初めまして
早朝、まだ誰もが休む静まった寮の中、私はルオンを起こさないようにゆっくりと起きて動き始めていた。
伸びた髪を鏡面の覗き込みながら、手櫛でゆっくり解きながら高く括る。
ゴムのような素材はないから、紐でくくるのだけれど大分慣れたものだ。随分と伸びたものだなとこの学校に来て洗剤の質も上がった分艶やかになったのに満足しながら、静かに部屋を出る。
日が昇ったばかりの眩しい中庭に小さな鳥が囀りながら、朝露と戯れていた。
ひやりとした空気を吸い込むと、胃の中一杯新鮮な空気でふくらんで目が冴える。
もみあげの部分の髪を下ろし、耳を隠してそっとそこにいるだろう彼に「聞こえる?」と尋ねると明瞭な返事が耳から聞こえてきた。
『おはよう、姉さん』
「おはようクリア、お待たせ」
耳の中にすっぽりと納まる小さなそれは、かつて使ったことのあるワイヤレスイヤホンに似た形状のもので先日届け物だと突然寮の職員に渡されたものだった。
誰からの、と思っていると届け主に書かれた名前はかつて自分が名付けた彼。
ルオンが大浴場に行っている間に彼に声を掛けると、まさしく自分が用意したものだという。
シンプルな木箱にクッション材として紙屑が詰まった中に、つるりとした銀色の豆のような形状のものだ。アクセサリーだと言われたら、そうとも見えなくない。
「こんなものを用意できるなんてどんな仕組みで成り立っているんだか」
『聞いてもわかんないと思うよ』
神だのなんだのあまりいうから、せめて別の呼び方に変えてくれと言い聞かせた結果が「姉さん」だった。
本人的には敬う立場からぶれたくないらしく、お母さん呼びをしようとしたのを必死に止めた結果がこれ。流石得体のしれないものからお母さんと呼ばれるのはくるものがある。
「姉さんって呼ぶようになってからなんか遠慮なくなったよね」
『これぐらいの強さがないと姉さんは話し聞いてくれないってわかったからね。あと、その分強引にいくと意外に割と素直に聞いてくれる』
それを送ったけれど、捨てなかったもんねと笑う声は本当に楽しそうだ。
もう不思議パワーで出来た不思議AIだと思うことにしたのだ。彼自身の悪意の有無はともかく、国と学校から支給された彼の存在を感じるプレートを割るわけにもいかず、けして私の生活を害そうとしてこなかったので良しとした。
「それで二人で朝から何を話したかったの?」
『皆に怒られてて。僕ばっかりが話して、他の皆が話せないのはずるいって』
「は?」
まっすぐ歩いて、と彼のナビするまま歩くと明らかに関係者以外のいない部屋に繋がる場所へとたどり着いた。
警備が掛かって鍵がかかっているだろう部屋の前で流石にストップをかける。
これはあかん。
「こらこら、どこに案内してるの」
『鍵は掛かってないよ、開けてある』
さぁ入って、とまるで彼が扉を開けてくれたかのように自然と扉は開いた。
まってと単語が出る前に、はと息が零れた。扉を開くと小さめの個室の中、授業などで使う道具などが片付けられており、その壁面に置かれたかつて聖女をみかけたものと同じ映像画面が電源の入った状態になっている。
声が出なかったのはその画面に映ったそれに驚いたからだ。
「うそ……」
説明は簡単だ。
なんてことない。
『初めまして』と、映った画面に声が出ない。
その文字はかつて私がいた世界の文字だ。
「はじめ、まして」
久しぶりに日本語で書かれた文字を見て、自然と口からこぼれた発音は日本語だった。
ずっと忘れていたとばかり思っていたのに、長年身についていたものに自分でなつかしさに胸にジワリと滲むものがある。
『どちらがいいですか?こちらの言語?かつての言語?』
「え、えっと……今ので」
画面に表示されたものはすぐに今使っている言語に切り替わった。
もう昔の言語で漢字を出されたら、読めない自信がある。それでも今の言語を完璧かと言われるとそうでもないのだけれど、こちらのレベルも把握されているようで内容はどれもシンプルなものだ。
「ずっと会いたかった?私に?」
『はい。ずっとクリアが羨ましかったんです、忙しい所を御呼び立てしてごめんなさい』
「い、いいえ!?」
なんか僕と話しているときと態度違うくない?と耳から聞こえる声は無視をした。
クリアの時とは明らかに違う態度の丁寧さを感じたから、なんだかこちらもかしこまってしまったのだ。
『私たち皆あなたに会いたくて、話したくてたまらなかった』
それは文字であらわされているのに、どこか暖かく優しい雰囲気で出迎えてくれた。




