手紙
その日、久しぶりに前の世界での記憶の夢を見た。
雨の降るある日幼い私は、雨が降る日に家に出れないことを母にクズり、夕飯の支度があるからと幼児アニメを見せてもらっていた。
なんてことないヒーローが、悪者からお姫様を助ける話。
そのお姫様は特別で、命のないものに語り掛け、こうなってほしいと願うとその通りに動くのだ。
砂は鳥に、風は音楽を奏で、水は飴になり、緑はドレスになった。
そんな特別な彼女を自分のものにしようとして、悪者が彼女をさらってしまう。
結局、確かいつも通りにヒーローが彼女を助けて終わったんだろうことは覚えているんだけれど、どんなふうに助けて、どんなエンディングだったか覚えていない。
だってこのアニメで印象に残っていたのは、彼女が声と心を吹き込んだものがまるで生きているかのように空に羽ばたいていった美しさだけだったから。
※※※※
学校に通い始めて早三十日程度たったころだろうか。
これまでの講義はオリエンテーションのようなものだったらしく、ここから言語の熟練具合やそのほかの習得の程度などでクラス分けをするらしい。
試験的なものもつい先日行われ、学校側での統括の時間が欲しいのか生徒たちは一度家に帰らされることとなった。
期間は十日。距離の兼ね合いで、ほんの数日だけしか実家に戻れない子もいたが、皆久方ぶりに家族に会えることに浮足立っていた。
「ユラ、支度できた?」
「うん。そっちはどう?」
「大丈夫、っていってもそもそも私たち持ってきたものなんてほとんどなかったしね」
「かといって荷物を部屋に置いていくのも怖いし、なるべく全て持ち帰ろう」
この学校にきて持ってきたものなんて、下着関係と寝巻など以外はほとんどが支給品。
タオルなどもふんだんに貸し出されており、学校外へ持ち出しは出来ないが、洗濯など自分でやれば好きなように扱っていいことになっている。
このあたり、多分各家庭での格差があることを分かっていたんだろう。
日本の学校教育で制服が統一されていたのも、私服だと格差がでてしまうがこうすれば黙っている限り下級中級辺りは見栄えではわからない。
上級の市民は流石に装飾品であったり、髪や肌の質などで明らかな差があるのだけれど。
休みの日にも着れるシンプルな布のワンピースは制服ほどの仕立てではなかったが、私たちのようなつぎはぎの目立つ服を普段馴染にしている人間は助かった。
おかげで明らかに下級から出てきましたとわかるような私服で校内や寮内を歩く羽目にならず、気を遣う羽目にならずに済んだのだ。
久しぶりにその、つぎはぎの愛着のある服に腕を通す。
肌触りは当然支給品の方が良いけれど、やっぱり気持ちが落ち着くのはこっちだな。
制服や支給された教材などを鞄に詰めて、持ち上げる。体力仕事が無くなった分、少し筋力が落ちた気がするから気を付けないと……。
校門の方には、ある程度のお金を出せる生徒たちが馬のような動物が車を引く台車で集まっていて帰り支度に騒がしい。
私たちは当然そんなお金もないので徒歩だけれど、休憩はさみながら今から出れば昼過ぎには充分つけるはずだ。
久しぶりに会える母さんと父さんは、変わりないだろうか。会えることを楽しみにしていてくれると良い。
「手紙とか出せたらいいのになぁ」
「”テガミ”って?」
「紙にね、気持ちとか書いて、送りたい相手にその紙を渡すの」
「紙なんて高価なものに気持ちなんて書いてどうするの?」
うーん、伝わらないこの気持ち。
環境というか、私たちの生活に紙は貴重品扱いになっていて、たまに触れたものもかなり書き心地もよくはないものばかり。紙がそれなら、インクだってそうなんだけれど。
クリアに支給されたプレートは講義などの情報が流れてくるのでネットワーク回線が繋がっているのかと聞いてみたけれど、それも学校側がエーテルに乗せてすべてのプレートに飛ばしているという説明だった。
ファンタジーな脳になって彼の説明をかみ砕いてみたら、テレポート的な、水晶を通して遠くの人と話すとかゲームであったじゃない……アニメだったかもしれないけれど、あれだと思えばなんとなく飲み込めた。
インターネットとかだって考えてみたら無線通信とか当たり前に発達していたんだから、その代わりのエネルギーだと考えれば。
脱線してしまったけれど、この世界にはそんな風に紙に思いを書いて届けるって文化がないので何か伝達するときには回覧板だったり、口頭での会話がベースなわけだ。
ちなみにそんなわけでラブレター的なものはないんだけれど、花とかは送って告白はするらしいから別に感情を伝えること自体がないわけでない。
実際にうちの母さんに父さんは自身が作ったカフスを渡して、結婚の申し込みをしたそうだ。肌に付ける装飾品を送るのはプロポーズで当たり前だという。ほほえましい。
さあ、そろそろ出ようかというときに部屋にノックの音が飛び込んだ。
出迎えると朝から支度でばたばたとしている寮母さんで、興奮した頬を隠しもせず私に届け物だと部屋に飛び込んでくる。
「聖女様のお付きの方が貴方に渡してほしいって。やだわぁ年甲斐もなく、あんないい男に話しかけられたのなんて初めてだから興奮しちゃった」
「は、はぁ……」
「なんで聖女様がユラに?」
割とざっくばらんとして、明るい寮母さんにはいつも気に掛けてもらっていたのだが、こんなに花が飛んでいる雰囲気なのは初めてだ。
しかし、ルオンよ私だってそんなことを言われてもわかるはずがない。
聖女のお付きといえば、思い当たるのはエンヴィーしかいないが何事だろうか。
「女子寮の中に騎士とはいえ入れるわけにいかないから貴女を呼んでくることを言ったんだけれど、呼び出したことを他の人に視られたら騒ぎになるからって」
「それで届け物だけを……?」
「ほとんどの生徒がもう出て行っていてよかったわぁ。女子寮に噂の騎士様がきていたなんて、そんなのそれだけで騒ぎだもの」
他の人に見つからないように慌てて持ってきたのよと差し出されたのは丁度両手で持てるほどの紙包み。
軽い重さのあるそれから、ふんわりと香るのは麦のような甘い匂い。
指先で包みを軽く剥がして、中にあるものに驚いて思わずため息を吐いた。
「サンドウィッチだ……」
「これが何か知ってるの?」
ルオンと寮母さんには伝わらなかった料理名。
ただ、間違いなくそれはかつてみたそれと相違ないものだった。
かつての頃と比べると柔らかさより硬さのあるパン生地に新鮮な野菜と、味のしっかりとついた肉が挟まっていてボリューム満点だ。
なるほど、これなら調味料の味の濃さが和らいで、食べ応えのありそうな美味しそうな料理になっている。
包み紙と一緒に、小さなカードが差し込まれていたので引き抜いた。
会話に不自由している様子はなかったが、この世界の言語にはまだ慣れていないのだろう。文字を書き慣れていない私たちより、少し拙い、けれど一生懸命綺麗に書こうとした文字が並んでいる。
『美味しいお茶をありがとう。とても美味しかったです』
この学校の初級で習う、お礼の文字。
シンプルで単調だけれど、送り主の感謝の気持ちが伝わってきた。
「ルオン、これが手紙だよ」
「へぇ」
カードを差し出して見せてみると、目をキラキラさせながら物珍しいものをみたルオンは嬉しそうにはにかむ。
「なんか、いいねこういうの。嬉しくてむずむずする」
「悪くないでしょ」
今朝見た夢を思い出す。
そういえばあのアニメのお姫様が閉じ込められた檻の中で作り出した不思議な紙の鳥は、その白い羽を羽ばたかせて、彼女の声を愛しい王子まで届けていた。
―――助けて、逢いたい、貴方が好きです。
―――でもどうか、私のことなど気にしないで。
お姫様の純粋な思いがあまりに綺麗で、小さな白い鳥は彼女の純潔な心を表しているようで胸の奥が苦しかったのだ。
伝えたい気持ちと本音の気持ち。届けられたのは捨て置いてほしいという言葉なのに、確かに王子には愛が伝わっていた。
「倍返し以上じゃん、困ったな」
でも、嬉しい。
文字以上の気持ちがそこにはある。
こんなことされちゃったら、気になっちゃうじゃない。流石聖女様。
道中、休憩時にお昼ごはんとしてルオンと分け合って食べたそれは当然、当たり前にすごくすごくおいしかったのだった。