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第八十九話

《1993年12月18日土曜日 午後14:15 冬》


交わす言葉も少なめに、K美と昔の俺は、横浜駅西口の河川へ向かって歩いている。カーキー色のすこし古いダウンジャケットにストレートジーンズを履き、髪は後ろ手に一つで束ねていた。以前の洗練されていた姿よりも、やけにみすぼらしく、傷だらけのアルミケースを抱えていた。そして幸せそうに見えなかった。これが自分のやりたい事をやっている満足なのだろうか?


ビブレの橋を越え、適当な店へ入る事になり、二人はファーストキッチンへ入った。当然、俺は店員になりすまして、彼らの様子を観察してみる。


みすぼらしいのは、過去の俺も一緒だった。まるで一昔前の探偵姿のような、黒いロングコートに黒ジャケット。髪はオールバックにし、首には銀の十字架ネックレスをぶら下げてる。K美と付き合ってた当初とは、ファッションセンスも生き方も変わってしまったようだ。


「俺はコーラ一つ。K美は?」

「あ、私は…ホットコーヒーで。」


ああ、確かに覚えている。メニューにあったペプシのロゴ。この時すでに、いつ、どこで、相手にペプシをぶっ掛けるか?考えていたんだ。


過去の俺はトレーに乗せたペプシとホットコーヒーを持っていった。そうそう、運良く店内はテーブルが一つしか空いてなくて、しかも、ど真ん中だった。俺はすぐ様店員から、二人が座るテーブル横に、1人で紅茶を飲んでいる女性になりすました。


「Y、久しぶりだね?」


K美は、アルミケースを床にどさっと置いて座った。過去の俺はそれに対して無言で睨みつけたまま、ゆっくり座った。


「どうしたの?何か変だよ。」

「別に…。何でもないよ。」

「あ、そう…。仕事は、まだ続けてる?毎朝のFaxとか…。」

「知ってるでしょ?川崎支社は、だれかせいで無くなったんだから。」

「そう…そうなんだ。」


過去の俺はペプシをぶちまける準備を着々と進めていた。ファーストフードにありがちな、ソフトドリンクのプラスチック蓋をわざわざ取り、ストローを使わずに直で飲んでいる。


「今日はさぁ、ちょっと寒いけど、きっと撮影日和だと思うから…」

「その前に、色々聞きたい事がある。」

「え?!」

「何で何度も連絡したのに、返答してくれなかったんだ?」


そうだった。俺はどこかでいつか会えると、どこかで信じていたんだ。その為に、俺はK美を憎む事で、忘れないようにしていたんだ。でも、この時は全く気付いてはいなかった。会えなかった寂しさや、独りだった辛さの捌け口を別の女で紛らわしていたんだ。


「そんなの知らなかったよ。だって、実家から出ちゃってたし…。」

「それなら、今迄何で連絡してくれなかったんだ?友達以上恋人未満って言葉って、それも嘘だったわけ?」

「それも嘘って、どういう事?」

「お前が辞めた後に課長も行方不明。どう見たって二人が何か怪しいと思うじゃないか。」

「それはYの思い込みだよ。私と課長とは何も関係は無いもの。」


本当に過去の俺は嫉妬まじりどころじゃ無く、嫉妬に狂った怪物だ。現代じゃストーカーで逮捕だな…。


「婚約者を捨ててまで行方不明なんておかしいじゃないか。」

「本当に知らないって!」

「それじゃ…。知ってる事を確かめさせてくれ。」

「え?知ってる事…?」

「ああ…。お前が辞めた後に、俺は部長に全部吐いてもらった。誰が見たって、あんたとの肉体関係はあったのに、部長は最後までシラを切っていたけど、それ以外は全部吐いてもらった。」


獲物を捉えた蛇のように、過去の俺はK美の怯える一瞬を味わっていた。

「部長にとって本当はたった一回だけの遊び。それが、あんたの親父さんが亡くなって情緒不安定になったり、事や会社の経営に口を出してきて厄介者になってきた。」

「…。」

「部長は不祥事を恐れて川崎支社設立を提案し、あんたをそこで泳がせていた。だが、あんたを選ばず家庭を捨てない部長に、振り向かせようとあんたは社長へ直訴すると脅した。まさか、あんたと初めてあったあの時が、その日だったなんて…。」


K美はすこし苛立ちながらタバコを吸い出した。


「納得のいかなかったあんたは、その後に何度も部長に言い寄ったが相手にされず、しまいには手首を切って明るみに出そうとした。そこで課長のお出ましだよ。」


ペプシを一口のみ、持ったその右手の人差し指で相手へ挑発的するように指した。


「あんたと肉体関係を持って上手く丸め込もうとした矢先に、あんたは課長の前で手首を切り、部長が離婚しなければ、課長の婚約者に全てをバラすと脅した。」


「課長は考えた挙句、あんたを俺に押し付けようとした…。どうせまた課長か部長の口車に騙されたんだろう?でも、結局あんたは部長の家庭を破壊しなければ、気が済まなかった。俺の事など、課長や部長達に対する復讐の材料でしかなかったんだ!」


K美はタバコを吸い終えて、例の如く吸殻を握り潰した。


「言いたい事はそれだけ?」

「はぁ?」

「当事者でも無いのにいい加減な事並べて、偉そうに説教しないでよ。あんたが考えているより、もっと複雑で繊細なの。男女の関係が恋人同士の付き合う付き合わないだけで判断しているような、お坊ちゃんとは違うんだから!」

「クックック…出たな本性。前の俺はそうだった。だが、今は違う。俺だって汚れてきたし、地を這ってきた。相手も汚してきた。今なら全てが分かる。手首を切ったあんたの浅はかな理由も、ガラスの様に透けて見える。」


K美は睨み返そうとしたが、過去の俺のおぞましい空気に退くように、顔を横に向けてしまった。


「あんたは最初から、死ぬ気なんか、これっぽちも無かったんだ…。」


目を見開いたK美は、心臓を鷲掴みされたような驚きを隠せず、動揺していた。


「全てはあんたの思い通りにいかない、憤りと恨みだけ。」


突かれたK美はぐっと睨んで、ついに言い返した。


「…手首切ったくらいで…死ぬ訳ないじゃん!」


続く

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