1.
領地を分かつ「迷いの森」は、今日も木漏れ日とのどかな鳥のさえずりに満ちていた。
白狐族の魔術師名家の一人娘であるミウは、お気に入りの刺繍が入った麻袋を片手に、熱心にハーブを摘んでいた。白くふわふわとした狐の尻尾が、草を分けるたびに楽しげに揺れる。
黒豹族の連中と領地を巡る小競り合いが続いていることは知っていたが、彼らが主張する「境界線」など、ミウにとってはあってないようなものだった。
「動くな、白狐の密猟者め」
背後から響いた野太い声に、ミウはのんびりと振り返った。案の定、黒い軽装鎧を身にまとった黒豹族の警備兵たちが、ギラギラとした目で剣を抜いている。
「あら、こんにちは。密猟だなんて人聞きの悪い。ただのハーブ摘みですよ」
ミウが朗らかに微笑んで見せても、兵士たちの警戒は解けない。一方的な一触即発の空気が漂ったその時、ざざ、と草むらを大きく踏みしめる重い足音が響いた。兵士たちを一斉に直立不動の姿勢へと追い込む。
「――下がれ」
低く、地に響くような声。
現れたのは、黒豹族の若き分隊長、レオンだった。
漆黒の髪に、すべてを見透かすような鋭い金の瞳。しなやかな筋肉を宿した体躯は、ミウよりも頭一つ分大きい。年は二つほど下だったろうか。周囲から「冷酷無比の鉄仮面」と恐れられるその表情は、文字通り冷たく固いままだ。
レオンは無言のまま大股で近づくと、ミウの細い手首をガシッと掴んだ。
「ちょっと、痛いですよ、黒豹の」
ミウが軽く眉をひそめた、その瞬間だった。
じりじりと焼けるような熱さが2人の肌を駆け抜け、パチパチと青白い魔力の火花が弾けた。
驚いて視線を落とすと、重なり合った2人の手の甲に、古風な魔術文字が浮かび上がっていく。それは紛れもない、魂の伴侶を示す「番の紋章」だった。
「え……」
さすがのミウも目を見張る。よりによって、いがみ合う黒豹族のこの男が自分の運命の相手だなんて。
しかし、その光が周囲の兵士たちに届くことはなかった。
レオンは紋章が刻まれた刹那、弾かれたようにその大きな身体でミウを覆い隠し、部下たちの視線から光を完全に遮ったのだ。背後からは激しい魔力の光に見えたのか、部下たちは「な、なんだ。白狐の術士が抵抗の魔術を」と熱り立っている。
ミウは恐る恐る、自分を包み込むレオンの顔を見上げた。
レオンの表情は、相変わらずぴくりとも動かない。完全な無表情だった。
けれど、観察力に定評のあるミウの目は誤魔化せなかった。彼の頭の上にある黒い耳が、見たこともない角度でペタンと真横に寝ている。さらに、お尻の後ろから伸びる長い尻尾が、まるで槍のようにピンと上を向いて硬直していた。
(あら。口では何も言わないけれど、頭の中は大パニックかしら)
ミウがクスリと笑いかけた瞬間、レオンの手が動いた。
抵抗する隙すら与えず、ミウの身体がふわりと宙に浮く。気がつけば、男らしい腕の中にすっぽりと「お姫様抱っこ」の形で収まっていた。
レオンは自分の黒い騎士マントをバサリと翻すと、ミウの身体を頭からすっぽりと繭のように包み込んだ。視界が真っ暗になる。
「ちょっと、何をするの」
不満を込めて睨んだが、レオンはとくに表情が動くこともない。
「静かに。連れて行く」
ただ短く冷淡な返し。しかし、衣服越しに伝わってくる彼の鼓動は、壊れた機械のように激しく脈打っていた。
光の正体も知らず、ましてや自分たちの若頭が心臓をバクバクといわせているとも思わない部下たちは、ただレオンの圧倒的な行動力に呑まれていた。
「若頭が敵の術士を捕らえたぞ」
「さすがレオン様だ。一瞬で無力化するとは」
周囲の部下たちが盛大な勘違いをして歓声をあげる中、ミウは黒いマントに包まれたまま、レオンに抱えられたままに気づけば馬の上だった。




