風雲!関ヶ原の戦い!⑩石田三成の大博打
◇◇
石田三成は想定外の戦況に、成すべきことを見定められないでいた。
彼は彼自身で考えた通りに事が進まない場合、すぐさま次の行動を「直感」で起こす事が苦手であった。
そういった事態に接した時、彼は全て再び計算をしなおし、再び計画を練り直すのだ。
その判断力の遅さは戦場においては致命的となる。
現に彼はこの性分によって、過去に攻めあぐねた城もあったくらいだ。
そんな彼に、まだ霧が晴れる前だというのに、早くも二つの誤算がふってわいたように突如として知らされ、彼の頭の中はまるで棒きれでかき混ぜられたかのように、ぐちゃぐちゃに混乱してしまった。
その二つの誤算とは、言わずもがな、霧が晴れる前に戦の始まりを告げる法螺が吹かれたことと、その直後に小早川秀秋が寝返って大谷勢を攻撃し始めたことである。
しかし彼は混乱に身を委ね続け、考えることを拒絶してしまうような暗愚な将ではない。
突然の暴風雨に態勢を大きく崩されながらも、何とか持ちこたえて顔を上げるかのごとく、彼は混乱の最中に、まずは家康の思惑から整理することにした。
そこからその意表を突くために自分がなすべきことを導こうと考えたのである。
そんな風に考えを巡らそうとすると、やはり最初に浮かんでくるのは、一つの疑問だ。
それは、
「なぜ家康は攻め急いだのだ?」
というものであった。
今までの家康は慎重すぎると思われても仕方のないほどに、じっくりとこの関ケ原の舞台に降り立ってきた。上杉討伐が三成を引き出すための罠だとしたなら、約四ヶ月もここまで時間をかけている。
それがこのわずか半刻にも満たないであろう時間までをも惜しんだのはなぜだ…
「和睦を恐れたか…」
それしか彼には思い当たる節がなかった。
家康の情報網があれば、毛利輝元と豊臣秀頼が和睦に向けて動き出したことをつかんでいてもおかしくはない。
自分のところにその使者がきてしまえば、この戦を続行することは天下の意に反し、その時点より家康は天下を揺るがす大罪人の烙印が押されることになる。
もっとも三成に言わせれば、家康は今の時点においても大罪人というに値するような罪をいくつも重ねているのだが…
何はともあれ家康が和睦を恐れていたとするならば、この「攻め急ぎ」は腑に落ちる。
そしてこれが示す一つの事実は「家康に決着がつく前に和睦の意志は全くない」ということだ。
もちろん三成としても最初からそのつもりでいたのだが、相手も同じ意志であるということが分かると、あらためて身震いしてしまう。
「もう後には引けない…」
心のどこかで引っかかっていた何かが完全に彼を離れて、遠くはるかかなたに飛んでいったのを確認すると、あらためて家康という壁の巨大さに足がすくむ思いだ。
「義はこちらにある。俺は負けるわけにはいかないのだ」
そう言葉に出す事で、彼は自身を奮い立たせるのだった。
さて、ここまでで彼が整理できた推測としては、家康が三成と決着をつけたがっていることと、和睦を恐れるあまりに攻め急いだという点だ。
次に忘れてはならない事が、小早川秀秋の寝返りである。
関ヶ原中央で接戦を演じているうちに、家康本陣を包むようにして小早川と毛利の大軍が攻め込むという手立てはこれで使えなくなった。
家康の本陣の背後にある南宮山の方でどのような動きがなされているかを想定するのは難しい。しかし、事前の吉川広家や毛利秀元の様子からうかがうに、積極的に彼らが参戦してくるようには思えなかった。
「左右の翼はもはや使えぬ。あとは自分たちだけで何とかするしかないのか…」
そう呟いたとき、ふと一つの作戦が彼の頭の中に芽を出す。
しかしその作戦は一か八かの大きな賭けともいえる危険なもので、元来賭けごとが嫌いな彼には選択しづらいものであった。
しかし一度芽吹いたその考えはみるみるうちにそのつたを伸ばし、三成の心をがんじがらめにして覆い尽くしていく。
それはまるで「もうお前にはこの選択しかないのだ」と剣を喉もとにつきつけられているようにも思えた。
その作戦とは、現在の地の利を捨てて全軍をもって徳川本陣に向けて突撃をする、というものだ。
霧の深いうちに笹尾山に味方を全員を集めて、敵を引きつけ、頃合いを見計らって、一気に逆落としをする。
一点に戦力を集中させることで、それを突破力に変え、一気に家康本陣を抜く…
守ることなど全く考えない、攻撃と勢いに特化した作戦であった。
しかし彼にはその作戦において懸念がある。
それは仲間を全員「死」へと追いやることにつながるかもしれない、というものだ。
今は各将に思い思いの地で戦うようにしている為、万が一の際は逃げのびる選択も与えていたのである。
もしこの作戦を取ればそれは叶わない…つまり彼らの死に場所を三成が決めることになるのだ。
その重責が彼の肩にのしかかってきて、彼の決断を鈍らせた。
「殿…もし殿ならどうなされますか?」
三成は未だに霧であたりが覆い尽くされている地表から、空に視線を移す。
空は既に高く、朝日は眩しい。
彼は亡き太閤秀吉を想ってそんな空を見つめた。
迷いなど一切ないほどの青い空。輝く太陽は彼には眩しすぎるくらいに辺りを明るく照らしている。
中国の大返し、天王山の一戦、賤ヶ岳の戦い…
秀吉や加藤清正、福島正則といった「兄弟たち」と戦場を駆け廻った頃が、今でも鮮明に思い出される。
「あの頃は夢中だったな…」
冗談を言い合い、一緒に怒られ、そして共に笑ったあの日々…
この大一番の最中において、彼はありし日のことを懐かしく思い返し、口元に笑みを浮かべていた。
あの頃は自分のことに必死で、秀吉の立場のことなど考えたこともなかった。
しかし今は違う。
徳川家康という当代きっての大大名相手に戦をしているのだ。
この時初めて秀吉の苦労を知った気がして、彼をさらに身近に感じ、その偉大さをあらためて実感していた。
そして同時に大将として決断を下す恐怖が彼の全身を締め付けてくる。
自分だけではない。自分についてきてくれた仲間の「死」を決定的にする決断をしなくてはならないのだ。
「殿…佐吉は恐ろしゅうございます」
亡き主君の秀吉にも見せた事がないような弱気な表情を浮かべて、漏らした声。
彼は生まれて初めて、自分の弱さに素直になった。
そしてその時、彼の中で一つの「重し」が外れた音がした。
ふっと軽くなる心に彼は最初戸惑ったが、なぜか秀吉に初めて褒められた時と同じような喜びが彼の心をくすぐった。
「男もおなごも素直な奴の方が可愛いに決まっておろう。佐吉ももう少し素直にならんと、誰もお主を可愛く思ってくれないぞ」
と小言を秀吉から言われたことを思い起こす。
「素直になるか…」
彼は今まで自分を殺して、彼に与えられてきた任務に全力で取り組んできた。
自分の感情に素直すぎる清正や正則のことを馬鹿にしたことがあるくらいに、「素直になること」を悪としてきた。
しかし、この極限とも言える最中、今彼は初めて自分の気持ちに「素直」に向き合う。
そしてむき出しの彼は自問を始めた。
「負けるのは嫌だ。何が何でも勝ちたい。それだけだ」
…であれば何をすべきか。
「最後の手段に出るしかあるまい」
…多くの仲間が死ぬ事になるかもしれない。
「それでも勝ちたいのだ!!俺は勝ちたい!勝ちたい!勝ちたい!!」
今までかたくなに抑えつけてきた感情が、素直に向き合うことで堰を切ったかのように一気に溢れてくると、叫び声となって彼の口から流れ出てきた。
そこにあるのはただ一つ。
勝利への欲求のみ。
彼は素直になることでようやく決意が固まった。
このまま指を加えて敗北を待つなど、まっぴらごめんだ。
多少の犠牲は出るかもしれない。しかしそれ以上になんとしても家康に一泡ふかせてやりたい。そうでなければ死んでも死にきれぬ。
彼は心に絡みついていているその作戦を実行することを、決意した。
腹が決まれば行動に移すのは早いのは彼の良い癖である。
早速、彼は伝令を3人呼びつけると、今の彼の感情を素直に吐露し、彼の言う通りに速やかに行軍を行うように伝令に言い渡した。
その伝令の相手は、主力とも言える小西行長、宇喜多秀家、島左近の3人で、彼らの軍勢をとある場所へと移動するように指示をしたのだ。
もちろん先ほどの彼の想いを添えて。
そして彼自身はもう一人のこの作戦における重要な役割を担う将の陣所に向かう為、馬にまたがったのも束の間、すぐにその方向へと駆けていく。
「霧が晴れる前が勝負どころ!みな、頼む!」
と、彼は祈るようにして目的の場所へと急ぐのであった。
彼の決意とこの行動が、関ヶ原の戦いの本流を、史実とは大きくそらすことになることなど、彼は知るよしもないのである。
霧が晴れるまであと1時間。石田三成の大博打がいよいよ始まった。
いよいよ三成が動き出しました。
次は彼の向かった先の人物の話になります。




