046 王国じゅうの小麦が足りない
白峠南見台から戻った停止札の控えには、止め置いた穀袋荷車二台とあるのに、受取人名が無かった。
夜明けの中央棟で、私は炊き出し小屋から借りてきた朝板の横へ、白峠、霜尾渡し、東谷関から届いた三枚の控えを並べた。北砦で止めた灰綴十七添の控えと同じ灰色の粉が、どの紙端にも薄く付いている。
白峠 小麦粉袋十六、挽割麦八。
霜尾渡し 小麦粉袋十二、種麦六。
東谷関 小麦粉袋十八、挽割麦四。
どの札も上段には雪解前先行とあり、下段には渡先、量り返し、税留保、欠支弁引受の欄だけが空いていた。
「夜見灯を削ってまで通したい荷が、みんな粉袋」
ミラが三枚を指先でずらした。
「しかも受ける先の名だけ無い。嫌な朝ね」
私は白峠の札へ触れた。表の墨は新しいのに、繊維の奥へもうひとつ硬い筆圧が沈んでいる。削ったあとのざらつきが、指先へ引っかかった。
「王都向、です」
「書いてあったの」
「いえ、削っています」
ローデリクが外套の前を閉じたまま卓の端へ寄った。
「北の三か所ともか」
私は頷き、霜尾と東谷の札も重ねた。どれも同じ場所が薄く削られ、同じ長さの欠けが残っている。王都向。その二字だけ消せば、途中の継馬所も渡し守も、自分の椀が減る荷だと気づきにくい。
そこへ、北辺商人ギルドの頭取が息を白くして入ってきた。抱えていたのは荷ではなく、板切れ三枚だった。坂下、南橋、王都外三宿。夜明け前の相場控えだ。
「今朝の小麦袋です」
彼は板を卓へ立てた。
「坂下で昨夜の一枚三分が二枚。南橋は粉挽き屋が袋ごと抱え込んで、現物を出しません。王都外三宿は、豆まで上がり始めた」
ミラが舌打ちした。
「隠し切れなくなったわね」
私は炊き出し小屋の朝板を引き寄せた。病室の粥五。外門の豆鍋三。第一継馬所の昼返し二。南厩の温桶一。小さな木札が九枚、今朝の火にぶら下がっている。
その横へ白峠の十六袋を書き足すと、板の余白がすぐ無くなった。霜尾と東谷を足す前に、炊き出し番の木札箱の高さを追い越す。
「北辺の朝鍋に入れる量ではありません」
私は言った。
「病室も外門も継馬所も、これだけを一度に要りません。必要なのは、もっと先です。毎朝粉を挽いて、値上がりを隠したい町です」
頭取が鼻で息を鳴らした。
「昨夜から、南へ下る商人にだけ別札を見せる役人がいるそうです。相場より先に袋を押さえて、札だけ後から付ける」
「その札が夜見繰下げの先だった」
ミラが灰の付いた控えを弾く。
「灯を落としてまで通したいわけだ」
ローデリクは三枚の停止控えをひとつに揃えた。
「止めた荷はどうする」
私は第六函目録の不足時条項を書き抜いた控えを思い出した。受取人名、単価、春季相殺先。そこが埋まらない荷は、飢えの顔をしていてもただの名無しだ。
「北路へ入る穀袋は、今日から全部、近在商人仮受の書式へ縛ります」
私は新しい紙を引いた。
「受取人名、中値単価、量り返し、春季相殺先。四つ揃わない袋は、王都向でも救援名義でも通しません」
「地元の商人は怯むぞ」
頭取が言う。
「相場が走り始めた」
「怯ませないために、仮受にします」
私は板の空きへ書いた。
「昼までの持込は今日の中値で受ける。病室、外門、継馬所、炊き出し小屋の引当先を先に出す。待たせた損は別紙、整理口へ落とさない」
ローデリクが私の紙を読み終え、末尾へ自分の名を書いた。領主印ではない。受取責任者。今朝の鍋と今夜の道を、同じ紙で負う名だった。
「河港掲示板へ出す」
彼は頭取を見た。
「お前の連中も呼べ。隠して高く売った袋より、名を付けて今朝回した袋のほうが先に払う」
「……それなら動く」
頭取は板を抱え直した。
中央棟の外へ出ると、河港掲示板の前にはもう人が集まり始めていた。荷役夫、炊き出し番、病室付きの少年、継馬所の馬丁。頭取が炭を取り、小麦の行へ新しい値を書き込む。昨日の数字を消す前に、後ろの誰かが息を呑んだ。
私の隣で、ミラが小さく言った。
「王都だけじゃない。これ、王国じゅうの小麦が足りないわ」
返事の代わりに、私は掲示板の最下段へもう一行足した。
近在商人仮受。
受取人名先記。
昼刻まで。




