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夢の監獄  作者: 杜 妃湖
33/59

迷子の子猫

ほぼ、同時刻。

土曜日で人の少ないオフィスで隆弘は、スマートフォンを眺めていた。

「早乙女くん、頼んでいた書類の件だけど⸺」

背後から上司に話しかけられて隆弘はスマートフォンをしまいながら恭しくUSBメモリを差し出す。

「こちらにできてます。バックアップも僕のパソコンにしっかりと保存してあります。」

「そうか、君は本当によくできる男だな。期待しているよ。」

(⸺狸め。)

隆弘は笑顔のまま心の中で悪態をつく。

(何でもかんでも俺に投げてきやがる。年功序列だけで上がってきた薄らボケの無能が。)


実際、隆弘は良く出来た社員であった。

今の位置づけは主任。

テキパキと要領よく仕事をこなし、また愛想もある彼は取引先からも好かれていて、気づけば今月も業績は上々。

同僚のみならず女子社員たちからも好かれ、時々彼女らのランチの時に噂の的になることもあった。


「早乙女さん、シゴデキだよね〜。見た?部長のあの顔。」

「ほんとそれ。あの狸腹が1個こなす間に早乙女さんなら10個はこなしてるよね、仕事。」

「あとさぁ、これは個人的なことなんだけど…早乙女さんのキーボード叩く指ってすっごくセクシーじゃない?」

「わかるわかる!スラッとしててさ〜。あーあ、あの指に指輪さえなければな〜。」

「無理無理。あの人すっごい愛妻家だもん。一度奥さん見たことあるけど、なんか儚い感じの美人さんでさ。私らには到底手が届かないって。」

と、こんな具合だ。


隆弘はぐっと背伸びをするとコーヒーを飲もうと給湯室へ向かった。スマートフォンを操作しながら角を曲がると、危うく女子社員と接触しそうになる。


「おっと。ごめんよ。」すんでのところで女子社員を躱すと「ぶつからなかったかな?歩きスマホは良くないね。申し訳ない」と軽く頭を下げる。

女子社員は少し顔を赤らめながら「大丈夫です。長谷川主任、どうしたんですか?」と尋ねた。

「ん?なんで?」と隆弘が微笑みながら返すと女子社員はもごもごと「その…主任、なんかすごく真剣な顔してたから…なにかあったのかなって。」と小声で返す。

「ああ。」と隆弘は微笑みを浮かべたまま続ける。

「どうも家の猫が脱走したようでね。困った癖だ、勝手に窓を開けて出ていっちゃうんだよ。まぁ、万が一に備えてGPSつきの首輪はしてもらってるけどね。」

「主任、猫ちゃん飼ってたんですね。その…ちゃんと帰ってくるといいですね…。」と女子社員は心配そうな顔をする。

隆弘は笑顔を崩さぬまま答える。「なぁに、結局いつも帰ってくるんだ。おかえりなさい、なんてしおらしい顔してね。猫なんて気まぐれだけどそれでも家族だから。出来れば心配はかけないで貰いたいんだけどね…。」


それじゃ、と片手を上げると隆弘は給湯室へと向かった。


給湯室では一人だった。備え付けの自販機でコーヒーを選択する。紙コップに注がれたそれは暖かくそして漆黒で、艶々とした綾子の髪を連想させた。

「迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのお家は…♪」誰にも聞き取られないようなささやき声でそこまで歌うと隆弘はコーヒーを一気にあおり、

「君の家はここにしかないんだよ、綾子。」と口角をあげた。

その眼差しは先程女子社員に向けたものとは違い、狂気を孕んでいた。

「あまり犬のお巡りさんを困らせてはいけないよ、綾子。」そうつぶやくと先程まで暖かな液体で満ちていた紙コップをぐしゃり、と握りつぶし隆弘はデスクへ戻っていった。

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