第五十七話
愛は守る為に存在する。正義は人を救う為に存在する。賞賛される為や、欲求不満を解消する為にあるのではない。
《1993年の夏の記憶》
サバティーニを後にした自分とK美さんは、エレベーターを降り、横浜ポルタの地下街を通る頃には、いつの間にか自然とお互いの手を握っていた。ポルタのエスカレーターでは無言になる。左手の包帯は…やっぱりある。いけない…。そんな風にK美さんを見ては。でもどうしても気になってしまう。そんな時、K美さんは自分の唇に口付けをしてくれた。驚いてしまった。どうして?
「君、本当に可愛いよ…。」
「有難う…ございます。」
「ふふふ、何か変なの。」
自分は緊張して、トイレに行きたくなったが、自分を待ってくれてる間に、K美さんがいなくなってしまうのが嫌だから我慢した。その時、課長のアドバイスが脳裏に過ぎった。
"もし横浜駅のダイヤモンド地下街に行きそうになったら、すかさず浜ボウルの川へリードしろ!"
あっ、あの割引券だ…。上手くできるだろうか?ホテル…シャレードだっけ?探しているようにしてたら、かえって警戒されるし…。どうしよう?
「なんか…少し酔っちゃったかな?」
「大丈夫…っすか?」
「うん…。」
自分達は取り留めのない話をしながら、浜ボウルへ続く川の側を歩いていた。するといよいよ、あのネオン街が向かってきた。昼間と違って、多くのカタカナたちが、激しく自己主張を繰り返している。この先を右に曲がれば良いのだが、曲がってしまえば一連の建物しか存在しない区域なので、なんともあからさまに意識しているようだ。拒否されたらどうしよう…。ついに、曲り角にきた。自分は思わず立ち止まってしまった。
「あの…。」
「うん…?どうしたの?」
「あ、いや、その…。」
K美さんの顔の向きは自分の顔を見たまま、目だけ一連の建物をチラッと見て、すぐに視点を自分の方へ戻した。そして近寄ってすかさず自分の手を握り、耳元で小さな声で呟いた。
「…おいで。」
自分達は、課長のくれた割引券が使えない、カタカナの名前を冠にした建物へ入った。なんとも薄暗い受付で、やっぱり床は濃い紅色の絨毯が続いていた。課長に教わった受付の仕方を思い出している間に、K美さんはスムーズだった。全てがK美さんの動きから学ぶしかなかった。部屋の選択も、鍵の取り方の間合いも、前払い制ではない事も、エレベーターの見つけ方も…。エレベーターは、六階を灯している。上へのボタンを押した後、K美さんは笑顔で自分に語りかけてきた。
「先に飲み物買っておこうか?」
「あ、はい…。」
自分は緊張して、財布から上手く小銭が取り出せなくて、しかもエレベーターの灯す光が気になってしまった。今は四階だ。自動販売機の前で、小銭を落としそうになった。そんな自分の姿に見兼ねたK美さんは、サっと財布から千円札を取り出し、缶ビール二本
瞬時に購入した。その二本を自分の両手に持たせて、再び笑顔を見せながらエレベーターに先に入って待ってくれた。
「ほら、行くよ。」
なんて…情けない男なんだ、自分は…。気を遣ってもらってしまった。でも、高鳴る気持ちは止められそうに無い。今夜は大好きなK美さんと結ばれるんだ。
《現実社会 K助くんのワゴン助手席》
僕はK助くんの肩を借りて、火葬場の外に停めてあったワゴンに乗せてもらい、彼も運転席に乗り込んだ。
「有難う…K助くん。」
「いえ、自分は本職は動物病院に務めているんです。」
「そうか…DJじゃなかったんだ。」
彼は車をゆっくりバックさせ、火葬場の駐車場から出て行った。その瞬間、火葬場の入り口付近で、こちらを見ながら携帯で電話を掛けるKちゃんの姿を見かけ、その次には、側にある休憩室の窓際では、爪を噛んでイライラしているK子さんの母親、そして困った表情でなだめている父親の姿も視界に流れた。
「いつも犬とか猫を見てるもんだから、何となくYさん過呼吸になりそうな気がして。」
「ははは…。」
「あ!別にYさんが、犬や猫って意味じゃ無いっすよ!」
「有難う…。」
K助くんの携帯電話がけたたましく鳴り響いた。しかし彼は着信をすぐに確認したら、電源を思いっきり切ってしまった。
「あの場では…、誰だっておかしくなりますよね?」
「あはは、そんなもんかな…?」
「そんなもんですよっと!」
彼はハンドルを左へ回した。
「とにかく、病院に急ぎましょう。体調が良くなったら、Yさんには聞いてもらいたい話もありますんで。」
僕に聞いてもらいたい話?一体何なんだろう…?
続く




