蛇足
「おにいちゃん、朝だよ」
ドーンと軽くて柔らかい物体が、ベッドで横たわる勇士の上に落ちてきた。
「おうっ」
その不意打ちに勇士は息を詰まらせてしまった。
「ほらほら、目を開けてー」
どこまでも元気印の妹が、カーテンを開けていくにつれ、彼の部屋に朝日がいっぱい差し込んできた。
「うーん」
ベッドで上体を起こした彼に、すでに学校の制服を着ていた妹の明日菜が振り返った。頭の両側で結んだ髪が、遠心力で丸く宙を舞った。
「おはよ。おにいちゃん」
「おはよ、アスナ」
「朝の準備できてるから、はやくはやくぅ」
「おう」
勇士はいつも寝間着代わりに着ているTシャツを見おろした。
「どしたの?」
呆然としている兄に、アスナが不思議そうな顔をして見せた。
「いや、着替えるから先に降りてろ」
「はーい」
何か言いたそうなまま明日菜は部屋を出て行った。
ベッドからノロノロと起き上がり、クローゼットの扉を開いた。そこに備わっている鏡をのぞき込むと、いつもの自分がいた。
トーストにサラダという小野家では定番の朝食を片付け、揃って玄関を出る。
勇士と明日菜は、幼年部から大学院まで揃えた私立清隆学園の生徒である。勇士は高等部一年、明日菜は中等部二年であった。
昨年、明日菜が中等部に合格してからそうしているように、今日も二人並んでバス停へ向かうつもりだった。
勇士が鍵を閉めている間に、明日菜は地団駄を踏むように、そこで足踏みをしていた。
「よし、行こうか」
勇士が明日菜に声をかけた時だった。
「あ、今日は会えた」
声がしたので振り返ると、そこに美人が立っていた。
第一印象は背の高い美女である。黒く長い髪は櫛削られ、水色のリボンで纏められていた。着ている制服は、二人とは違う学園の制服であるセーラー服であった。
長い髪からシャンプーの香りをさせ、手には学校指定のカバンと、何かを入れたキルトの手提げがあった。
年のころは勇士と同じ少女であった。まるで化粧をしているような白い顔が、柔和な微笑みを形作る。
極めつけに特徴的なのは、その左目であった。開いた瞼の中は真っ赤の充血した白目に、赤く変色した瞳をしているのだ。
「よう。おはよう」
その瞳以外、どこから見てもお嬢さま学校へ通う良家の子女に、通りかかったサラリーマン風の男は見とれたのか、電信柱にぶつかったほどだ。
その少女に、勇士は親しげに話しかけた。
「ごきげんよう、ユウジ」
「キョウコも機嫌よさそうだな」
彼女は吉田恭子。彼女と勇士は、幼稚園から小学校、中学校と同じであった。が、高校は将来の進路を考えて、別の学校となってしまった相手だ。いわゆる幼馴染というやつだ。
茶色の右目と赤い左目が回るように動いた。
「アスナちゃんも、ごきげんよう」
「おはよう、キョウコちゃん」
兄の勇士の幼馴染である、妹の明日菜にとっても幼馴染だ。
「ユウジも、これから?」
「ああ、見ての通りさ」
「では、バス停までいかが?」
形の良い眉を、ちょっとだけひそめる恭子。
「んだな。一緒に行くか」
「もう、おにいちゃんたら、鼻の下のばして」
「そ、そんなことあるか。キョウコとは最初のトモダチなんだからな」
恭子は、勇士が近所の幼稚園に入園して、最初にできたトモダチだった。
「ほんとー?」
疑わしく睨んでくる妹に、慌てて勇士は腕時計を指差した。
「ほ、ほら。バス来ちゃうぞ」
「あ、まってよ」
先に立って歩き出すと、恭子は右側に、明日菜が左側に並んだ。
「ユウジのところは仲がよくて、うらやましい」
「そうか?」
微笑む恭子を見て、明日菜へ視線を移動させる。明日菜のほっぺたは見事に膨らんでいた。
そんな微笑ましい会話を続けながら、朝の慌ただしい通学路を歩く。と、行く手に小学生の集団が道の脇で円陣のような物を作っているのが目に入った。
「?」
「なんだろう?」
「なんでしょう」
三人して首を捻り、ちょいと野次馬とばかり首を伸ばして、小学生たちの頭越しに輪の中心を見る。
そこで、段ボールに入れられた雑種らしい子犬が震えていた。
「捨て犬かな?」
「かなあ」
小学生たちも、その見捨てられた命に、どうしていいのか分からずに、遠巻きに眺めているだけだ。
「どうしよう」
明日菜が泣きそうな顔で見上げてきた。
「どうしようったって…」
勇士は空を見上げた。どこまでも澄んだ青空だった。
「雨も降りそうも無いし、一日ぐらいは放っておいても大丈夫だろ」
「うん、そうかもね」
「うふふ」
兄妹の会話を聞いていた恭子が、横で笑い声を漏らした。
「ん? なに?」
「いいえ、なんでもないわ」
微笑みで誤魔化そうとした恭子に、勇士は眼力で訊いた。
それに対して恭子はクスクス笑いながらこたえた。
「勇士は優しいですもの。帰り道にあのままだったら、拾ってしまうのでしょ?」
そうかもしれないと勇士は思った。両親は揃って海外に赴任してしまったし、自分だって部活で遅くなる時がある。そんな時に、明日菜に寂しい想いをさせることも無くなるだろう。
バス停に向かいながら、さっそく犬の名前の候補を考えている自分がいた。
(あんまり難しくない名前がいいな。オスだったらポチで、メスだったらキララでどうだろう)
おしまい
読了お疲れさまでした。
読み終われば分かると思いますが、元ネタは『エンドレスエイト』(アニメ版)や『シュタインズ・ゲート』の延々と続く部分です。本当は『五月の出来事・B面』やら『幻影幽霊』の続編やらを投稿しようとしていたのですが、間に小噺を入れようと考えたのが、和美の全ての間違いでした。ずるずると文章がのびてしまい、結局読みづらい作品になってしまいました。でも久しぶりに左右田優くんが活躍する新作なので、和美的には完成して嬉しいです。
次はちゃんと『B面』か『幻影幽霊』の続編を投稿しようと思っていますので、そちらが完成したらよろしくお願いします。
池田 和美




