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風雲!関ヶ原の戦い!⑧もぐらが地表を出る時

◇◇

明石全登(あかしぜんとう)にとって、花房職秀(はなふさもとひで)という男は憧れの的であった。


職秀は、元の宇喜多家当主であった宇喜多直家はもとより、家老たちからも信頼が厚かったのは、一癖ある家臣たちが多い宇喜多家の中で、竹を割ったような裏表のない実直な性格によるところもあったかもしれない。

しかし何よりも戦場での相手の肝を抜くほどの派手ないでたちと、その姿に負けない武勇があったからだ。


何をしても「派手」で目立つ。


そんな彼の周囲には常に多くの人がおり、彼はその取り巻きを、気の利いた冗談でいつも笑顔にしていた。

宇喜多家に奉公した頃から、全登にとっては眩しすぎる存在であり、いつか彼と並んで戦場でも活躍する自分を夢見て、兵学の勉強に精を出していたのであった。


しかしその夢はついに叶うことはなかった。


当主が秀家に代わると、先代からの一部の家老たちと秀家が何かとぶつかるようになったのだ。


秀家は国のことを我が物顔で取り仕切る古くからの家老たちを面白くは思っていない一方で、国を顧みずに豊臣秀吉の天下統一にばかりに力を注ぐ当主秀家に対して、家老たちは不満を募らせていたのだ。

それらの互いに対する不満が秀吉亡き後に爆発し、とうとうお家騒動に発展したのである。

宇喜多家は二つに割れ、一癖ありながらも優秀だった多くの家臣たちは、宇喜多を離れ徳川の方へと流れていくことになった。


そのうちの一人に職秀は含まれていた。


そしてその騒動のまとめ役として抜擢されたのが、全登である。


彼はもとより日の目を浴びるような功績を残した覚えなどなかったのだが、その存在感の薄さが、世の中に知られることなく家の騒動を始末する役目としては適切だと当主の秀家が思いきって抜擢したのであった。


その全登が徳川方と調整して、職秀らを国から追放する手はずを整えていったのである。

当然、全登は職秀を含む宇喜多の古くからの家臣たちから反感をくうことになり、職秀もそれに漏れることなく、全登に対してよくない感情を抱くようになったのだ。

そして職秀がいよいよ国を去る時、形式的に見送りにきた全登に対して、


「もぐらが地表に出てきたところで何が出来る?」


と、いつも陰でひっそりとしていた全登の事を「もぐら」に例えて皮肉をこめて吐き捨てるように言った。


全登は何も言い返せなかった。


そんな彼を職秀は見下したように睨みつけると、すぐに馬上の人となって彼のもとから去っていったのである。


「もぐら…か…」


ずっと憧れてきた男から浴びせられた痛烈な比喩にも、彼は不思議と憤りは感じることなどなく、むしろその言葉から何かを見出したように、


「ありがたきお言葉…」


と、深々と頭を下げたのであった。


その後全登は宇喜多家の家臣団の混乱と、貧困にあえいでいた財政を、驚くべき手腕で立て直していく。

彼が取った手法は、宇喜多家という大きな畑において、成長の苗の根を巣食う「害虫」をことごとく「駆除」していったのである。

その働きはまさに「もぐら」と称されるにふさわしいものであった。


もはや残った宇喜多家の家臣の中で全登の実力を疑うものなど、誰一人いなくなった。

彼を忌み嫌う陰口は、いつしか称賛と畏怖に変わっていく。しかし、彼にとってそれはあまり意味のないものだったかもしれない。

なぜなら彼の原動力となっていたものは、こんな自分を取り立てて重用してくれている主君秀家への忠義と、今でも色あせぬ職秀への憧れであったのだったからだ。


憧れの職秀に認められたい…


一見、幼すぎると揶揄されそうな承認欲求こそが、彼の政治と軍事の手腕と変わっていき、わずか1年足らずのうちに、彼は宇喜多家内で周囲が驚くほどの働きを見せたのである。


「月の明るさに憧れる亀のようだな…俺は」


遠く常陸の国にいる職秀に自分の働きが届いているだろうか…

「宇喜多家の為によくやった」と褒めてくれるだろうか…


そんな事を毎晩考えながら、軒下で月を見上げる毎日を過ごしていたのだった。



その憧れの彼が、自分と同じ戦場にいる。

そして事もあろうことか、敵味方に分かれているのだ。


全登の心はかつてない程に震えていた。


こんな機会は、自分の人生の中ではもう二度と訪れまい。この一戦で必ず自分のことを認めさせてやる、そんな稚拙で身勝手とも言える強い思いを持って、彼は職秀を待ち受ける。

その職秀は何やら福島正則と会話を交わし、今後の作戦を練っているようだ。

全登も全登で迎撃する為の準備を確認していくのであった。


全登は自身が率いる約8,000の兵を大きく5つに分けてこの森の中の各所に潜ませていた。

それに加えて彼が「鼠」と呼ぶ者たちを数十人という規模で森の木々の影に待機させ、彼らを伝令代わりに使った。

視界が限られた暗い森の中にあって、敵の位置を的確にとらえ、自在に軍を動かすことが出来ているのも、彼らの働きがあってこそのことだ。

その連絡網はまさに「もぐらの巣」のように森の中を張り巡らされていたのである。

そして彼は軍を動かす時には合言葉を用いていた。

5つの隊それぞれに一文字ずつ言葉をあて、その隊がどちらに向かうべきかを端的に指示し、「鼠」の伝令によってそれは各隊に確実に伝わっていた。

さらに敵の位置や進んでいる方向も各隊に伝えられた為、彼らは常に「奇襲」をもって応戦できたのである。


これが全登の「もぐらとしての戦い方」であった。


その全登が待ちかまえる「もぐらの巣」の森の中に、花房職秀は堂々と正面切って侵入してきた。彼の背後には、恐らく正則から借り受けたのであろう兵が続いている。

職秀は口元に笑みを浮かべ、全登が攻撃をしかけてこないことを知っているかのように、身構えることなく大股で森を奥へ奥へと進んでいく。

そして彼はとある場所でぴたりとその歩みを止めると、暗くて重い雰囲気の森を明るく照らすような陽気な声で叫んだ。

それは全登が仕掛けた「虎口」のちょうど一歩手前の地点である。


「よう!もぐら!久しいのう!相変わらず辛気臭い事が得意なようじゃねえか!」


実は全登はこの「虎口」のすぐ近くで身を潜ませており、職秀のその声は実によく聞こえていた。しかし彼はそんな挑発的な彼の言葉に応答することなく、この後の出方をうかがっていた。


「ふん!この助兵衛(花房職秀のこと)の呼びかけに答えもしないなんて、お前も出世したものだな!

昔は俺の背中をこっそりとつけていたくせに!」


全登はその言葉に思わず顔を赤くし、「別にこっそりつけていた訳ではない」と反論したくなるのをぐっと堪えた。まだ宇喜多家に仕える前の幼い頃に、偶然すれ違った際にその背中を敬意を持って見送ったことは確かにあったが…


…とその時、鼠の一人が少し離れた所から別動の福島隊が森に侵入してきたと報告してきた。

その伝令に


「リン、巽…行け…」


と、侵入してきた福島隊への対処を1隊に指示を出す。その声は十分に抑えていたつもりであったが、職秀は鋭くとらえたようだ。


「やはり、近くにいるみたいじゃねえか…おい!姿を見せやがれ!男らしく堂々とやりあおうや!」


そう職秀が呼びかけた瞬間、彼の足元に鉄砲が放たれる。

それは「黙れ」という全登の返答のように受け取れた。

職秀は微動だにせずにその様子を見ると、緩めていた口元を大きく開けて笑い飛ばした。


「ははは!こいつは愉快だ!なかなか肝がすわった『もぐら』じゃねえか!面白れえ!てめえが巣から出てくるのが先か、俺が退くのが先か…勝負しようじゃねえか!ははは!」


と、一方的に勝負を持ちかけると、ドスっと槍を地面に刺し、そのまま職秀はあぐらをかいて座ってしまった。


「何を企んでいるのだ…」


全登の疑問とは裏腹に、何も企んでいる様子はなく口元に笑みを浮かべて手を組んで座っているだけの職秀。


しばらくの間、沈黙があたりを支配した。木の陰で覆い尽くされた森の中にあって、派手な職秀だけが浮き出ているような奇妙な光景だ。


しかし関ヶ原の合戦はすでに大きく動き出しており、その波は全登の構えるこの森にも容赦なく押し寄せてきた。


先ほどとは異なる鼠が全登のもとへとやってきて、後方で小川と脇坂の両軍が敵に寝返り、こちら目がけて行軍中との報告をしてきたのだ。味方の寝返りという困難な戦況の変化に、全登は頭を悩ませる。


「小川と脇坂が寝返ったか…もし刑部殿が崩れれば、秀家様が危ない…」


そう察知した全登は「ビョウ、トウ!松尾山…行け!」と2つの隊に松尾山の方角からくる敵への対処を指示した。

しかし2隊合わせても2,000ほどの軍勢である。

もし藤堂と京極が合流して攻め込んできたらひとたまりもないだろう。

もしかしたら小早川も寝返ってなだれ込んでくるかもしれない…

そう考えると、全軍を持って秀家を救援しに向かわねばならない状況だが…


常に冷静沈着であまり感情が表に出ることがない全登であったが、さすがに前後の敵襲には目がくらむほどの衝撃を受けていた。


しかしさらなる追い討ちが彼を襲うことになる。


なんと、先ほど福島隊が侵入してきた森の逆側から「わあ!」と鬨の声が上がったと思うと、最後の1隊を潜ませていた付近から交戦が開始されたと思われる音が聞こえてきたのだ。

この事態は全登が我を忘れさせるくらいに驚かせるのに十分なものであった。


「ば、ばかな…鼠はどうしたのだ?」


その言葉に反応するように、かっと目を見開いた職秀が、


「ははは!鼠を巧みに使って正確に敵の位置を測り、味方を動かしているのは分かっておったわ!であれば、その鼠を一匹残らず駆除していったまでよ!

そして今声を上げたのが福島殿の本隊じゃ!最初の一隊は陽動。こちらが本命よ!」


と、痛快に笑い飛ばした。


すなわち職秀は全登の策を全て読んでいたのだ。


そして彼が正則から預かった3,000の兵のうち、1,000を割いて森に侵入させ囮とした。

それと同時に正則本隊は逆側から侵入して、「鼠」を一人ずつ倒していき、情報を伝達させないようにしていったのである。


情報網をつぶされ、陽動に踊らされ、相手を「無能化」しようと考えたのに、かえってこちらが動けなくなってしまった。


全登は己の未熟さを恥じた。なんと浅はかだったのだろう…


しかもこちらは偶発的だろうが、背後では別の敵が襲ってきている…


迷っている暇などなく、この場をすぐにでも退散する必要がある。

そうすれば自分が助かるだけではなく、主君の秀家の本隊と合流し、事態に対処できるかもしれない。

そんなことは頭で十分に理解しているのだが、彼は動けなかった。

いや、正確に言えば「動かなかった」…

なぜかと問われれば、その答えは、



「逃げたくない…」



という至って単純で、自分本位なものであった。


憧れの職秀を目の前にして自分の無力さを露呈したまま背を向けることが、彼自身で許せなかったのである。

そして同時に、「もぐら」と揶揄され、陰口をたたかれながらも歯を食いしばって宇喜多家の為に尽くしてきた日々を思い出し、ここで逃げたらそれまでの努力が水泡に帰すると思えた。


ちっぽけな自尊心…そう笑われたって構わない…とにかく目の前の「憧れの男」に背を向けることだけは、絶対にしたくなかった。


まるでそんな彼の迷いを察したかのように、幸か不幸か秀家本隊からの伝令が届けられた。


「秀家様の本隊が石田冶部殿の本陣がある笹尾山の方へ行軍中…だと…?なぜだ?」


あまり意図が分からない主君の行軍に全登が首をかしげると


「何でも石田冶部殿からのお達しだそうで…それに殿から明石掃部殿に伝言がございます」


「殿から拙者に…」


「今までよく家の為に尽くしてくれたことに感謝いたす。

家一番の奉公人に何一つ残せない自分を許してくれ。

だからせめてその命だけは大事にて欲しい。自分と共に殉じる事はない。

これより明石掃部殿は、自身の思いに任せ自由に働くがよい。

…とのこと」


眉ひとつ動かすことなくその伝言を聞いていた全登であったが、目から流れ出るものを止めるほどに自分を御することは出来ない。

それでも彼は、


「御意にございます…殿…」


と、その場にいない秀家に向けるように、同じく涙を流す伝令に頭を下げた。

そしておそらく彼は秀家と運命を共にすると決めていたのであろう。

「では、ごめん」と全登に短い別れを告げると、そのまま来た道を戻っていったのだった。


秀家からの伝言から、彼が既に死を覚悟しなくてはならないほどに戦況が悪化している事を想像するのは難しくない。恐らくここもすぐに敵軍の兵で埋まってしまうだろう。

秀家から「いとま」が出されたこの命であったが、その戦況から言って既にその先が短いことは、全登でなくても明白であった。



彼は虚空を見つめ思わず笑みを浮かべる。


心血を注いで尽くしてきた秀家と切り離された彼は、糸の切れた凧のように、心ここにあらずといった感じで緊張感を失っていた。


「俺の人生なんだったのだろうか…」


本当にもぐらのような人生だったように思える。

太陽に憧れながらも、地表にすら出ることなくこのままひっそりとこの命を落とすのだ。


それも自分らしくていいかもしれないな…


もはや動く気力すら失せた。


彼はすぐに押し寄せてくるであろう福島軍を待つつもりであった。


もうどうにでもなれ…


全登はそんな投げやりな気持ちに、身を委ねていた。


その時である。

透き通るような大声が、彼の枯れた心を貫いた。



「短い人生、一度くらいかぶいてみやがれ」



声がした方に視線を移す全登。

木々の間から、いつの間にか立ち上がって槍を片手にした職秀が鬼のような形相でこちらをじっと見つめている。


「てめえの人生、てめえの為に一度くらい使ってみやがれ!このもぐら野郎が!」


俺の人生を俺の為に…


「てめえが本当にやりたかったことを、最後くらいやってみせろってんだ!」


俺がやりたいこと…


無意識のうちに全登は「虎口」まで出てきていた。その足取りは重く、上半身を揺らして、顔はうつむいたまま。


その姿はまるで幽霊…


急に現れた男の放つ、その不気味な雰囲気に職秀の後ろにいる兵たちは怖気づいて二三歩背後に退いた。


しかし職秀は退くどころか、身を乗り出すようにして、


「ははは!やっぱり出てきた!俺の勝ちだな!」


と、大きな声で笑い飛ばした。

その様子は、これから起こるであろうことを想像して、心なしか楽しそうなのは、彼の性分からくるものだろうか。


「決まったのか!?もぐら野郎が最後にやりたいことは?」


全登は静かに頭を上げる。


「…あんたを超える…」


「ああん!?よく聞こえねえな!?」


死んだ魚のような全登の目に、まるで溶岩のように熱い何かが注がれ炎となる。

そしてそれでもなお溢れでてきたそれは、彼の全身に染み渡ると、内から込み上げてくる情熱となって全身の肌を紅く染めたのだった。



明石全登…後の「豊臣の七星」の一人が、何かを乗り越えた瞬間であった。



「いくぞ…!」


すらりと抜いた刀を手にした全登が、今までの彼からは考えられないほどに荒々しく、職秀の胸に向かって襲いかかる。

その刀を槍の柄で受け止めた職秀。


心の底から楽しそうに周囲に向かって高らかと宣言した。


「これからは男同士の喧嘩の始まりよ!手を出した奴がいたら、味方であろうと容赦はしねえ!分かったな!!」


すると全登は負けじと大きな声で背後の自身の兵に向けて命じた。


「全員突撃!助兵衛以外を殲滅せよ!」


「ははは!聞いたか!?てめえらも負けんじゃねえぞ!突撃だ!!」



ここに全登と職秀の、男同士の大喧嘩が始まりを告げた。



全登の森の中での戦い方については、筆者自身でも「無理があるな…」と思ってはおります。

全登が意外と用兵術にたけていたが、職秀に看破されてしまった、ということが伝われば、それでよしということでご容赦ください。


もう1話だけ全登と職秀の話は続きます。

それを新たな登場人物の視点でお送りする予定です。


最後に、暖かい励ましのコメントをいただける方々、本当に励みになります。

ありがとうございます。

感謝の言葉しかございません。


これからもよろしくお願いいたします。


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