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婚約破棄された書記官令嬢は、沈黙図書館で辺境を立て直す  作者: 小竹X


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012 会計官ミラは紙の嘘を見逃さない

 王都へ送ったことになっているのに、受領印の欄だけ白いままだった。


 会計部保管庫の隣室は、帳面を読むためだけに作られたような狭い部屋だった。窓際に細長い机が一本、壁に残高箱、その下に封蝋壺。ミラ・フェンは外套も脱がず、三つの綴りを机へ並べた。


「北便の納付控え。王都送達綴り。港湾整理口日残帳」


 乾いた声だった。


「昨夜見つけた二割を、本当に止めたいなら、この三つを同じ机で読んでください。どれか一つでも抜けば、向こうは『発送済みです』で逃げます」


 ローデリクは扉の脇へ下がったまま腕を組む。座れとも急げとも言わない。その代わり、椅子は二脚だけ机に寄せられていた。ひとつは、さっきまでミラが使っていた位置だ。


 私は手袋を外し、王都送達綴りから開いた。上紙の件名はどれも似ている。冬季留保相当額送達控。北便第二船、第三船、雪解け前最終便。金額は乙二と第九箱で見た二割と一致していた。


「そちらからですか」


「口を移すなら、ここです」


 私は一枚目の末尾を指で押さえた。発送担当印。封緘確認印。けれど、受領印の欄が空白のままだ。代わりに右上へ細い追記がある。


 王都整理勘定宛。到着後受領印返送。


 返送予定の紙なら、綴りの中で終わってはいけない。指先へ《契約読解》の細いざらつきが立った。約束が閉じていない書き方だ。私は綴り紐を少し緩め、後ろから数えて三枚目のあいだに薄い桃色紙が挟まっているのを見つけた。


 受領不達。


 墨が薄い。しかも表ではなく裏向きに差し込まれている。


「戻っています」


 私が紙を抜くと、ミラの視線がようやく上がった。


「理由は」


「王都側受領印が無いから、では半分です」

 私は桃色紙を表へ返した。

「送達綴りの中に、不達札を裏向きで挟んでいる。終わっていない紙を、終わった束の顔で眠らせています」


 桃色紙の端に、小さな受取所印があった。王都中央仕訳庫、冬季閉鎖便。

 閉鎖便。受け取っていないのに、港湾整理口日残帳では同日のうちに残高が減っているはずだ。


 私は日残帳を開いた。数字はすぐ見つかった。北便第三船、留保相当二銀五十二銅、送達済みとして控除。次頁にも同じ癖がある。北便第四船、二銀五十六銅、控除。雪解け前最終便、一銀九十銅、控除。


「ミラ会計官。この控除、早すぎます」


「どこまで言えますか」


「発送ではなく受領で落とすべき残高です」

 私は日残帳と桃色紙を並べた。

「不達札が返っている以上、この金は王都へ渡っていません。港湾整理口の外へ出た顔をしているだけです。なら、帳面上もまだ預りです」


 ミラは返事をせず、別の束をこちらへ寄せた。北便納付控え。船ごとの入津税総額、その欄外に細字の留保相当。私は二枚続けて見て、三枚目で手を止める。


「これだけ、留保相当の字が後からです」


「なぜ」


「納付控えの本文と墨が違います。しかも金額が先にあって、文言が狭い場所へ押し込まれている」

 私は紙の縁へ爪をかけた。

「本来は最初から留保欄が要る処理を、総額納付のあとで『留保相当』と書き添えている。二割の存在は消せないが、戻し先だけ曖昧にしたい時の書き方です」


 ローデリクの靴音が一度だけ鳴った。彼は机へ近づき、私の指先の先を見る。


「消せないなら、次の船から戻せるか」


「戻せます。ただし、送達済み控除を今日で止めること」


 ミラはそこで初めて椅子へ座った。椅子が軋み、細い鉄筆が彼女の指に収まる。


「言い切りましたね」


「受領印が出るまで、言い切れます」


 彼女は新しい指示票を引き寄せた。見出しを書き、途中で止める。


「文言を」


 試す口調ではなかった。私は票面を受け取り、呼吸を一つ整えた。


「王都側受領印または整理令による正式移管裁可番号が示されるまで、港湾整理口より外部振替を停止」


 そこまで書いてから、続ける。


「北便入津税の留保相当額は、河港越冬支弁照合完了まで保管領内係属」


 ミラが無言で票面を受け取り、続きを継いだ。会計官副署。北辺特別保管領会計部。筆圧が深い。逃がさない字だった。


「領主署名を」


 ローデリクはすぐに受け取り、ためらいなく名を書く。昨日まで図書館の請求票に入っていた名が、今日は現行会計の停止票へ入った。


「次の船から、この二割は河港の灯りに戻る」


「ええ」

 私は頷いた。

「少なくとも、王都へ届いたふりの紙にはもう流れません」


 ミラは乾いた砂を票面へ落とし、余分を払った。その手つきは雑ではないのに速い。


「お嬢様呼びはやめます、ヴェイル書記官」


 そう言って、彼女は残高箱の下からもう一枚の帳票を抜いた。雪期搬入許可証。外門印、河港印、倉庫印。三つのうち、真ん中だけが旧式だった。


「金は止めました。でも荷車はまだ外門で止まる」


 彼女はその一枚を机の中央へ滑らせる。


「雪の日に古い許可証を出されると、門番は倉庫印の位置が違うと言って荷を開けさせるんです。灯りを戻しても、これでは夜明け前の仮下ろしが詰まる」


 紙の角が、私の控えへ軽く触れた。


「明日はそちらを見ましょう」


 私は許可証を取り上げた。印の位置が違うだけではない。旧式の罫線は、荷受け人名を書く欄を半分だけ削っている。誰が受ける荷かを薄くし、止める理由だけを増やす作りだ。


 紙の嘘は、一枚で金を逃がし、一枚で荷車を止める。

 けれど今、机の上には止め返すための署名が三つ揃っていた。

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