫様は……本気なんでしょうか?」
「えっと、それはなんのことかしら?」
一筋の冷や汗が背を伝う。もしや、という危惧によるものだ。もしやエミリーは、ブリジットとアリスターの協力関係について勘付いたというのだろうか。
そんな馬鹿なと思いつつ訊ねると、エミリーは言った。
「あの男――アリスターくんのことです!」
「……っ!?」
どうして、と思わずにはいられない。どうしてエミリーは勘付いたのか。たしかに二人の急接近ぶりは不自然ではあっただろう。しかしだからといって、それだけで怪しむまでは至らないはずと高を括っていたというのに。
動悸が乱れる。どう言い繕うべきか必死で頭を動かすが、妙案は思いついてくれない。その結果固まってしまったブリジットに、エミリーが言う。
その顔を赤らめながら。
「お好き……なんですよね? 姫様は、アリスターくんのことが」
「…………んんぅ?」
「いいんです! 私には誤魔化さないでください。だってそうじゃなきゃ、ここ最近の姫様のご様子がおかしいことの説明ができません!」
エミリーが勢いよく立ち上がった。赤面したまま彼女は言葉を続ける。
「私は……私だけは、姫様の味方です! 姫様にはもっと相応しい人がいるだとか、どうしてあんな無礼なやつをだとか、思うことはたくさんありますけど! それでも! 姫様が決めた人なら、私は応援します」
「待ってエミリー。聞いて。お願いだから私の話を聞いてちょうだい」
懇願するようにブリジットは言葉を掛ける。あまりの衝撃にいつものように口が動いてくれない。
衝撃――それはエミリーの見解が、全く、本当に、議論の余地なく見当違いなものだったからだ。
そんなブリジットの反応が良くなかったのだろう。エミリーは確信を得たように頷き、控え室の出入り口へと向かっていった。
「私、アリスターくんを呼んできますね。そろそろ着替えも済んでいると思いますし。姫様はここでお待ちください」
「いやだからむしろ待ってほしいのはエミリーのほう――」
懇願も空しく、エミリーは小走りで控え室を後にしていった。広い室内にぽつんと取り残される。
この短い間で何度目かという深いため息を漏らす。
エミリーがどんな勘違いをしているか。その内容は、決して想像したくないが、推測できた。
おそらく彼女は、ブリジットが男女の仲としてアリスターに好意を持ち、それ故に急接近していると勘繰っているのだろう。
「……あー、暴れたい」
本心から呟く。それほどに不本意極まりない状況であった。
とにかくエミリーがアリスターを連れて戻り次第、計画のことは隠しつつ、認識を是正しなければならない。絶対に。ブリジットの尊厳保持のために。
そう固く決意し、エミリーの帰りを待つことにする。が、なかなか彼女が戻ってこない。まさか迷子じゃないでしょうね、と思ったところでようやく扉が開き、エミリーが顔を見せた。
「おかえりさない。ずいぶん遅かったじゃない」
「いないんです、姫様」
困惑の色を浮かべながらエミリーが言った。その意味が分からず、首を傾げる。
「いないって、なにが」
「姫様の想い人――アリスターくんが。控え室にはだれもいませんでした」
エミリーの答えに、二つの意味で頭が痛くなるブリジットだった。
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