94話 隠し事1
(さすがは悪名高い国営軍本部の牢ね。仮牢でこれとは監獄は酷そうね)
地下への階段を歩きながら、レティシアはそんな感想を抱く。
一時的に罪人を拘留しておく牢であるらしいが、地上の扉は兵たちがうようよいる部屋の前にあるし、階段の途中には分厚い扉が二カ所も設けられている。扉の前には警備がいるため、一人で脱獄するのは難しいだろう。
低いヒールをカツカツと響かせて階段を降りると、再び扉が現れる。ヴァスバード侯爵はその前で立ち止まると振り返り、
「くれぐれも囚人たちに近づかないでくれ」
「それは拘束が甘いってこと?」
「いや。君が囚人に詰め寄りかねないから、先に忠告をと思ってな」
よくわかっているじゃないか。バレたところでやるけど。
「……特徴らしい特徴があまりなかった者は、該当する者が二、三人いる。顔が見えづらかったら言ってくれ」
「わかったわよ」
「それでは行くぞ」
目の前の扉が開かれた。
(わぁ、空気悪っ)
初めて見た国営軍の地下牢の、レティシアの心の第一声はそれだった。いかにも地下牢という殺風景なその場所は、扉から真っすぐに通路があり、その右手に格子が見える。通路の幅を狭くし、二人並べないようにしているのは、集団で脱走された場合の対策だろうか。
(錠は一つか)
悪名高いとはいえ、牢としてはごくごく一般的な作りだ。あくまで一時的な牢屋のためか、壁と格子で仕切られた狭い空間には、椅子すらなかった。そこに猿轡をされ、足枷を次つけられ、後ろ手に拘束された凶賊が押し込められていた。
無様な姿だと思っていれば、牢の中の男と目が合う。その途端、男はレティシアに下衆な目を向け、モゴモゴを不快な声を出す。言葉になっていなくても、男が何を言っているかは予想がつく。
(口を塞いでも煩いものは煩いものね)
蔑みの目で男を見下ろしていたレティシアは、前にいるヴァスバード侯爵に首を振って、違うことを知らせる。そうして次の牢の前に進み、見世物小屋を見物する客の如く、男を観察した。そうして三名ほど見た後、
「……一度外に出るか? また階段を上がる必要はあるが」
「いい。熱いわけじゃないから」
レティシアは扇でパタパタと扇ぎながら答える。これは暑くてやっているのではない。狭い場所なのに、目の前にはヴァスバード侯爵、後ろには大柄の男と童顔な顔の男の三人に挟まれているからむさ苦しいのだ。ついでに牢の中の男たちが布越しにモワモワと喚くのも、むさ苦しさを助長させている気がする。
(まあ、キラキラ軍人がいないだけマシか)
あの毒が追加されていたら、もっとダメージを食らっていたはずだ。
レティシアは仕事を再開する。そうして最後の犯人候補である、細面の顔の男が拘束されている牢に移った。
今まで収穫はゼロなので、期待もせず、これまでと同じように順に男を見て行き、三人目の牢の前ではたと足を止めた。口元は布でわからないが、吊り目気味の青い瞳とこの顔立ち。記憶よりも痩せているし隈も酷いが、間違いない。馬車を乗っ取った際に乗り込んできた男だ。
男の方もレティシアの存在に気づいたようで、わずかに目を見開き、しかしすぐに顔を逸らした。
(左のヴァスバード侯爵だけ注意すればいけるな)
右にいる二人は堅物軍人とは違い、レティシアの行動に気づかないだろう。レティシアは何気なく扇を左手に持ち替えながら、「……あれをよく見たいんだけど」と、ヴァスバード侯爵に耳打ちする。
「マシュー」
名前を呼ばれた大柄の男は、頷くと錠を開けて中へと入り、壁に凭れかかって座っている男の腕を掴んだ。男は呻きながら無茶苦茶に腕を振り、その場に留まろうと踏ん張るが、それは徒労に終わる。マシューは男を鉄格子の前に引っ張り出すと、なおも抵抗する男の背に重心を掛けて押さえつける。
レティシアはヴァスバード侯爵に口元が見られないよう、あくまで自然な動きで左頬を扇で隠しながら腰をかがめた。
「……間抜けな面だな」
必死に抵抗しながらマシューを睨む男を小声で嘲笑えば、男はこちらを振り返った。その瞬間、レティシアは嘲笑を浮かべたまま、「あの馬鹿な色好き野郎と同じ」と、口だけを動かして、右の人差し指を自分の首の前でスッと横に動かした。凶賊なら読唇術は当然使えるし、あの現場を見た男なら、レティシアの動作が何を意味しているかわかるだろう。そして狡猾男が死んだのが、ただの不運な偶然ではなかったと。
レティシアの予想通り、男は目を見開き、その表情を愕然としたものに変えた。いや、恐怖に満ちた顔とでもいうべきだろうか。冷や汗でもかいてそうな顔だ。攫った令嬢が凶賊だとはこれっぽっちも思わなかったのだろう。
「……いい顔。あの使用人の飼い主は誰――」
「そこまでだ」
こっそり尋問を始めたところで、肩を掴まれ、強制終了されてしまう。
「この男のようだ。もう戻していい」
「はい」
ヴァスバード侯爵の命令で、マシューは青ざめた男を格子から離した。
「ちょっと、なにすんのよ」
「言っただろう。危険な真似はしないでくれと」
扇で隠したのに、やはり気づかれていた。
「この程度で危険って。だいたいそっちの尋問が生ぬるいから、私を呼んだんじゃないの? 鞭打ちはやったみたいだけど、耳どころか指までついてるなんて」
レティシアは牢の奥に引きずられる男を指差した。先ほど男が抵抗したとき、その動きから背と胴に負傷していることはわかったが、ちらりと見えた手と足には指がついていた。
それを指摘すれば、ヴァスバード侯爵は何か言いたげに眉間に皺を寄せたが、
「協力に感謝する。では上に戻ろう」
強制終了させてしまった。
「尋問が苦手なら協力するわよ」
「いや、結構。君は大人しくしているように」
「十分、大人しくしてるじゃない。これ以上どう大人しくしてろってのよ」
文句を言うが、後ろから早く歩けと言わんばかりに追い立てられ、結局尋問はできずに終わってしまった。
エレンツィオは別の仕事のため、呼ばれなかった。




