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第五十一話

塔を出ると、無限に広がる空間に包まれた城外にいた。あの長い陰鬱な廊下は無く、自分達はずっと先迄続く城壁の上を歩く事になる。


「まずはへデスの話をしよう…。ある西洋の宗教では冥府を地獄と捉えているが、心の具現化ならば、それ程激しい異教として忌み嫌う必要は無い。へデスはポセイドンとも密着して、『自神』の為にこの世界を機能的に動かそうとしている。」


天候も激しく揺れ動いている。後ろ振り向くと、『無慈悲なき巨塔』が聳え立っているが、よく見ると地面に浮かんでいる状態だった。その下から湯気のようなものが立ち込めており、様子を伺う事はあまりの距離でできなかった。


「へデスとコレーの話を知ってるか?」

「確か…、コレーはペルセポネーという別名がある冥府の女王だっけ?ゼウスの言葉に唆されたへデスは、半ば強引にペルセポネを冥府に連れ去ってしまう話だよな?」


聖鐘が塔内部で鳴り響くと、見計らった様に塔の壁がコッホ雪片を始める。


「そうだ…。地上を毎日恋しがり、ロクに食べ物にも手を付けず泣き続けるコレーと、強引な行動に出ることさえ出来ずに手をこまねいたへデス。ついにコレーの身体は衰弱し、不憫に思ったへデスは12粒あったザクロの実のうちの、4粒を口移しで食べさせてあげる。しかし、そのせいで1年の3分の1はへデスの許で暮らし、残りの3分の2を神々の世界や地上に暮らすことになってしまい、これが後の、地球上の四季の始まりと言われてる。」


今二人が歩いている城壁は、綺麗なレンガが一つずつ丁寧に積み重ねられてできている。先ほどからの雨が至る所に流れているおかげで、無限の空間を合わせ鏡のように映していた。


「さてと、お前ならなぜこの神話を、この世界における何の具現化と考える?」

「四季の始まり…だろ。ザクロ12粒…時間…。4粒…。喜怒哀楽の誕生か?」

「正解だ。コレーは赤ん坊が感じる母親からの愛情を具現化したもの。子宮内では常に包まれていた母親からの愛情も、出生後にはそれが常では無い事に気付かされ、喜怒哀楽を形成してそれらを自覚してゆく。」

「つまりへデスは喜怒哀楽を形成してゆくうえで重要な役割を担っているわけだ。」

「さすがだ。」

「なら、地下水の支配者でもあり、海洋を司る神。泉の守護神のポセイドンは何の具現化なんだ?」

「それを話す前に、この無限と思える世界が何の素材でできているか、分かるか?」

「さァ…。」

「感情も記憶も感覚も思考も、お前が今見ている全てのものは水でできているんだ。あれを見てくれ。」


指を差した先には、無限の空間に浮かぶ、巨大なレンガ造りでできた三つの塔が、一つの巨大な円城に建てられて浮かんでいた。


「なんだあれは?!」

「『無限の三円塔城』だ。それぞれの塔には『夢想の塔』『理想の塔』『希望の塔』と名付けられ、この世界の全ての素材である水を流し続け、『自神』の為に常に機能している。」


よく見ると、塔のいたるところのレンガの隙間からとめども無く水が流れている。三つの塔の先は様々な形に変わり、さっきの聖鐘とは別の明るくて、美しい音色を響かせていた。


「うん?レンガの並びが変わったような…。」

「多分、ヒルベルト曲線だろう…。」

「面白そうだな、是非とも連れてってくれ。」

「無理だ…。」

「なんで?」

「俺は自分の仕事場の事しかよくわからないし、あの塔の主がいない時には、近づいたり入る事も許されないんだ。」

「なら、主は今、何所にいるんだ?」


『俺』と称する人物は、先ほどタバコに火を灯したように人差し指を立てた。


「??」

「…まだ分からないのか?」

「ああ…。さっぱり。」

「『僕』と称する人物は、きっと今頃K子の遺族達と火葬場にいるだろう…。」

「うん?!」

「ギリシャ神話で言えば『俺』は、『自神』である事に気づきもしない馬鹿野郎に唆され、ザクロの実を口移しで食べさせたキザ野郎だ。」

「…!?」


自分はようやく『自神』を意識した。『自分自神』がゼウスの役割だったんだ…。そいつはこちらに背を向け、再びタバコに火を灯し、『無慈悲なき巨塔』へ帰ろうとしていた。だが、はっきりさせたい事が一つのある。『自分自神』の左手首にしっかり刻印された、あの甘酸っぱく辛い自殺未遂の傷を右手で抑えた。


「帰る前に…、左手首を見せてくれないか?」


彼は何も言わず背中を見せたまま、左手首を見せてくれた。あった…。同じ場所に、同じ傷が、『自分自神』のと同じようにあった。


こいつは、いつも危険な因子と隣り合わせの、『自分自神』が不必要とした自意識を管理してくれていたのか。そして、自殺未遂への記憶へ立ち向かう前に、甘い記憶だけに溺れないよう、自分達が常に味方である事を教えてくれたのだ。


「ありがとよ…。キザ野郎。」


へデスは独り微笑みながら、そのままタバコを左手から投げ捨てた。


続く

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