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あなたを守る傘になると決めて…⑰佐和山で待つ夢(6)

………

……

 慶長5年(1606年)9月18日 未明――

 

 佐和山城の降伏が決定され、各武将たちにその報せは届けられていた。

 

 しかし、この報せを聞いて明らかに狼狽したのは小早川秀秋であった。

 

 

「このままでは…このままでは、われは単なる裏切り者の将としてでしか、この名が残らぬのではないか!!」



 彼の事を心配そうに見ていた兵たちを足蹴にするなど、彼は仮設の陣屋の中で荒れに荒れていた。

 そしてその頬は赤く腫れている。それは先ほど、井伊直政の強烈な一撃によって出来た腫れであった。

 

――この事は明らかな軍律違反である!以降は、佐和山城攻めの任を解く!下がっておれ!!外道が!!

 

 こう直政に一喝されてすごすごと大手門近くまで引き上げてきた秀秋であったが、戦さが中断されて興奮が落ち着くとともに、胸の内にいかんともしがたい憎悪の感情が湧き出してきたのである。

 しかしその対象は井伊直政という個人であるわけではない。

 もっと大きな、世間だとか世の中だとかいったものが、彼の憎悪の対象なのだ。

 

 彼は腫れあがった頬をさすりながら、

 

「おのれ!どいつもこいつもわれを馬鹿にしおって…!このままで終わると思うなよ…」


 と、ぶつぶつ言いながら、陣屋を後にした。

 

 外に出てふと山の方を見上げると、月夜に雄大な佐和山城が浮かびあがってくる。

 


「もう寝静まったか…最後の夢でも見ているのであろうな…」



 そうつぶやく秀秋。

 そして明日になればその命を助けられて山を下りてくる人々の安堵した表情を思い浮かべると…

 

 言い得ぬ『憎悪』の気持ちが、見た事もない彼らに向けられ始めたのだ。

 

 

「われは勝者だ…それなのに、かように処罰を食らった身…

一方、佐和山の者は敗者だ…それなのに、その命を助けられ、のうのうと暮らすつもりであろうか…

許せぬ…許せぬ…許せぬ…許せぬ…」



 一度生じた器のひびは、器が割れるまで直らぬのと同じように、一度吹き出した『憎悪』は、彼の『非道』に移らねばとどまることを知らなかった。

 

 彼は静かに自分の手勢を集めると、城内へと侵入を開始した。

 

 昨日まであれほどに苦戦を強いられていた大手門も、今は徳川軍の手によって開かれ、わけもなく素通り出来る。

 さらに激戦の跡が残る切通しも通過した。

 

 そしてついに…

 

 二の丸へと続く城門の前までやってきたのである。

 

 既に講和が成立し、わずかな兵だけが城門の上に立っているが、その兵にもあまり緊張感が感じられない。

 秀秋は、弓の名手の兵を呼び門番の兵を狙撃することを指示した。

 

 

「しかし…殿!今は停戦中では!?」


「ええい!うるさい!戦さは勝った者が正しいのだ!!このまま馬鹿にされたままで引き下がれるか!城を落としてわれが正しい事を示してくれようぞ!」



 当主の剣幕に兵たちは従わざるを得ず、彼らは山あいで隠れるようにしながら、弓をきりきりと引く。

 そして…

 

――ヒュン…


 と風を切り裂く音がしたと思うと、

 

「ギャアッ!!」


 という短い叫び声とともに、門番たちは城門から姿を消した。

 

 その様子を見た秀秋は間髪入れずに兵たちに強い口調で命じたのだった。

 

「今だ!城門に火をかけよ!!敵が集まって来る前に城門を突破するのだ!!」




 秀秋が佐和山城の闇討ちを始めたその頃、水の手口門に待機していた田中吉政の陣屋に物見が飛び込んでくるように慌ててやってきた。

 

 

「なんだ!?そのように慌ててどうしたのだ!?」



 と吉政が質すと、物見はようやく呼吸を整えて早口で報告する。

 

 

「申し上げます!!何やら怪しい煙を前方に発見!!恐らく小早川の軍勢が二の丸に攻めかかっている模様にございます!!」


「なんだと!!?」



 その報告に飛びあがった吉政。この時彼は講和が成立したことを確かに知っていた。

 しかし一方で、彼も含めてこの時多くの武将が、功を焦っていたことは間違いない。それは天下の行方が大きく変わる時こそ、その一戦の功績によって自分の人生そのものが劇的に変わることを知っていたからである。

 ましてやこの佐和山城の先鋒大将は小早川秀秋である。もしこのまま自分が動かずして、落城してしまえば、下手をすれば石田方への内通を疑われかねない。

 

 

「すぐにわれらも続くぞ!!早く支度をするように全軍に指示せよ!!」


「はっ!!」



 その場にいた全ての伝令が田中軍の各大将たちへと出陣の触れを出して回ると、その次の瞬間には田中軍は佐和山城の本丸に向けて突撃を開始したのだった。

 

 

………

……

 夜から降り出した雨によって、夜明けが近くなってきたことも分からぬようなそんな頃。

 

 田中吉政の軍勢の猛攻によって、三の丸そして二の丸と、次々と城の要衝が落ちていくと、佐和山城の本丸は大混乱に陥った。

 

 そんな中にあって、石田正澄と朝成の親子は、最前線に立って善戦していた。

 

 

「おのれ!!非道のやからどもめ!!かような事が許されると思ったか!!」



 本丸へと続く最後の城門を死守すべく必死に弓矢を放ち続けるが、それも焼け石に水である。

 城門の破壊はもう時間の問題だ。しかし、もしこの城門が破られれば本丸が蹂躙されてしまう。

 それは避けられないことであったが、彼らはそれでも何としても時間を稼がねばならなかった。

 

 なぜなら逃げ遅れた女性や子供たちが、まだ城の中に多く取り残されていたからである。

 

 彼らの逃亡の手はずは、最後まで城に残った正澄の父である石田正継が必死に整えている。

 

 

「朝成!!少しでも、少しでも長くこの門を持たせるのだ!!」


「はいっ!!父上!!くらえ!悪逆非道のやからめ!!」



 一方、城の混乱をなんとか鎮めながら、石田正継は女性や子供たちを石田屋敷への抜け道である法華口から脱出させようと試みた。

 


「急げ!まだあそこには敵はいないはずじゃ!!とにかく麓まで出たら、近くの村に逃げ込むのだ!!」



 その指示に従って、多くの女性がまだ幼い子供たちを小脇に抱えながら、法華口へとなだれ込んでいく。

 

 彼女たちは山頂から転がり落ちるようにして山麓を目指していったのだった。

 

 

 しかし…

 

 

「きゃあああああ!!!」



 という空を切り裂くような金切り声がしたかと思うと、なんと安全な抜け道かと思われていた法華口からも敵が大挙として押し寄せてきたのである。

 

 血に飢えた小早川の軍勢は、女だろうが子供だろうが関係なく、城の者だと分かれば容赦なく槍を喉元に突き刺してくる。

 

 こうなると女性たちはいよいよ進退極まった。

 

 そして…

 

 佐和山城の戦いにおける最悪の悲劇が始まった…

 

 

 なんと…

 

 

 女性たちが次から次へと谷底へと身を投げていったのである…

 

 

――うわぁぁぁぁん!!


――ぎゃあああああ!!


――ぐわぁぁぁぁぁ!!



 断末魔の叫び声が佐和山の空を支配していった。

 

 そして谷底で命を落とした女性や子供たちの血は麓の屋敷まで流れ、池を作る程であった。

 

 

 後世、佐和山のこの谷は「女郎谷」と呼ばれることになるのだが…

 

 それはこの集団での身投げが由来とされるのであった…

 

 

 もちろんこの様子は、本丸に残った石田正継も、城門の守備から戻ってきた石田正澄、朝成の親子も見ていたに違いない。

 

 

「無念じゃ…」



 茫然としながらつぶやいた正継。

 

 そして…

 

 彼はその一言だけを残し、腹を切って果てた。

 

 父が果てたのを見た正澄も、父だけをいかせまいと息子である朝成の介錯を済ませた後に、自身も腹を切ったのだった…

 

 

 こうして石田三成不在の中、最後の最後まで石田家の正義を貫く為に戦った、三人はその生涯を閉じた。

 

 そして本丸にも火がつけられると、残りわずかとなった城兵たちもことごとく、徳川勢の凶刃によって脆くも命を落としていったのである。

 

 

 …が、しかし…

 

 

 本丸に放たれた炎よりも、熱い怒りの炎を燃やした一組の親子が、ゆっくりと本丸から出てきた。

 

 それは…

 

 津田清幽、重氏の親子。

 

 

 この親子…無双…

 

 

 そして彼らは十一人の城に取り残された子供たちを守るようにして、ゆっくりとゆっくりと城門に近づいていく。

 

 

 その異常な雰囲気に、寄せ手は中々近づくことすら出来ないでいたのだ。

 

 まるで道が勝手に開かれるようにして、兵たちが脇にそれていくと、彼らは本丸の前の広場の真ん中に立つ。

 その次の瞬間、清幽が大声を上げた。

 

 

「われこそは津田清幽じゃ!!講和が成ったにも関わらず、悪逆非道の数々!!

天が許そうとも、この清幽が許さん!!

徳川家康!!

あやつに言わねばならぬ儀がある!!」



 清幽がギロリと周囲を睨みつけると、そのあまりの迫力に彼らを囲っていた兵たちは思わず尻ごみしてしまった。

 すると今度は息子の重氏が天まで届くほどの咆哮を上げた。

 

 

「道を開けよ!!この道を阻む者は、その首がないものと思え!!」



 ビリビリと空気が震えると、津田親子の前の道が自然と開けられる。

 

 その道を、一歩また一歩と彼らは子供たちを引き連れて歩いていった。

 

 しかし、その時であった…

 

 

「何をぐずぐずしておるのだ!!相手はただの二人!!子どもたちは生け捕りにせよ!!いけえ!!!」



 と、誰からともなく一人の大将が大声を上げると、

 

――ワァ!!


 という掛け声とともに、一斉に兵たちが彼ら二人に向けて殺到してきた。

 

 

 こうして…

 

 二人と一万五千の戦いは始まった。

 

 

「ぐおおおおお!!!!!」



 清幽が咆哮を上げると、強い風圧を受けたように前方の兵たちの出足が鈍る。

 その隙を見逃さずに、清幽は兵たちに一直線に飛び込んでいった。

 

 

「駆け抜けろ!!後ろを振り向くなぁぁぁ!!!」



 今度は重氏が大声を上げると、子供たちがはじかれたように、清幽の背中に向かって走りだした。

 

 清幽の通った道の両脇には、死屍累々と兵たちの亡きがらが積み上がっていく。

 

 そしてその清幽と子供たちの背後を襲わんと詰め寄ってくる兵たちは、一歩でも重氏の間合いに入った瞬間には、その首に大きな槍の穴が開けられていた。

 

 

――な…なんだあれは…


――あの親子が最初から戦場に出ておれば…



 という徳川勢からも、あまりの二人の強さに呆れるようなため息すら漏れている。

 

 しかし、彼らが目の前に迫ってきた兵たちは、条件反射のように彼らに槍を向けざるを得ないのだ。そして、次の瞬間にはこの世の人ではなくなっていったのである。

 

 本丸、二の丸と抜けていった津田親子と子供たち。

 いよいよ佐和山の山道に入ってくると、ますます彼らの勢いは増していった。それは、左右の絶壁からでは寄せ手の攻撃がこないことが明らかであり、彼らは前と後ろだけに攻撃も防御も集中できたからだ。

 乱戦にあって、鉄砲や弓が使えない中、槍と刀での勝負では、津田親子はまさに「無双」の強さを誇った。

 

 ばったばったと斬り伏せていきながら進んでいく。

 

 そして左手に行けば「水の手口」、真っすぐ進めば「大手門」の分かれ道までやってきた。

 

 

「真っすぐじゃ!!小早川の軟弱兵たちなど、たとえ目をつむっていても抜けてくれるわ!!」



 清幽が大声で背後に指示をすると、子供たちは彼の槍の邪魔にならない程度に距離を取って、その背中を追っていく。

 

 そして清幽の挑発するようなかけ声を耳にしたのは…

 

 

「ええい!!たかだが一人に何をしているのだ!!かくなる上は、われが止めてくれよう!!」



 と小早川秀秋自らが、戦さの夜叉と化した清幽に突っ込んでいったのである。

 彼はつい先日、大谷吉治一人に苦杯をなめさせられたばかりであり、その屈辱を晴らさんと考えたのであろう。

 

 しかしそれは明らかに浅はかすぎた。

 

 なぜなら…

 

 津田清幽と重氏の親子は、大谷吉治と同等かそれ以上の「無双」に相応しい人物であったからだ。

 

 

「われは小早川秀秋!!きええええい!!」



 と、周囲の制止も聞かずに、なりふり構わず突っ込んでくる秀秋。

 

 そんな彼の名前を聞いた瞬間…

 

 清幽はニタリと笑った。

 

 

「ガハハ!格好の獲物が、自らのこのことやってきおったわ!!」



 そう言った瞬間に、秀秋の元まで恐ろしい速度で駆け寄っていくと、

 

 

 そのまま彼の顔面を鷲掴みにした。

 

 

「ひぃっ!!やめ…やめ…」



 と威勢の良い掛け声の次の瞬間には、情けない声をあげる秀秋。

 しかしそんな彼の様子などお構いなしに、五本の指を秀秋の顔に食い込ませると、

 

「でええええい!!!」

 

 そのまま叩きつけるようにして投げ飛ばした。

 

 

「フギャッ!!」



 という蛙が潰されたような声を上げた秀秋はそのまま、失禁して大の字に伸びてしまった。

 

 そんな彼をひょいと肩にかついだ清幽は、周囲に響く大声で言った。

 

 

「徳川軍が先鋒大将、金吾中納言を生け捕ったり!!!こやつの命が惜しくば、道を開けよ!!!」



 清幽が不敵な笑みを浮かべながら、ぐったりとした秀秋の体を高々と掲げる。

 

 流石にこうなってしまえば、小早川軍はなすすべがなかった。

 みな大人しく武器を置くと、津田親子と子供たちを通していく。

 

 そしてそんな中、騒ぎを知った徳川家康の使者が、津田親子と子供たちの前に表れて大声で言ったのだった。

 

 

「津田清幽殿に申し上げる!!

こたびの城攻めについては、一部の兵たちが勝手に起こしてしまい、城門に火がついた頃にはどうしようもなかった。

しかし、そなたらの怒りは最もである。

今からでも攻撃をやめさせ、残った者たちは女や子供だけでなく、その兵に至るまで全て助命いたそう、と殿はおおせにございます!」



「まだ足りん!!!」



 と、清幽はその足を止めようとはしない。

 

 その後も、使者は数々の条件を出してきたが、清幽の足は止まることなく、とうとう家康の本陣までたどり着いたのだった。

 

――バサリッ…


 と本陣の陣幕を開ける清幽。

 

 

 そしてそこには…

 

 

 目を丸くした徳川家康が鎮座していたのであった…

 

 

「徳川内府殿。一言文句を言わねばこの気がすまぬ。ゆえに、許せ!」



 家康はその清幽の目を見つめていたが、どこか諦めたように肩の力を抜くと、

 

「分かったわい…わしも申し開きすべきことなど何もない。お主の小言、全部聞いてくれよう」


 と、清幽に向けてため息まじりに言った。

 

 清幽はニヤリと笑うと、

 

 

「その前に…こやつが邪魔じゃ」



 と、言って、肩に担いでいた秀秋を横に放り出した。

 

 

「ギャフン!!」



 という情けない声を出して、秀秋は再び気を失った。

 

 そして…

 

 大きく息を吸い込むと、耳がつんざくような大声で、家康を一喝した。

 

 

「脇が甘すぎる!!次郎三郎(徳川家康のこと)殿!!

かようなことが続くようでは、天下はおろか領民でさえもお主から離れていくであろう!!

かれこれ二十年以上の付き合いの『友』として、情けない思いをさせるでないわ!!」



 ここまで直接的に家康を叱れる人間が他にいるだろうか…

 それは警策(けいさく)で肩を思い切りたたかれたような衝撃が、家康の心に響いた。

 

 家康自身も、脇にいる本多正純も驚きのあまりに、口を半開きにしている。

 

 そんな彼らを尻目に、

 

「行くぞ…重氏」


 と、息子に声をかけると、そのまま陣屋をあとにして、生き残った子供たちとともに戦場から姿を消したのであった。

 

 

 

 こうして佐和山城の戦いは幕を閉じた。

 

 石田家にとっては、あまりにも惨い結果となってしまったのだが、それはこの戦場にいた諸将にとっても深い心の傷となって残った者もいたようだ。

 

 そのうちの一人が井伊直政であった。

 

 彼は徹底的に佐和山城を壊し、なんと佐和山を八間(約14m)も削ったと言われている。

 それは、佐和山で起った悲劇と女性たちが身を投げた女郎谷をこの世から消し去る為であった、と考えても不思議ではないのではないだろうか。




………

……

「ここまで来れば、もう大丈夫じゃ」



 佐和山城から十一人の子供たちを引き連れた津田清幽は、高野山の寺までやってきてそう言った。

 

 清幽自身が放浪の身であった頃に、何度も世話になった寺であり、彼が住職と話しをした結果、喜んで子供たちを引き受けてくれることになったのだった。

 

 そして、その子供たちの中に、石田三成の三男、石田佐吉も含まれていたのである。

 

 

「津田様…誠にありがとうございました」



 子供らしくないほどの慇懃さで深々と頭を下げる佐吉。

 そんな佐吉の肩に、津田清幽は優しく手を置いた。

 

 

「感謝をするのはまだ早い。

お主がやり遂げねばならぬことを果たしたその時に、初めて『あの時助かってよかった』と思えたなら、このわしに感謝するがよい。がははは!」



 そう笑い飛ばす清幽の目を見つめる佐吉。

 どこまでも大きく、優しい清幽の目に、佐吉はもう一度頭を下げて言ったのだった。

 

 

「この感謝の気持ちを忘れぬためにも、それがしはこれから『清幽』と名乗らせていただくことをお許しくだされ」



 その言葉に互いに顔を見合わせる津田親子。

 そして重氏が笑い声をあげて言った。

 

 

「ははは!これは面白い!清幽が二人であるか!思わず気軽に声をかけて、父上にお叱りになられたら、たまったものではないな!」


「よいよい!わしにとっては光栄なことじゃ!清幽と名乗るがよい!がははは!!」



 佐和山で降っていた雨は、ここ高野山では全く降らず、むしろ爽やかな秋空が天には広がっている。

 


 こうして佐和山城の十一人の子供たちの命は絶体絶命の中で救われたのだった。

 

 

 しかし…

 

 石田佐吉…否、石田清幽の戦いはこれから始まるのであった…

 

 

 


佐和山城の戦い、いかがでしたでしょうか。


関ヶ原の戦いの裏で、このような悲劇の合戦があったことはあまり知られていないのは、その結末があまりにも惨いものであったからではないかと思ってしまいます。


ちなみにこの戦いで、小早川秀秋が捕虜になったのはフィクションですが、実際に津田清幽が徳川の将の一人を捕虜にして、その者を盾にしながら徳川家康の本陣へと入っていったとのことです。


そしてその清幽が救った命の一つに石田三成の三男、佐吉があり、彼は高野山にて「清幽」と名乗ったとのことです。


そのあとの石田清幽の足取りはよく伝わっていないようですが、兄であり三成の長男である石田重家も高野山に入山していることから、もしかしたら兄弟で修業に励んだのかもしれませんね。



さて、いよいよ少し長引いた『佐和山の幽霊騒動』も次回で終わりになります。


そしてなんと次回が二百話目の節目のお話しになります。


私が拙作で伝えたい気持ちを込めてお話しをつづれたら幸いでございます。


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



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