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婚約破棄された書記官令嬢は、沈黙図書館で辺境を立て直す  作者: 小竹X


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006 閉ざされた図書館の閲覧権

 沈黙図書館の扉には、閲覧停止の札が二枚ぶら下がっていた。


 総務棟の裏坂を上りきると、河港の湿った風が急に細くなる。石造りの外壁は雪をはね返すみたいに白く、窓はひとつも低い位置にない。人が読む場所というより、文書を閉じ込める箱だった。


 私は文書箱を抱え直した。中には昨夜の訂正控えと、今朝つけた越冬荷役未精算分の別帳が入っている。荷役頭たちの名が、乾ききらない墨で並んでいた。


 扉脇の机にいた番吏が、私の足音で顔を上げた。


「閲覧は停止中です。本日の保管架点検が終わるまで、申請も受けません」


「河港越冬荷受け規定の原本照合が必要です。第三保管架、河港誓約群」


 番吏の目が、私の箱より先に外套の徽章を見た。北辺の紋章ではない。王宮会計局あがりの余所者だと、それだけでわかる。


「臨時赴任者に第三保管架は出せません。領主裁可と保管官副署が要ります」


 机の上には申請用紙が重ねてあり、いちばん上の一枚だけ端が不自然に新しかった。私は許しを待たずに手に取った。


 沈黙図書館閲覧請求票。

 氏名、所属、閲覧目的、対象文書、責任者署名。

 そこまで読んだところで、《契約読解》の糸が紙の下で引っかかった。本来あるべき繊維の流れが、一段ぶつ切りになっている。


「現場保全理由欄がありませんね」


 番吏が眉を寄せる。


「今の様式には不要です」


「不要ではありません」


 私は机の端に立てかけられていた木札へ視線を移した。閲覧規程抄録、と彫られている。古い墨が木目へ沈み込み、いくつかの条だけが毎日なぞられるせいで艶を持っていた。


 保管文書のうち、冬季補給、関税、結界維持に関わる誓約は、現場の履行に破れが生じた場合、当日中の照合請求を妨げてはならない。


 私はその一文を指でなぞった。


「ここにあるでしょう。履行に破れが生じた場合」


「それは旧規程です」


「なら改定番号を見せてください」


 番吏は返事のかわりに、後ろの棚から別の綴りを抜いた。新しい羊皮紙の命令綴りだ。差し出された一頁には、保管架点検日には閲覧を制限できるとある。けれど急迫条項を無効にする文言はない。止められているのは手続きの順番だけで、照合請求そのものではなかった。


「現場で破れが出ています」


 私は文書箱を開き、別帳を出した。


「昨夜から今朝にかけて、越冬荷役未精算分を名前つきで記録しました。外灯と温食を削った命令紙のせいで、規定どおりの仮下ろしが回っていません。原本照合を急がない理由は何ですか」


 番吏は別帳を見て、そこで初めて口を閉じた。


 荷役頭の名。若い荷役番の名。炊き出し小屋へ回した温食六十食の控え。未精算の欄へ線が引かれたまま残っている。


「急ぐかどうかを決めるのは、こちらではありません」


 番吏は声を落として言った。

「第三保管架の河港誓約群は、領主裁可案件です。王都から監査名目で覗かれて以来、出し方が変わりました」


 監査名目。その言葉が、船で見た枝番の削り方と同じ乾いた手つきで耳に残る。


「では、請求は受けるべきです」


「だから停止中だと」


「停止中でも、拒否した記録は残せます」


 私は木札の下段を指した。閲覧不能の場合、理由を付して請求簿に記すこと。細い字で彫られたその一文は、誰にも歓迎されていないせいか、表面の埃が厚かった。


「書いてください。請求者名、対象文書、拒否理由、必要裁可」


 番吏の喉が動く。面倒な来訪者を見る顔だったが、木札を無視はできないらしい。やがて彼は机の引き出しから、薄い青表紙の請求簿を出した。


 私は自分で欄を埋めた。

 請求者、エリノア・ヴェイル。

 対象文書、第三保管架河港誓約群甲七 越冬荷受け規定原本。

 照合理由、越冬荷役未精算発生および夜間仮下ろし履行破れ確認のため。


 番吏は最後の欄で筆を止めた。


「必要裁可は」


「領主裁可、保管官副署」


「それだけですか」


 彼は私を見た。私は請求票の新しい紙へもう一度触れた。切り落とされた繊維の先に、まだ薄く残っている文言の癖がある。


「対象文書索引の閲覧も必要です。関連綴りを確認したい」


「索引まで?」


「原本だけでは、どこで義務が切られたか追えません」


 番吏は嫌そうに息を吐いたが、請求簿の余白に小さく追記した。そのまま立ち上がり、扉の脇の小窓を開けて奥へ声を投げる。しばらくして、灰色の手袋をした女が帳函を抱えて現れた。扉は開かない。小窓越しに、索引台帳だけがこちらへ渡される。


「保管架には入れません。索引はここで」


 頁をめくると、紙と糊の乾いた匂いが立った。第三保管架、河港誓約群、甲七。越冬荷受け規定原本。関連綴り、中央倉夜間開扉補則。炊き出し小屋薪炭負担覚書。冬季外灯保守契約。


 私は一つずつ目で追った。


 中央倉の鍵。外灯。薪。鍋。

 河港で削られていたものが、別々の節約ではなく、ひとまとまりの誓約群としてここへ綴じられている。


「……だから鍵も止まっているのね」


 声が、思ったより低く出た。


 正式受領帳も中央倉の鍵も領主裁可待ちで、図書館の原本照合も同じだった。止まっているのは仕事ではなく、証拠へ触る手順そのものだった。


 番吏は私の独り言を拾わなかったふりで、請求簿を閉じた。


「控えを渡します。上まで持っていくなら、その形で」


 差し出された拒否記録の控えには、朱で二つの語が並んでいる。

 閲覧不能。

 理由、領主裁可欠。


 欠、の字だけが妙に太かった。


 私は控えと索引の写しを重ねて文書箱へ戻した。


「領主はどこに」


「今朝は中央棟の査閲室です」


 番吏はそこで少し迷い、付け足した。


「署名欄が空いた願書を持っていけば、あの方はもっと機嫌を悪くします」


 私は請求票を裏返した。責任者署名欄の下には、追加説明の余白がまだ残っている。荷役未精算分の別帳、炊き出し小屋の控え、関連綴りの索引番号。埋めるべき欄は見えていた。


 河港からまた、樽を転がす鈍い音が届く。


 あの音が止まる前に、署名を取りに行く。

 私は坂を下りず、中央棟へ続く渡り廊下へ足を向けた。

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