第7話 球根一つで手に入れられるほどの熱狂
ふわりと吹く風が、ドレスの裾と髪を揺らす。その風が、華やかな花の香りを撒き散らす。
「……」
グレーテは深皿のような窪みの底で、花に囲まれていた。
天を振り仰げば珍しく晴れていて、澄み切った青の空が広がっている。その空へ向かって、黄色や赤、ピンクの花びらが風に乗って舞い上がっていた。
「お花畑」は相変わらず美しい場所だ。グレーテは感嘆して頬を染め、横にいるマリーに訴えた。
「……いい天気で良かったですね」
「ですね……!」
横を見ればマリーはおさげのリボンを解いていた。
豊かで光るような亜麻色の髪の毛が、風にたなびく。
髪の毛を解いて何がしたいのか、グレーテには何となくわかった。
ここは人目が少ない。もちろん見張りの従者や侍女はいるが、遠巻きに見ているだけだ。
マリーは髪の毛を手で後ろに束ねた。結い上げられるほどの長さまで髪が伸びれば、一人前の淑女として認められる。髪が伸びているかこっそり確認したいらしい。
その様子を一番隠したい相手は今、城の領主の執務室にいるから、城の裏側にあるこの窪みはマリーの髪の長さを確認するのに大変都合がいいのだった。
「結構伸びてきたんじゃありませんか?」
グレーテはその様子に忍び笑いを漏らしながら言った。
マリーの肩がびくっと震える。頬が薔薇のように真っ赤に染まった。照れているらしい。年頃だ。
「でもやっぱり、姉様ほどとはいかないです」
唇を尖らせてマリーが拗ねる。
グレーテの髪は長い。髪を解けば膝の裏くらいまではある。結い上げて何かの髪型を作るのに苦労したことはない。
しかし、かつてはマリーのように早く髪が伸びてほしいと思った時期もあった。
(……そうだ、マリーちゃんに)
自然とグレーテは、マリーの肩に手を添えていた。
「座ってください」
マリーはグレーテのほうを向くと、不思議そうな表情を浮かべて座った。グレーテは膝をつき、マリーの髪を編み込んでいく。
髪がまだ短くても結い上げる方法はいくらでもあるのだ。
リボンを使って髪を押さえると、まだ華やかとは言えないが、愛らしい髪型ができた。
「よし、出来ましたよ」
グレーテはマリーの顔を覗き込んだ。どれだけ喜んでいるだろうかと思った。
実際、マリーは「やった!」と喜んだ。直後。
「……鏡がないからどんな髪型か見られませんね……」
至極真っ当な感想を述べ、髪をまさぐる。残念そうな顔をしている。
グレーテは「……あ……」と手で口を覆った。鏡を持ってくれば良かったのだが。
「可愛い髪型ですよ」
そういう他ない。
とりあえず慰めにマリーにいくつか花を摘んでやった。マリーは花が好きなのである。
花を見ながら、何か思い出したようにマリーの青の瞳が輝いた。ぽっつりと彼女は言った。
「姉様、首都ではお花が人気みたいですよ?」
「お花、ですか?」
グレーテはマリーのために摘んだ花を見る。チューリップ、水仙、白詰草、菫、それ以外にも色とりどりの花がある。花はいつでもどこでも人気のはずだ。マリーが話題にする理由が少し見えてこなかった。
マリーはたどたどしく言う。
「ええ。よくはわからないのですが、チューリップがやたらと人気らしくて。さまざまな色を競っているとか。中には家が一つ買えてしまうほどの値段がするものもあるそうなんです!」
「……チューリップ?」
この「お花畑」に咲き誇っている。さまざまな色のチューリップが。
グレーテは周囲を見まわした。外に出て風に吹かれたせいか、思考が明瞭になってきた。何かピンとくる。
「……売れ……る?」
家が一つ買えるほどの値段を球根一つで手に入れられるほどの熱狂。
つまり、この一面の野原には、凄まじい資産が眠っている可能性が高い。
花の季節が終われば、花畑からチューリップの球根を掘り起こす。おそらく来年も同じ色が咲くだろう。球根ごとに色を把握しておき、首都の富裕層に売り捌くのだ。
グレーテの菫色の瞳が一筋の光明を得て爛々と輝いた。
これでアールデルス伯爵領の経済を活性化できる気がする。
「よし!」
グレーテは大きく頷いた。
「時期が終わったら球根を掘り起こしましょう! 首都で売るのです!」
そういいながら花に顔を埋める。グレーテは思いっきり花の香りを吸い込んだ。
これで何とかなるはずだ。
あとは細かいところを詰めて——。
グレーテが頭の中で誰と交渉すべきか、どこへ行くべきか考え始めた時、馬の蹄の音と、ブルルルという鳴き声が聞こえた。
誰も馬を連れて来ていないので、不思議に思って顔を上げる。
窪みの縁、言い換えると城につながる崖に、黒馬と男性が立っていた。
彼が花畑に圧倒されて目を奪われていることは、遠目からでもわかった。息を呑んで硬直しているのがはっきりと見える。
誰だろう、と少し近寄ってみれば、グレーテと目が合った。
まだ二十前後の青年だろう。すらりとした細身の体つきをしている。黒い巻き髪に、色の抜けるような白い肌をしていた。黒いが小洒落た服を身にまとっている。
遠くからなのでわからないが、翡翠のような緑の瞳を持っているような気がする。
非常に端整な青年だ。華やかなディートハルトとは正反対の、聡明で思慮深そうな、中性的で繊細そうな印象を与える。
とりあえず、微笑んでおく。兄の客人だろうか。
グレーテが上品な笑みを見せて一礼すると、青年は何故か身体中を真っ赤に染め上げて顔を覆ったのがありありと見えた。彼はそのままうっかりふらついて後ろに下がり、尻餅をつく。
「あ!」
グレーテは思わず危ないところで転んだ青年を助けようと一歩足を進めたが、少々遠かった。
青年の後ろから従者と思われる壮年の男が何か呆れ返ったような口調で叫んで、主人を後ろから抱き上げている。
(……な、なんだろう?)
グレーテは顔を少し引き攣らせた。




