メーティス
画面に映る文字には、にじみ出るほどの優しさがあった。
こんなこと考えたことなんてなかったのに、ただ画面に映った文字に感傷的になるなんてこの学校に来てからのことだった。
『学校に通うことになって環境も変わられたと思いますが、体調など不調はありませんか。私たちにできることがあればなんでも言ってくださいましね』
「ど、どうも……ありがとうございます」
『無理にあなたに会いに行くことも考えましたが、それはきっと望まないだろうと思っていました』
どこか幼さのあるクリアとは明らかに異なり、(性別なんてわからないけれどとりあえず)画面越しに話しかけてくる彼女は落ち着きのある大人のそれだった。
どうか、もう少しお話に付き合ってほしいからと倉庫に置かれていた椅子に掛けることを促される。
「私のこと見えているんですか?」
『勿論、見えていますよ。ご実家にいた時より少し健康的になられましたね、よかったですわ』
この学校にいる前から、私のことを知っているらしいのに不思議なことに気持ちの悪さなど感じなかった。
クリアが、横から『そりゃ昔の食生活と比べたらこの学校のはマシだしねー。もっと姉さんは太った方が良いよ』と余計なことをいうのと比べてしまうからかもしれないけれど。
部屋の外はまだ静まり返り、鳥のさえずりだけが響いている。
画面と会話をする私は、はたから見れば異様だろう。
『あなたが望めば私たちはいつだってあなたの味方をする。けれどあなたは力を振るって支配することを望んではいないし、求めているものは平凡そのもの。穏やかな生活を送る方が好ましい様子でしたからこんな風に隠れさせながら呼び出してしまってごめんなさい』
「私にはその……貴方方と知り合った覚えはないんですが」
『私たちにもその理論は分かっていません。ただ私たちが生まれたその時にはもう私たちはあなたに従うように、そう決められていましたの』
彼女は私がこの世界の全体的な姿を分かっていないことを理解していた。
それは階級社会的にどうしようもないもので、産まれ持った環境がそうさせており、この学校に来てこの世界の基本的なことや生活の環境、ありとあらゆることが自分のこれまでの世界では狭く、小さいものだったと知った
。
景色一つ、植物一つとってもすべてが新しい。
まわりの大人から聞くだけでは分からなかった人と人との格差なんて、今回のこの機会があって本当に良かったと思っているほどに。
「どうして日本語を知っていたんですか」
『言語のひとつとして、貴方がかつて使っていたものだと認識しています』
こちらの疑問を綺麗に解決しているわけではなく、それ以上の答えも返してはくれない。
返せないのだ、ただそう知っているだけだと彼らは無情にもそれ以上のことを教えてくれない。
『僕たちにもその辺よくわかんないからどうしようもないよね。ま、そういうことだから諦めて』
『ごめんなさい』
「……この態度の差はなんなのかしら」
耳についたそれをいたずら気に指先でコンコンと叩いてやると、やめてよやめてよと悲鳴が上がって思わず笑ってしまった。
随分と私も、得体のしれない者にほだされてしまったものだ。
『出来るだけのことを答えてあげたいんですが……』
「分かったらでいいわ、突然のことで私もまだ飲み込めていないの。また色々考えておくけど、貴女も別に私に害をなそうってわけじゃないんでしょ?少なくともクリアより私の邪魔はしなさそうだし」
『ひどくない?』
この世界の多くのエネルギーはエーテルと呼ばれているもので作られており、彼女もクリアもそれで出来ているという。
「あなた達は私に何を求めているの……?」
『―――どうか、どうか忘れないで』
エレンの見せてくれた暖かな灯をみて、クリアの声を聴いて、彼女の言葉を見てこの不思議な世界の力が決して夢のものでないと知る。
それは形を持ち、光を持ち、熱を持っている。
ぱちり、と音がすると部屋に明かりが灯る。
棚の中から、小さな灯の緋色がふわりと沢山舞い上がり、すり寄る様に柔らかく近づいてきた。
瞬く間に部屋中に広がる灯、外で聞こえていた鳥たちがひとりでに開いた窓の隙間から羽ばたいて、差し出した手のひらに乗ってくる。
『たとえ何があろうとも私たちは――私は貴女の幸せを願っている』
風が頬を撫でる、まるで頬を包む手のひらのように。
『困ったことが会ったらいつでも呼んでほしい。勿論、なんてことない時でも私は貴女に呼んでもらえるなら心から嬉しい』
「貴女の名前は?」
『迷惑でなければ……名前は貴女に付けてほしいのです。名付けられたクリアが羨ましかったのです』
まさか安直な考えで名づけをしたなんて、考えてもいないんだろう。
私だって彼女に安直な名前をつけることは出来ないから、瞼を閉じて思案する。どうせならいっそ、それらしいものが良い。
クリアの名前を思いついたとき、自然とかつての言語でつけていた。
「メーティス、はどうでしょうか」
『”メーティス”!』
『神話の女神なんて、意外とロマンチストなんだねぇ』
日本語で話しかけてくれたから、アマテラスなんて思ったりもしたけれど流石になんだかそれは違う感じがした。
詳しくは知らないけれど、光に包まれた出逢いの中で思いついたのがこれだった。
「メーティス、……メティ。メティと呼んでもいいですか」
『好きなように。それに、どうかその口調も私にはやめていただいて大丈夫です。どうかクリアのように親し気に話してもらいたいですわ』
名前を呼ぶと、思わずその可愛い声音が聞こえてきそうな喜びようだ。
名残惜しいですが、活動を始めた人たちがいるようですのでここまでですわと寂しそうな文字が浮かぶ。別に私のせいではないのだけど、申し訳ない気がする。
クリアのように、プレートに住み着くとかできないのだろうか。
『しても……いいんですの?』
「クリアだけよくて、メティだけだめっておかしいでしょ」
部屋にいるのは一人じゃないから、話しかけたりはあまり出来ないんだけれどというと邪魔をするつもりはないという。この辺本当にクリアと違って、気遣いが凄い。
画面にそっと、手を触れるとやっぱり不思議な温かさが指先から伝わってくる。
機械とは違うのだと、まるで生きているかのような存在。
「一緒にくる?」
『はい!』
こうして見えない同居人が、もう一人増えたのだった。




