050 ローデリクは対等な席を空けて待つ
王都慰撫会帳場から戻った返戻紙には、副署を置く欄だけが無かった。
朝の中央棟会計卓で、ミラが乾いた紙を私の前へ滑らせた。昨夜こちらから出した副署追完請求に対する返しらしい。表には、南橋東二番粉挽所白粉八、糠二、王都外三宿共同釜昼椀四十七とだけ並び、端へ「王都慰撫会帳場確認済」の赤が押されている。けれど昨日こちらが起こした控えにあったはずの、留保相当、糠戻し先、帳場副署の縦一列だけが見当たらない。
私は紙の左端を指で撫でた。繊維がまっすぐではない。綴じ穴に近いところだけ、刃を入れたように薄い。
「忘れた紙じゃないわね」
ミラが言った。
「副署を書かずに済ませたことへしたい紙」
私は西第四閲覧室から取った施穀粉挽留保本紙の写しを横へ置いた。末尾の一行を開く。
王都慰撫会帳場副署は後刻これを追うべし。未副署を理由に、現地施穀を止むべからず。
「止められないと知っているから、欄ごと削ったんです」
私が言うと、会計卓の向こうでローデリクが返戻紙を持ち上げた。
「なら、止めないまま書かせる」
彼はそれだけ言って立ち上がった。中央棟奥の長机へ行け、と短く残す。河港板と図書館の写しと今朝の返戻紙を抱えて部屋へ入ると、客用の丸卓ではなく、決裁札の並ぶ長机に灯りが三つ置かれていた。領主印の左にローデリク、右に空席、その隣にミラの硯。空いている席の前には、小さな札が一枚だけある。
臨時照合係。
私は立ったまま札を見た。
「これは」
「その席は空けてある」
ローデリクが領主印の隣を指した。
「河港板と原本控えを同じ卓で決める。お前が向かい側だと遅い」
椅子の肘木へ置いた指が一度だけ止まった。けれど机の上では、もう待たせている紙が三枚ある。私は札の前へ座り、本紙写しと返戻紙を並べた。
「新しい控えを起こします」
私は罫を引く。
「粉挽所。共同釜。受取人名。量り返し。糠戻し先。留保相当。帳場副署」
「最初から全部書かせるのね」
ミラが硯へ水を落とした。
「ええ。空けた一列だけ差し戻される形を、向こうに真似させません」
ローデリクは河港から上がってきた量り返し板を読み、袋数だけ先に入れた。
「今朝分の直送は続ける。原本どおりだ」
「その代わり」
私は返戻紙の削ぎ落とされた端へ爪を置く。
「次便からは、帳場副署か、副署を拒む名を書いてもらいます」
ミラが見出しを書く。
王都慰撫会帳場副署追完督促 兼 直送継続控え。
その下へ、私は西第四閲覧室控え番号と原本末尾の文言を短く写した。東二番粉挽所裏入継続。王都外三宿共同釜先記継続。未副署理由停止不可。帳場側留保相当後刻追完。
頭取が呼ばれて部屋へ入ってきたとき、机の上にはもう走りへ渡す三通が出来ていた。河港掲示板控え、東二番粉挽所控え、王都慰撫会帳場差戻し控え。頭取は「未副署理由停止不可」の行を読んで口の端を上げる。
「広場の喇叭より、よほど腹に入る文句だ」
「板にも出します」
私は言った。
「今朝分は原本付きで通す。追加分は、空欄の名ごと返します」
昼を少し回って、最初に戻ったのは王都の使者ではなく、東二番粉挽所の若い者だった。白粉の付いた木札と、新しい薄紙を差し出す。薄紙の表題は粗いが、今朝こちらが送った見出しをそのまま写している。帳場副署欄には、王都慰撫会帳場副署代行。留保相当二枚半。糠戻し先、北路飼葉倉二。共同釜側の欄には、昼椀四十七、豆合わせ半枚、夕刻追完。
私は紙の端を押さえた。今度は切られていない。繊維の上を、急いだ筆がまっすぐ走っている。
「代行でも、空けたままでは返せなかった」
ミラが薄紙を覗き込む。
「向こうの机に、ちゃんと手を置かせたわね」
ローデリクは返ってきた副署控えへ目を落とし、領主印の脇で新しい袋数板を引き寄せた。
「明日分を詰める。東二番は」
「小麦十五まで増やせます。糠戻し先が埋まったので、飼葉倉へ二袋ぶん回せる」
私は自分の前の紙へ数字を書く。
「三宿共同釜は挽割麦十。昼椀の返りが四十七で止まらなければ、夕刻分も追えます」
頭取がそれを聞いて頷き、外で待たせていた荷車番へ声を飛ばした。ミラは横から量り返しの控え番号を足し、ローデリクは私の引いた罫の一番下へ受取責任の名を書いた。領主印の隣の硯は、まだ少しだけ湿っている。私はそのまま同じ卓で次の行を引き、東二番裏入十五、王都外三宿共同釜十と書き足した。
肘が触れないぎりぎりの幅だけ空けた席で、明日ぶんの仕事がもう始まっていた。




