第三十二話
もっとも過酷な時間。それは晴れた朝、身体中が焼き付くように痛みを感じる土曜日と日曜日…。
散漫とした姿で湧き出てくる家庭の人だかり。彼らは家族ではなく、家庭の吐き溜り。彼らは無造作に不平や不満という副流煙を吐き出し、俺から自由を奪い、俺に固定概念を押しつける。彼らは公衆においても、家庭の顔で我が物顔で歩いている。個性や特性といったものは、彼らの無知からくる冷罵という名のブルドーザーで潰され、大衆的という車道のアスファルトにされてしまう。家族なんてものは使い古された愛の言葉と同じで、互いを繋ぎ止める束縛の鎖であり、今や本当の姿は理想化された液晶画面の向こう側にしかない。だから俺は土曜日の昼や日曜日の昼の人だかりが嫌いだ。
だが今日は違う。彼らは紅海の海の如く、俺の姿を避けてゆく。葬式に雨なんてチープなドラマの中だけで、大抵はお日柄も良く御愁傷様ってやつだ。K子の葬式も変わらない晴れ晴れした日曜日だった。彼女の人望は生前より厚かったのかもしれない。これだけの数の人間が、彼女にもっと関われば、きっと廃墟を選択する必要もなかったのかもしれない。
K子の葬式を終えたあと、彼女の家族から斎場へ一緒にきてほしいと言われた。なぜ家族でも親戚でもない俺が、火葬場まで来ることになったのか。答えは遺書とも思える残された一枚の紙切れにあるらしい…。後で確認もして欲しいとのことだった。
K子の事だ。きっと感謝の言葉でも書き綴ったのだろう。持ち上げ過ぎだ。俺は何もしちゃいない。ただ、思った事を言ったまでで、何を最後に言われたのかも未だに想いだせない。
勿論、棺での最後の別れは遺体の損傷が激しいためありえず、彼女の笑顔の映った写真に、みんなで声をかけるだけになった。KやK助の姿には多少の違和感を覚えるが、仕方ない。
もし、あの棺の中で彼女が息を吹き返したら、どんな気分なのだろうか…。ありえない。そんなことは、ないか…。業火へ流れゆく魂は、骨と灰だけを残していく。それだけだ。
全てが終わると、K子の母親らしき女性が気丈な振る舞いを、なんとか持ち合わせながら近寄ってきた。一枚の残された紙切れを差し出して、突然叫びはじめる。
「貴方が…うちの娘を殺したのね!」
俺はその後、嫌と言うほど彼らの家庭から、あの忌々しい日曜日の副流煙を流し込まれることになった…。
続く




