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夢の監獄  作者: 杜 妃湖
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Dive to deep⸺月の光

(神経が焼き切れそうだ⸺)

柊は暗闇の中に立っていた。頭がズキズキと痛む。

と、どこからからピアノの音が聞こえてきた。

(これは…ドビュッシーの…)

そう考えていると舞台のスポットライトのようにパッと暗闇の一部が明るくなり、そこには幼い姿の綾子が立っていた。

「来たわね」そう言うと綾子はパチン!と指を鳴らす。

スポットライトがもう一つ。今よりずっと若い隆弘がピアノを引いている。


「私と会うのも、おそらくはこれでおしまい。この先に全ての過去が封印されてる。もう止めはしないわ。だってこれは私⸺綾子の選択なのだから」

そう言ってもう一回指を鳴らすと、まるで蚕のそれのような薄い繭に包まれて眠る綾子の姿が照らし出される。


「見てくるといいわ。そして全て暴けばいい。私は綾子の決めたことを覆すことはできないのよ。」そう言って幼い綾子は寂しそうに笑うと

「行ってらっしゃい」と手を振った。


途端、景色が一変する。

「パパ!!ママ!!いや!!いやああああああ!!!」悲痛な鳴き声。目の前には燃え盛る炎。

「綾ちゃん!だめだ!」作業服を着た男に抱きとめられる綾子。

「パパ…ママ…」

その声が脳にこびりつく。


と、暗転。まるでTVのチャンネルを変えたかのようにシーンが切り替わる。

いかにもな派手な柄のスーツを着た男たち。

「⸺ですからねぇ、橘さん。こちらも何もタダでって言ってるわけじゃないんだ。立ち退いてくれたら五百⸺いや、一千万。即金でお渡しできますよ。」

男たちを一瞥すると橘と呼ばれた男⸺綾子の父は一言「何度言われても断るよ。これは僕らだけの話じゃない。従業員の今後も左右する話なんでね。」とだけ言って作業に戻る。

幼い綾子はそのやり取りを見ている。

「綾ちゃん、あっちに行きましょうね」と手を引かれる。綾子によく似た目鼻立ち。おそらくは綾子の母親であろう。

男たちは「また来ますよ」と言って去っていった。


暗転。

先程の男たちが今度は別の夫婦に話しかけている。

「こちらもねぇ、これ以上は待てないんですよ、早乙女さん。滞納に次ぐ滞納。上もお怒りだ。」

「申し訳ありません!!申し訳ありません!!お金は必ず、必ず用意しますから!!」そう言って土下座をする男。その面立ちは隆弘によく似ている。

襖のむこうから覗く小さな目。男たちはそれに気づくと

「まぁ、ガキバラして売っちまえば話は早いんですがねぇ?」と凄む。

「それだけは…!!どうかそれだけは!!」と畳に額をこすりつける男⸺おそらくは隆弘の父に男はヒソヒソと耳打ちをする。

サッと青ざめる隆弘の父。乾いた声で「そんな…そんなこと…」と絞り出すように声を発すると、男たちは「やるかやらないかはあんた次第ですよ、早乙女さん」

そう言って去っていった。

襖から覗く目に気づいた母親が「隆弘…」と力なく声をかける。

「今日は調子がいいの?ピアノのお稽古、しましょうね。」と手を引いて去ってゆく。

隆弘の父は震えながら「全て俺次第…」と呟いていた。


暗転。幼い綾子が夕暮れの道を歩いている。

「パパもママも、新しい機械が入ったからって張り切っちゃって。」橘部品工場、と書かれた小さな工場の前で立ち止まる。

ふと、誰かの気配を感じて工場脇の廃材置き場に目をやる。ツン、と独特の臭いがする。

「ストーブの匂い…?」綾子が呟くと暗がりから一人の男が慌てて出てくる。男は何かを抱えながら綾子が来たのとは反対の道を走り去っていく。


暗転。

学生時代だろうか。今よりもずっと若い隆弘が父親に怒鳴り散らしている。肩をいからせ、ふうふうと荒い呼吸で老いた父に詰め寄る。

「だからこれは、なんだって聞いてるんだよ!!」

その手には1枚のスクラップ帳と預金通帳。開かれたページには小さな見出しで

「町工場全焼」の文字。

その日付の数日後に振り込まれていた現金500万円。

隆弘の父親は震えながらやっとのことで口を開く。

「違う…俺は…あのとき中に誰かいるなんて…思わなくて…」

その顔は青ざめて絶望に染まっている。

「…もういい。」そういうと隆弘は外へ飛び出し物置から斧を持ち出してくる。


「俺はもう、二度とこいつを弾くことはない。」そう言って何度も、何度も、何度も。

自らの半身であったピアノに斧を振り下ろす。

「やめて!!やめて隆弘!!」隆弘の母親が悲痛な叫び声をあげる。が、隆弘はやめない。

はあはあと息を切らしながら「あんた達とはもう会わない。これっきりな。」そう言い捨てて隆弘が去ってゆく。

柊の頭の中でカチカチと、パズルのピースがはまってゆく。


「これが、全ての答えよ」

振り向くと幼い綾子が立っていた。

「綾子が壊れないために、私が隠していた記憶と、あの人の記憶。これで、わかったでしょ?」と寂しそうに笑う。


ヤクザ、おそらくは地上げ屋或いは金貸し関連。

それが綾子の両親、そして隆弘の両親共に関わっていた。

火事。逃げ去る男。

無意識に封印した記憶。


「柊さん。」幼い綾子が一糸まとわぬ姿の綾子の手をひいてくる。それはまるで羽化したての蝶のように儚く、しっとりと濡れ、そして虚ろな目をしていた。

「綾子が繭から出てきたわ。とても、とても危うい状態なの。だからあとは頼むわね。これ以上は全員が限界よ。」

幼い綾子は柊に虚ろな綾子の手を取らせると、

「さよなら。ありがとう。もう会うこともないでしょうね。私は綾子に還るのだから」とひらひら手を振った。


「う…」

柊は泥まみれで目を覚ました。

頭がズキズキと痛い。そうだ、俺は⸺いままで二人の記憶に潜っていた。そして見てきた記憶の断片。

急いで綾子を見る。息をしている。傍らには泣きながら綾子の名を呼ぶ叶恵。

叶恵は柊が意識を取り戻したのに気づくと、

「柊さん!!綾子お姉ちゃんが…!!」とボロボロと大粒の涙を流す。

その声に導かれるように綾子がゆっくり目を開ける。

「叶恵ちゃん…?柊さん…?私…」

目は虚空を彷徨いフラフラと危うげであった。

柊は綾子を抱き寄せると耳元でハッキリと言った。

「思い出してください。俺が何度も言った言葉を。何を見たとしても、今あなたがここで生きていることが一番大切なんです。綾子さん、あなたは生きてる。生きて、こうして俺の前にいる。」

「あ…。」かすかな声。


「思い…出した…。パパとママの工場は…立ち退きを迫られていて…火事に遭って…暗がりから出てきたあの人は…。」

そこまで言うと未だ臥せている隆弘を見る。

「お義父さん…」


綾子が隆弘の頬に手を伸ばす。

「隆弘…起きて…」

「ねえ起きて…貴方まで私を一人にしないで…!」

頬を伝う涙。それが隆弘の頬に落ちると、隆弘はゆっくりと目を開けた。

そして薄く笑うと「綾子…全て、全て知ってしまったんだね…」とかすれた声でささやいた。

そして再び目を閉じると、

「愛してるよ…綾子…」それだけ呟いて再び気を失った。

2026/04/10加筆修正

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