68話 情報屋2
「ただいま、親父。客連れてきたぜ」
「今日はもう店じまいだ。帰れ」
こちらに背を向けて座る白髪だらけの男は、振り向きもせず、手だけをシッシと動かした。反対の手には盃が握られていて、テーブルの上には酒瓶が幾つも散乱している。
「話くらい聞けよ。かなり珍しい客だぜ」
「まったく、相変わらずの酒飲みだね。まだ日中だってのに」
レティシアの声に親父が億劫そうに顔をこちらに向け、とろんとタレた目を見開いた。
「んあ? ヴァッセんとこのルタか? いや、あいつは追放されたんだから幻覚か」
「私は幻覚じゃないけど、そろそろ幻覚見てもおかしくない酒の量だね」
レティシアは親父の前の席にどっかりと座った。
「おめぇ、いったい何やらかしたんだ?」
「私は何もやらかしてないっての」
三年ぶりだというのに会ってすぐに同じこと聞くとは、さすが親子だ。「相変わらず可愛げの欠片もねェなァ」という親父のぼやきは無視し、レティシアはさっさと本題を切り出す。
「早速取り引きしたいんだけど。モンテアーノ家の情報が知りたい」
「ウチじゃァ家を追われた者に一家の情報は出さないと決めている」
「それなら」
「その前に、そっちの奴は何者だ?」
親父は視線を横に動かす。そっちの、とはレティシアの後ろに立っているヴァスバード侯爵のことだ。堕落親父に見えても、情報を売ることを生業としているだけあって、凄まじい記憶力で、大半の凶賊のことを知っている。だからそのどれにも当てはまらないヴァスバード侯爵を訝しんでいるのだ。
「紹介し忘れてたわね。この人はヴィンス。ちょっと前に知り合った市井の人間」
「ただの市井の人間じゃァねェだろう? 若造にしちゃァ肝が座り過ぎてる。なァ?」
ヴァスバード侯爵を見る親父の目は、先ほどまでとは打ってかわって鷹のように鋭く光る。ヴァスバード侯爵の名前や特徴は知れ渡っていても、顔まではわからないはずだが、もしかしたら勘づかれたかも知れない。
親父を騙すつもりはないが、さすがに敵の大将だと言うわけにはいかない。だから護衛という間違いでもない、適当な役にしようと口を開き、
「さすが情報屋だけあって、人を見る目があるようだ。その通り、私は駐屯地の上等兵だ」
ヴァスバード侯爵が先に喋ってしまった。途端にアビが短刀を構え、親父は酒を呷った。第五区の人間にとって、軍人は全て敵だというのに何暴露してんだ。彼を睨むが後の祭りだ。
「どういうことなのか私が知りたいのだが」
ヴァスバード侯爵はさらに勝手に話を進める。
「リーズという町を巡回中、柄の悪い連中に攫われそうになっていた彼女を見つけた。それで奴らと交戦していたはずだったのだが……気がついたら連中は消えていて、さらに私は見知らぬ町にいたんだ」
「攫われるって! しかも門から軍人連れてくるなんて、ほんとおまえ何やらかしてんだよ」
「だから私は何もやらかしてない」
レティシアは即訂正する。この男を招き入れたのはスファンだし、誘拐の原因となったメモを手に入れたのはあの男が素人すぎたせいだ。断じてレティシアのせいではない。
勝手なことを言ってくれたヴァスバード侯爵に怒りつつも、この話に乗っかることにする。
「攫われそうというか、拉致監禁されたから逃げてたんだよ。それでしばらく奴らと追いかけっこしてたんだけど、派手に騒いでくれたせいで軍が乱入してきたの。んで混乱に乗じてこっちに来たんだけど、気づいたらこの人がついてきちゃってたってわけ」
レティシアが説明すれば、親父はフンと鼻を鳴らす。及第点だったようだ。
「それで対価じゃねェだろうな?」
「当たり前だ。あの人の顔を潰す真似はしない」
レティシアは負けじと親父を睨み返す。情報を買う対価は、金ではなく情報だ。この世界では情報とは重要なものであり、武器でもある。だからこそ情報の信憑性が問われるのだ。
「……ふん、いいだろう」
「ところで部屋空いてない? 部外者に聞かれたくないんだけど」
ヴァスバード侯爵はあくまで偶然会っただけの人間という設定だから、部屋から追い出さなければ。
「アビ、そいつを店の方に連れてけ」
「あいよ」
アビはヴァスバード侯爵に来いと手をクイクイと動かす。
「しかし、二人きりで何かあったら」
「オレが危ねェな。おいルタ、おめぇ物騒だから武器類全部そいつに渡しとけ」
物騒とは失礼な。私を何だと思っているんだ。
「武器ならヴィンスの荷物の中だ」
「んじゃアンタは荷物ごとこっち来な」
アビは扉を開け、ヴァスバード侯爵に店の方に来るよう促す。彼は渋るような顔をしつつも部屋を出ていった。アビと親父がいてくれてよかった。
「んで? あの若造はおめぇのなんなんだ?」
「邪魔者、障害物。あ、助手にどう? 置いてくよ」
「腹ん中に寄生虫を飼う馬鹿がどこにいるか」
どうでもいい話をしながらも気配が遠ざかったのを確認すると、レティシアは再び切り出した。
「第五区で起きてることを教えてほしい。アビと会った街で三下共が蔓延っていたから何かあったはず。対価は私が仕入れた極秘情報だ」
「内容次第だな」
レティシアは親父の顔を見据えた。
「ネービス家でクーデターがあった」
「……その情報はどこで手に入れた?」
「市井にいたとき、ネービス家を制圧したから次に進めると書かれたメモを掠め取った。だから拉致された」
「おめぇを誘拐した奴らは、それに関与した連中だと確定しているんだな?」
「確定。尋問されたから」
「その証拠は?」
親父は驚くこともなく、淡々とレティシアに情報の信憑性を訊ねてくる。
「ない。メモは手に入れてすぐスファンに飛ばしたから。だけどメモにあった印血と、私を狙った奴らの身元ならわかる」
レティシアは懐から狡猾男から奪った羅針盤を取り出すと、翳して見せた。羅針盤は己のアジトの場所を示す、地図と同様に重要で貴重なものだ。それを他人が持っているということは、敵から奪った何よりの証であり、レティシアの話の信憑性を高めてくれる。
「……おめぇがメモを手に入れたのはいつだ?」
「二十日くらい前。王都で手に入れて、その日の夜にはスファンに飛ばしている」
ここで一旦話を区切った。羅針盤を手渡すのも他の情報を話すのも、親父が商品を売ると決めてからだ。
親父はふむ、と無造作に伸びた顎髭を指で撫でた。この仕草をするのは親父の頭に蓄積された情報と、今の情報とを照らし合わせているときだ。対価はこれで問題ないはず。あとはレティシアの要求に対し、親父がどこまで教えてくれるか。
(できればみんなの情報も欲しい)
レティシアは焦る心を出さないように表情を引き締め、親父の言葉を待つ。
「……取引はできねェ」
「なんで……?!」
レティシアは立ち上がる。
「対価は十分だ。だが対価に見合う情報を持ってねェんだ」
「どういうこと? これだけ何か起こっているのに情報がないっていうの?」
「……今、何か起きているのかと言われれば、何かは起きている。だが何が起きているのか全くわからねェんだ」
第五区一の情報屋がわからないとはどういうことだ。レティシアが眉を顰めていれば、親父は口を開く。
「少しずつ何かが変わってきて、今の状況になったというのが正しいな」
その口調は先ほどまでとは異なり、自分の考えが合っているのか、言葉を確かめるように聴こえた。
「おめぇら、アビと一緒に来たってことたァ、上の街で闊歩する三下共を見たんだろう?」
「見た」
「支配地外の野郎が、ああやってデケェ面して歩き回るようになったのはだいぶ前。そうだなァ、半年以上も前になる。これまでも偵察やら何やらで、ああいう連中が上の街にいたことはあったから、別におかしなことではなかったんだが……今回はどうも様子が違う」
なぜか支配者は一切動かず、そんな状態だから次第に三下共を見かける頻度が高くなり、人数も増えていったらしい。普通なら支配者と侵入者が派手に争ったりするものだが、そんなこともなく、ただただ静かなのだと。
「支配者は生きてるの?」
「歩いてる姿を見たという情報はあった」
「じゃあ三下と協定を結んだとか、家を吸収したとか、そういうこと?」
「それがどう探ってもそういう情報が一切出ねェから妙なんだ。とっ捕まえて吐かせてみた家もあるようなんだが、それでも何も出なかった。不穏な動きはあるのに核が見えねェ。まるで残滓のようだとヴァッセは言ってたな」
「ヴァッセが?」
レティシアはスファンが寄越したメッセージを思い出す。きな臭い動きとは、もしかしたらそのことを言っていたのだろうか。
「上の階層もさっきの街と同じ状態だと考えていい?」
三階層の真ん中から上の方でその有様なら、二階層の街も同じような三下共がいるだろう。ただあの程度なら注意していればどうってことはない。
「ルタ。おめぇ家に帰りたくて店に来たんだろ? なら手を引け」
「そんなことできるか! 何のために私がここまで来たと思ってる!」
「餓鬼みてェに駄々をこねんじゃねェ!」
声を荒げるレティシアと、怒鳴る親父。双方蛇のように睨み合う。何の情報もわからぬまま引けるわけがないし、引くつもりはない。もし何も言わないのなら力づくでも吐かせてやると、さらに殺気立って《いきごんで》いると、不意に親父が目を逸らした。その顔はどこか苦しそうな色が浮かんでいた。
「……あいつらでもどうにもできなかったんだ。おめぇにゃ無理だ」
「あいつら? それにどうにもできなかったって?」
どういうことだろうか。親父は無言で酒を煽ると、重い口を開いた。
「モンテアーノ家に送った連絡鳥も、他の顧客に送った連絡鳥も全部戻ってきちまった」
想像すらしていなかった言葉に、血の気が引いていった。




