三章①
1
アリスター・ドネアには実の両親の記憶がない。
彼はまだ赤子の頃、王都の道端に捨てられていた――と、育ての親であるメディア・スターからは聞かされ、それ以上のことは教えられていない。
そのため実の両親が現在どこでなにをしているのか、そもそも存命か否かすらアリスターは知らない。しかし、そのことを特段気にしたこともなかった。捨てられた恨みもなければ思慕の念もまたなく、つまるところ興味がなかったのだ。
両親に対して唯一抱く感情といえば、同情だろう。アリスターという稀代の傑物が育ちゆく過程を見届けられないのだから、その口惜しさは筆舌に尽くし難い。
さておき、王都で拾われたアリスターであったが、その物心がつく頃には国境付近のベルーニャ地方――ミア・ブーケドールが言うところの『超が付くド田舎』にメディアと二人で暮らしていた。
セシル教諭の授業であった魔術師による治水事業も、その対象範囲は王都をはじめとした大都市に限られ、多くの農村は恩恵にあずかってはおらず、超が付くド田舎であるベルーニャ地方などもってのほかであった。
農民たちにとっての生活水は井戸水であり、もしも長期に渡って日照りが続けばそれはすなわち生活基盤の危機を意味する。そんな農村がベルーニャ地方にはいくつもあった。
そのうちの一つにアリスターとメディアは暮らしていた。
まだ幼いアリスターを育てるため、メディアはその強大な魔力を村へと貸した――治水を請け負ったのだ。
雨水をそのまま飲用に足る浄水へと変質させ、日照りが続けば水を生成、増加させる。大雨が続けば川が氾濫せぬよう制御する。
本来であればとても一人の魔術師に賄いきれる代物ではないそれらの魔術で村を守護し、その見返りとして日々の糧を得る
そうした生活が何年か続き、十歳になったアリスターは初めて「最悪の魔女」という名を耳にした。曰く、王国を裏切り、滅亡へ導こうとした大罪人だという。
その頃には当然アリスターも、メディアがひとかどの魔術師だとは理解しており、何の気なく「最悪の魔女」について訊ねた。会ったことはあるかであったり、どんな人物だろうかといった具合にだ。
まさか訊ねた相手こそが、その張本人だとは思いもよらずに。
自らが最悪の魔女だと名乗ったメディアだったが、それ以上のことを語ろうとはせず、またアリスターも追及しなかった。
メディアが言いたくないことを、無理に聞き出すいう選択肢などアリスターにはなかったからだ。
しかしアリスターが好むと好まざるとにかかわらず、「最悪の魔女」に関する噂話は耳に入ってきた。どうやら王国内においてその呼び名は最大級の蔑称であり、それを扇動しているのが王宮――この国の現政権であるという。
自らの育ての親であるをメディアを、この国は蔑んでいる。
それを理解したとき、アリスターは生まれて初めて激情とも呼ぶべき怒りを覚えた。
このままにしておくわけにはいかない。変わる――変えなくてはならないのだ、絶対に。
それがアリスターの国家転覆計画の出発点だった。
ただ、ふと疑問に思うことがある。
自身の過去について語ろうとしないメディアだが、それならばどうして彼女は、自らが「最悪の魔女」だと名乗り出したのか。
彼女にしては珍しく一貫性のない言動。その真意はいったいどこにあるのか。
その疑問は、いまなおアリスターの心の片隅に置かれていた。
※※※
「ふふっ。話に聞いていた通りの人物のようだねアリスターくん」
アリスターに対し、ランスロット・ヴェルランドがにこりと笑みを浮かべて言う。
その余裕綽々な態度は鼻につくものではあったが、それよりも気に掛かることがあった。
「話、か。そこのレイリーもそうだったが、どうやら貴様らは俺様についていろいろと知っているようだな」
名前や性格、そしてなによりアリスターが四色魔術師であること。それらの情報を知っている者は多くない。まず考えられるのは学院関係者――それもクラスメイトのようにアリスターと距離の近しい者に限られる。
「気になるかい?」
「ああ、そうだな。話せ」
「……ったく、相手は一応王子だっての。これだから生意気なガキは……」
いてて、と首を回しながらレイリー・ギアが立ち上がる。まだ動ける状態ではないと思っていただけに、アリスターも目を瞠った。
「ずいぶんと頑丈な身体をしているな」
「あ? なんだよ、ご自慢の魔術で重傷負わせられなくてご不満か?」
「いや、いいぞ。より欲しくなった」
「……なにを言ってんだ、お前は?」
気丈な振る舞いとは裏腹に足元をふらつかせながらレイリーは部屋の壁伝いに歩き、不意に立ち止まった。「ここらへんだっけかな」と言いながら石壁の一つを手で押す。
ガゴン、という音と共に押された部位が凹んだ。それから一瞬の間を置き、室内中央の床が音を立てながら左右に開き、その奥にはさらなる地下へと伸びる階段があった。
「隠し階段、か。モグラ並みに地下に潜るのが好きなようだな」
「誉めてくれるのは嬉しいが、このからくりはなにも私が作ったものじゃなくてね」
答えながら、ランスロットの足は地下へと伸びる階段へ向かっていた。彼は階段を数歩降りたところでこちらを振り返り、
「なんにせよ、話は下でしよう。きみに見せたいものもあってね」
そう言うとランスロットは、アリスターの答えを聞くより前に階段を降りていった。まるでアリスターが断るはずないと確信しているようだ。
「ふん。ずいぶんと偉そうにしてくれるやつだ」
「……おい」
なにか言いたげにこちらを見るレイリーを無視し、アリスターもまた、さらなる地下へと足を進めていった。
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